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高嶋敏展「焼津のはじまりがはじまる」(MAWまとめ)

じつはまったく期待をしていませんでした。
少しはではなくまったくです。
僕は焼津の小泉八雲ゆかりの場所の写真を撮るために前々から計画をしていたので、今回のワーケーションは渡りに舟でした。
滞在の成果を求められていない。
地元との交流プログラムもホスト次第なのでこちらが何かやれるわけではないですし、何か発表をするための予算や受け入れ体制があるわけでも準備されているわけでもないですから。
こちらとしては見知らぬ土地では手も足もでないし求められてもいない。下手に何かやればホストの負担でしかない。
zoomでのミーティングもまあ、わかったような、そうでないような。
ホストの受け入れ体制も実際のところはよくわかりませんでした。


状況がいささか変わるのはコロナで滞在の予定が延期されて1月後半が3月後半なってしまったこと。 それもいつまでたってもマンボウが開けず、ホントに焼津にいけるかわからんな。
当初は自分の写真集に焼津の写真を入れるという目的で進めていたのが年度内の事業で作っている本なので載せられなくなってしまいました。
いきなり目的が無くなってしまった・・・。
しかも航空券は時期的に1月の時の2倍の値段。中止になったら航空券のキャンセル料はどうなるんだろう???
まあ写真が撮れればいずれは何かに使えるだろうから、どうにかして行きたいが・・・・。
つまり本当に焼津で何かしたいというより、行けるか行けないかで戦々恐々としていたのです。
トラブル続きの焼津ですが、実際にはどうだったか。
僕は朝から日が暮れるまで写真を撮りました。
わざと自転車を使わず歩きました。
明治時代に小泉八雲がそうだったように。
あとは焼津の小泉八雲記念館の関係者や研究者に車で案内してもらったりととにかく昼間はバタバタと忙しかった。 http://www.city.yaizu.lg.jp/yaizu-yakumo/
そして衝撃だったのはこれだけ動いて、体重計の針は微動だにしませんでした。
なぜなら17時30分にホテルに帰り、ぱぱっと15分とか20分でNOTEのまとめをさっさと仕上げ(カウンシルしずおかの皆さんごめんなさい!)、18時にはホストのみんなの図書館さんかく に集合して遊びに行くからです。宿題を終わらせた無敵の小学生のようなものですな。
誰かがいて、毎夜、毎夜どこかに連れて行ってくれました。
まるで大学生のような1週間。
ひたすらしゃべって遊んで。
その不思議な時間は期待も想像もしていなかった貴重なものでした。
そうそう焼津で一番驚いたこと。
それはホストのトリナスの土肥さんが商店街に落ちているゴミをさりげなく拾ったこと。
ああ、この人にとっては商店街は自分の場所なんだ。
若手が目立つと誤解されやすい。
意味なくいじめる年寄りもいる。
人の性根は案外こんなところで見えるのかもしれない。
僕はまちづくりコンサルに勤めたことがありますが、まちづくりでの成功事例は嘘とごまかしが多い。
プレゼンや情報発進が上手になっていて内容だけみるとものすごく成功しているように見えるけれど、行くと実際にはたいしたことがないというケースがものすごく多い。世の中に出た時点では失敗しているなんてものもかなりの確立である。
じつはトリナスや土肥さん達がやってるのもこの類ではないだろうかと焼津に来るまでは思っていました。
がっかりする位なら期待しない方がいい。
これが僕の正直な気持ちでした。
良い意味で裏切られた出会いでした。
正しき成功事例として焼津のトリナスは紹介できると思います。
https://torinasu.info/


そして焼津に来る前に気がかりだったことがあります。
僕は島根の戦争遺跡の写真を撮影して作品として発表しています。
僕が焼津にいるころ重要な戦争遺跡である出雲市の旧海軍大社基地がちょうど壊されていました。戦時中の日本で250ヶ所以上作られた滑走路のうち2ヶ所しか現物が残されていない貴重なものです。
戦争の痕跡を忘れて僕は旅をしていて良いのだろうかと後ろ髪をひかれる思いで出雲から焼津に来ています。

出雲市にある旧海軍大社基地滑走路

しかし、戦争は先回りをします。
焼津に来てビキニ環礁で被爆した第五福竜丸のことを知りました。
知識として知ってはいましたし、ベン・シャーンの第五福竜丸の絵本のことも知っていたけれど素通りをしていました。

岡本太郎「明日の神話」 第五福竜丸の部分

東京経由で島根に帰る途中、渋谷駅にある岡本太郎の壁画「明日の神話」に第五福竜丸が描かれているのを見ました。
そして東京の夢の島には第五福竜丸が展示されていることを知りました。
新木場にある第五福竜丸資料館。
http://d5f.org/
知ってはいましたが足を向けることはなかった、目を向けることはなかった事実です。

新木場にある資料館で第五福竜丸の実物を見て、焼津に行けてよかったと思いました。
これを知らずに僕は生きてきたのだという後悔がわき上がります。
小泉八雲のことで向きあった焼津でしたが、今いる場所のことを深く、深く考えさせる切っ掛けになりました。

知らない場所が身近になること。そして点と点がつながること。それが旅の意味かもしれない。




さて、このワーケーションについていくつか書いておきたいことがあります。
滞在費支給、交通費と謝金は出さないという方針は諸刃の剣だなあと思うけれど成果を求めない滞在なんでこんなものかもしれない。
ただ長い目で見た成果を期待するならきちんとアーティストに謝金を支払わないと交流の質にはつながらないし、地元への何かの効果も期待できないと思います。
それ以上に危険なのはホストや地元の方とアーティストとのトラブルが起こった時に収集ができないでしょう。
これはとても悲劇だと思う。
つぎに思ったのはこちらはホストとアーティストの相性。
出会ってから何かが生まれるには6日間は短いですね。
共通して何か成し遂げるミッションがあるわけでもないので、つながりはよほど上手く出会わないとこれっきりになる。
僕はとても焼津の人たちにお世話になったわけですが、そのお礼を形に示したい。しかし、実際には非常にタイトなスケジュールで切り盛りしているホストに対して動いてもらう(会場の選定や地元とのすり合わせ、広報、集客とか)のはお礼ではなく負担にしかならない。
これは本末転倒なわけです。
どうしたら良いかなと考えてみるに、今回の場合はホストと共同でワークプログラム(作品展、ワークショップ、公演など)があるのなら実施予算を少額でも付けておく。
今後なら、ホストとゲストが何か継続してやりたい場合は予算措置をして、次年度以降で実施を助けるプログラムや補助を整備する。
これなら交通費なしの今回のプログラムでも場所や人と出会う、現地のリサーチをすると考えると悪くはないかな。
継続して事業をやるなら予算をきちんと確保してもらえるのが一番助かるし、成果が出しやすいと思います。
そして、僕は焼津小泉八雲記念館とのプログラムで今後も焼津と関わりがもてそうです。
また、個人的にはみんなの図書館 さんかく で本箱を借りました。50キロ以上離れた遠方の人用のブースでおそらく僕がぶち切りに遠方になるはずです。
ここを借りればそのまま、トリナスの応援になるし僕は少なくとも焼津に関わりを持ち続けることができるはず。
焼津に自分の場所があると思うとワクワクします。

焼津の最後の夜は天体観測会に誘われて参加しました。

プレアデス星団の美しさ。
望遠鏡をのぞくと一つの星が二つの青い星と赤い星だった。
オリオン座のベテルギウスの550年前に光った輝きが今、自分の網膜をすり抜けていく。
あの星は焼津からも出雲からも見えるはず。
はじまりがはじまる。
何かがはじまったのだと思います。


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