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菅原康太「旅の3要素(稲取滞在まとめ)」

MAW応募の動機


「旅人」として参加するという事に魅力を感じました。
そもそも私が写真を撮り始めたきっかけは旅。大学生の時はいわゆるバックパッカーで、「ASIAN JAPANESE(小林紀晴 著)」を読んで、写真や文章で表現する事に興味を持ち、一眼レフを購入しました。以降、紆余曲折ありましたが、写真で仕事をしていくと心に決め、独立してはや13年が経ちます。いわゆる商業写真と表現としての写真(または映像)をいったりきたりしながら活動していますが、旅をしながら写真を撮るということはしばらくやってこなかった気がします。カメラマンなので新しい土地に足を運ぶ機会は多いものの、ほとんどが仕事なので、「旅人」という感覚とは違うなと思います。
「旅人」になるというMAWの募集を見て、初心に立ち帰ることで今後の活動の方向性などが見えてくるのではないか、と大きな期待を持って参加することになりました。
結果、素晴らしい滞在となりましたが、事の詳細を書くよりも、滞在中に「旅」について考えていたので、滞在まとめとしてそのことを書いてみようと思います。

旅について


今回のMAW、自分にとっては20代のバックパッカーのような、紙の地図を持って初めていく土地への緊張感と心躍る気持ちが同居しながらの旅になる予定だったわけですが、いざ始まってみれば、現在の自分の生活スタイルというのはなかなか崩せないもの。気になる場所があればをすぐにgoogleマップで検索をかけたり、ホストの荒武さんと子育てと仕事の両立の話ばかりしていたりと、現在の生活や活動の延長のままに過ごしていたように思います。
そもそも仕事柄、普段から色々な地域に滞在することが多いため、当然、史跡などの観光名所巡りは自分の中では「旅」とは呼べず。あれ?そもそも自分にとっての「旅」感覚とはどういったものなのだろうと自問することになりました。

結論としては私にとって旅の要素は3つある気がしています。
 (1)人に会ってその人の人生と自分の人生が交差すること
 (2)土地に手垢が感じられること
 (3)予期せぬ空白の時間があること

(1) 人に会ってその人の人生と自分の人生が交差すること
大きく分けて次の3つの役割を持った人達に会いました。
 (a)ホスト (b)他の旅人 (c)現地の人

(a)ホスト
ホストの荒武さんやご家族と色々な話をしました。特に荒武さんが「本来、皆さんに話すべきことではないのかもしれませんが、、」と前置きして話したりされている様子を見て、「ああそうか、ホストを演じているのか」と思ったりしました。荒武さんという一人の人間の中にも、「ホストとしての荒武さん」「宿業などビジネスを回していく立場としての荒武さん」「超可愛い子供を育てるパパとしての荒武さん」…がいて、場面場面でそれぞれの顔が垣間見えて、忙しく右往左往している彼の姿が印象的でした(ごめんなさい)。当たり前ですが、人はそれぞれの立場を演じて生きているわけで、そう考えると全てが演劇みたいで楽しいなと思ったのです。

(b)他の旅人
同じ期間に同じ場所に滞在する旅人がいて、よーいドンでスタートとなると、それぞれがロールプレイングゲームの主人公みたいで、リアルなのにオンラインゲームみたいだなと思いました。皆がそれぞれの人生を歩んできて、いまここで同じ町でMAWというロールプレイングゲームをする仲間として集まる。
この仕組みは素晴らしいなと思いました。ここではそれぞれの方についての詳細は省きますが、他の方の活動や生き方を多少なりとも共有していただいたことはとても励みになりました。
しかもそれぞれが最終成果物を求められていないので、ふわふわした感覚だけを共有体験したという不思議な仲間にもなった気がします。
今後も皆さんの活動を追えればと思っています。

(c)現地の人
稲取の人はとにかくお喋りが大好き。つかまると2時間は帰れないなんていう話も聞きます、、、。
やはり漁師町特有で情に厚くて人との距離が近いのだなと感じました。
道端で人に話しかけたりもしてみましたが、「なんでそんなこと聞くの?」という不思議そうな顔をしながらも、聞いたこと以上の事を色々と話してくださる人がほとんどでした。
地元の愚痴を散々こぼした後に、「稲取のいいところいっぱい見て帰ってちょうだいよ!」と言って去っていったおばあちゃんがいて、印象的でした。

