緊急・IBDが指定難病を外れる?

こんにちは、そふぁーです。
今回は緊急に書き下ろします。

1.IBDが指定難病から外れる?

 私は今まで IBD が指定難病から外れることは、政治的な側面から難しいと判断していましたし、今でも思います。しかし、医療経済学的に考えたときに IBD が国庫に与える影響は小さくなく、果たしてどこまで補助するべきなのか議論が出ていることは承知していました。
 ただ、こうした議論の内容を説明することは、私は問題があると思いお伝えしていませんでした。しかし、今回そうした議論が表面に出てきた以上、いい加減腹のうちにある言葉を出さねばなりません。相当の方から嫌われることを承知で敢えて言います。

『治療に甘えてはいけない』

2.患者に出来る事、国に出来ない事

 まず、今回の問題で非常に目に余ったのが
・消費増税は社会保障のためじゃないの!?
・指定難病の補助が無くなったら困る!!
 という声です。はっきり言いますが

IBD患者「助けてくれないと困る!!」

 という声は大きいですが

納税者or国「難病患者を助けると困る」

 という声をきちんと考えているか疑問です。今の難病に関する様々な議論で最も欠けているのが、後者の声を全く聴こうとしない患者の姿勢だと私は常々思っています
 国は相互扶助のシステムを円滑に進めるために存在するのであって、片務的に何かを助け続けるというのは継続性を考えたときに難しいという事を理解しなければなりません。つまり、出来ないものは出来ないという姿勢を国が打ち出したら、それは補助が終わるときという事です。
 対して患者は、一方的に補助を受け取るだけで何もしなくて良いというわけではありません。私は常日頃から正しい学びを推奨し続けてきました。病気を理解し、早期発見、早期治療、早期寛解、寛解維持を続けることは医療費を抑制し結果として制度の継続性を高めることに繋がるからです。

3.本当に必要ですか?

 私は今までに何度も UC における注腸製剤の重要性を訴えてきました。というのも、経口 5-ASA 製剤に比べて格段に高い濃度で患部に届く注腸製剤は本来非常に良い治療効果を発揮するはずだからです。
 しかし、報告では患者の約4割未満しか適正に使用していないことが分かっており、そこでコントロール出来ない方は本来注腸製剤でコントロール出来た筈の人でもバイオなどの治療へ移ることは想像に難くありません。
 さらに言うと、残薬はないでしょうか。注腸製剤、内服、自己注射など残っているにもかかわらず処方され、破棄される過剰な医療は国庫を圧迫しているという現実を医師会、薬剤師会は知っていますし報告もしています。

4.不満の前に自らの襟を正すとき

 注腸が嫌、エレンタールが飲めない、受診しに行くのが面倒くさい、民間療法をやっていたら悪化した、薬を飲むのが面倒くさい、検査が嫌、腸管洗浄液を飲みたくない、待ち時間が長い etc.......
 ネットを始めて2年、多くの不満を目にしてきました。
 その大半が、納税者からの貴重な税金で賄われているにも拘らず、病気という不幸にすべての責任を背負わせて、国の制度を当たり前と感じている現状は無いでしょうか。
 注腸が不耐で出来ない(5-ASA不耐)、狭窄が激しくエレンタールすら摂取不可能、災害ややむを得ない事情で受診出来ない、近くに専門医も消化器内科もない、腸管洗浄液で嘔吐したり体調が激しく悪化した等の仕方のない方々もいます。しかし、それだけではないのが現実でしょう。
 この事態を放置し続けたのは誰ですか。
 他でもない、我々患者達自身です。専門医らが相当な危機感を感じ、自分たちだけではマンパワーが足りないとコメディカルにも専門性を高めてもらい、患者にも知識を高めてもらい、安い治療法(ATM療法など)を模索する中で危機感が無かったのは寧ろ患者側です。
 指定難病があるから、補助してもらえるから、という安心感が慢心を生まなかったと誰が言えるでしょう。

 すでに事態は差し迫りつつあります。私が予測するよりも早く、危機的な状況が迫ってきたのは自分自身にも甘さがあったなと痛感せざるを得ません。

 何をすべきか。若い先生方にも先見性を持った人は居ます医師でなくとも非常に柔軟な発想力を持った医療従事者が居ることも私は知っています。権謀術策に長けた世代は現実的に力があります。と同時に若い人たちには軽いフットワークがあります。協力すべきは、その両者です。

 そして、一人一人が自らを正しく律し、適正な治療を受け、早期発見、早期治療、早期寛解、寛解維持を目指すことこそ制度存続の絶対的な肝です。

 弱音を吐くなとは言いません。

 ですが、座して待っていても助けてはもらえない事も自覚する必要があると私は思います。

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