越智良江「この時間と旅路こそが 下田市までの道中」(1日目)

東京からゴトゴトと電車に揺られながら、伊豆下田の駅に向かいます。
今日から一週間のアートワーケーション。
劇作家・演出家の越智良江です。

アーツカウンシルしずおかさん、そして下田市さん、
まだまだ難しい状況の中、受け入れてくださって
感謝感謝です。ありがとうございます。

ごとごと、ごとごと。
電車の窓から外を眺めながら、尊敬するとあるプロデューサーの
言葉を思い出していました。

「この 向かうまでの道のり の効果」
「この道のりがなければ、お客さんの感動はまた違うだろう」

と。

向かうまでの道のり❓どういうことやねん。。。
と当時は思っていたのだけれど、今ではとてもよく分かるのです。

このなんてことのない、ただただ風景が通り過ぎるだけの道中。

いやいや、それだけではないのです。
近づいてくる高揚感。ちょっぴり不安のドキドキ感。
そんなものがぐるぐると渦巻く。けれども、
暗闇に溶け込んでいく自然の海と山影を眺めていると
なんだかとても懐かしく、あたたかく、ノスタルジックに、センチメンタルに
ホロリと涙が出るような気さえしてきます。

そんな道中。

近年、瀬戸内の島々や、新潟の山奥などでお仕事をさせていただくようになって、
このプロデューサーの言葉がとてもよくわかる。
道のりが シアターゲーム的な役割を果たす のだ。

演劇人にはお馴染みのシアターゲーム。
稽古や本番前にやることが多い。
経験上、本番前のシアターゲームは効果絶大だ。

シアターゲームは色々あるし、解釈ももしかしたら複数あると思われるが、
私は、「自分を(俳優さんを)ニュートラルにするためのモノ」 という
捉え方をしている。

さて、 道のり が シアターゲーム的な 役割を 果たす。

とはどういうことか。

お客さんは瀬戸内の島々に芸術を見に来るために、不便なフェリーに乗る。
その代わり、キラキラ光る宝石箱のような海を渡る。
新潟には作品を見るために、山の間を通る一両編成の電車に乗る。
まるで秘境に連れ去られるかのような山電車。
段々と空気が澄んで、美しい川のすぐ横を通る。

この不便で、美しい道中が、
お客さんの心身状態を ニュートラル にするのだ。
そして芸術を鑑賞する現地に着いたときには、その感性を 身体に入って くる。
そんな状態になっているのだ。

ニュートラルにする、とはどういうことか。
これも講師の言葉だったが、シアターゲームの効果の
とてもよくわかる例を出してくださって、

 「マラソンをして山の頂上に向かっているとして、
  一生懸命向かって、頂上についた。

 ホウッと息を着いて、山々を眺めた途端、
 今まで聞こえなかった鳥のさえずりや、川の流れの音が聞こえるようになる。

 いや、今までの道中でもきっと、鳥は鳴いていたし、川も流れていた。
 それを 受け入れる体の状態でなかったので、 聞こえなかっただけで、
 頂上について、心身がニュートラル
 (どこへでも行けるマニュアル車のニュートラルポジションのようなモノ)
 になったので、外から来るものを 受け入れられる ようになった。

 シアターゲームの効果はこういうものだ。
 セリフも動きも、何百回と稽古しても、
 今この瞬間に起こるものにしなければならない演劇。

 それを 受け入れられる 心身にしておく状態にするのが、シアターゲーム。

 くるぞーくるぞー❗️ というガチガチの体では、受け入れられない、
 むしろ バイン と跳ね返してしまうものだ。」

とても納得したのだった。

さて、話を戻して。
この東京から伊豆下田に向かう道中も、きっと同じなのだろう。

この切なく、あたたかく、そして不便で長い道のりがなければ、
きっと明日からの私はスポンジのように外から来るものを吸収することは
できないと思う。
大袈裟❓いやいや、そうでもない。

疲れて舞台を見ても楽しくないのと一緒だ。あれだ。
あそこはさーという粗探しをしてしまう舞台の見方と一緒だ。あれだ。

まずは私の シアターゲーム から始まった伊豆下田の
マイクロ・アート・ワーケーション。

心身はバッチリ。
下田市を吸収する一週間。
目標は発信とここで台本を書き上げる。

よろしくお願いします❗️

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