(2) 土地に手垢が感じられること
事前オリエンテーションの時だったと記憶していますが、ホストの荒武さんが「稲取の路地は面白い。生活が公共空間である道路にはみ出してしまっている」というようなことをおっしゃっていて、そこに魅力を感じていました。実際、網の目のようにたくさんある細い路地では、ご近所さんがお喋りしていたり、大量の魚をビニール袋に入れて歩いている人がいたり(おそらく漁師さんのお宅で、近所へ魚のお裾分け)、軒先の洗濯物はたくさん見えてしまっているし、御飯時にはあちこちでいい匂いがする。
道路という場所が文字通り公共空間になっていて、そこには自分と他者が空間を共にし、緩やかにつながっている感覚が心地よく感じました。
都会では生活空間はきっちり分けられていることが多く、大抵はプライバシーという名のもとに、生活しているかどうかもわからないくらいに家の様子は見えないことが多いです。自分も現在はマンション暮らしで、エントランスやエレベーターでの挨拶を除けばマンションの住民同士が会話することはほとんどありません(挨拶すらしない人もいる。会話しないと決めているのだろうか…)。
最近では都会のマンションでも共有スペースを多く取り入れたりイベントを行うなど、住民同士のコミュニケーションがとれるような工夫がなされているところも多くなったと聞きますが、コミュニティの醸成と言っても、何十年(何百年?)もずっとそうして生きてきた地域の人たちと比べたら、深度は桁違いだと思います。
なので、滞在先にその土地の人たちの生活の匂いや手垢のようなものが感じられると、嬉しくてたまりません。その事を再認識しました。

(3) 予期せぬ空白の時間があること
旅に出るということは日常からの解放でもあると思います。新しい土地に来たとき、初めの数日は色々なものが目新しく、時間はあっという間に過ぎますが、数日経つとやることがなくなってきます。私は3日目あたりにその感覚がきました。港で大量の鯖を釣る少年がいて、話しかけたら釣り方を教えてくれたので、そのまま「今日は釣りでもしようかな」と思ったくらいでした。
同じ日に同じ公園の足湯に2回入りました。
宿の軒先のベンチにただ座ってコーヒーを飲んでました。
海からの流れと川からの流れがぶつかるところをただただ見ていました。
コインランドリーを利用したとき、小銭がなかったために缶コーヒーを買ってお釣りを作ったのに、今度は乾燥機にかけようとした時にもまた小銭がなくて同じ缶コーヒーを2本飲んでくるくる回る乾燥を待っていたなんて時間もありました。
夜にぼーっと星を見る時間もそうだし、電車やバスを待つ時間などもそうかもしれません。日常の物理的・精神的な情報量から解放されると、突然予期しない時間がやってきます。
頭を休めたり、考え事をしたり、少し前にあった出来事を思い出したり、、、。
この予期せぬ空白の時間こそ旅の醍醐味な気がしました。

以上、旅を感じる3要素を書きましたが、今回の滞在はこの3つが詰まっており、とても「旅感」を感じるものとなりました。

これらの要素は実はどれもがこれからの生活や活動に生かせることだなと気がつきました。日常もどこか見方を変えたり、少し工夫するだけで非日常的になるかもしれません。


最後に


次はいつ行こうか…
稲取滞在が終わり、ホストの荒武さんに見送られて乗り込んだ帰りの伊豆急で考えていたことです。
滞在終了から2週間が経とうとしていますが、旅することや滞在先の魅力はこの言葉に集約される気がします。
そう思わせていただけたのは、まず出会った方々(ホストであるso-anの荒武さんご一家、藤田さん、地域の方々、同じ旅人の戸井田さん、町田さん、私道さん)との交流があったからだと思います。皆様ありがとうございました。
今でも稲取での旅の感覚に浸りたい気持ちでいっぱいです。
今回の滞在中、写真をたくさん撮りましたので、これを下記のインスタグラムで少しずつ出していくことにしました。
これが私の稲取での滞在感覚を少しだけ延命する方法です。フォローいただければ幸いです。
https://www.instagram.com/kazemachi_studio/

@kazemachi_studio