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THE NEVER LAND

若く暗い時代。
「ネバーランド」と聞くと
私の脳裏には何故か【ラブホテル】が浮かんだ。

【ファッションホテル】ではない。
【レジャーホテル】でもない。

他の呼び名は知らないが、
そういう新しいものではなくて、【ラブホテル】

そう。
赤く重いカーテン。
丸い回転するベッド。
ところどころシミのあるワインレッドのカーペット。
やけに乾燥して鼻と喉に痛い空気。

ほら。始まった想像の中で私は
バスタブから溢れるままにした水音を聴きながら
回るベッドの上でピザを食べている。

口の周りを赤くベトつかせながら
「もっと汚れたい」と願っている。

汚して欲しいと、願っている………

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・

なんてね。
これは若い頃の私のハナシ。
今の私は「逃避所」をネバーランドだなんて思わない。

って事を相手に話したのは、
彼と「ピーター・パン」の話をしたから。

“彼”は母子ほどに歳の離れた私の可愛い子。
とは言っても、私の周りにはそういう若い子しかいない。
三十路を過ぎたあたりから、
何故か私はひとまわり以上年下の男の子に引っ付かれる様になった。

数ヶ月前。
彼がバイトするカフェでアイスコーヒーを飲んだのが始まり。

目が合って、「可愛い」と思ったから微笑んだ。
彼は驚き、
そして一旦引っ込んだ後、おずおずと連絡先を渡してくれた。

自分から連絡先を渡したくせに、彼はいつもこう言うのだ。

「こんなクソガキでいいの?クソガキでごめんね」って。

「私はね、ピーター・パンみたいよね。
 いつまでも中身が子供で。だからクソガキとしか恋が出来ない」

「貴女とどこか遠くに行ってしまいたい。どこがいいかな」

「そうね。私にはいつか行ってみたいネバーランドがあったのよ」

「訊いてもいい?」

「ラブホテル。ううん。そんなところいくらも行ったわ。
 でも違うのよ。「精神」と言う次元が違うの。
 不幸で、切羽詰まって居て、考えるのもイヤになって、
 愛してなんかいない男に連れ込まれるラブホテル……

 相手は早くヤリたくてイライラしていて
 でも私はお構いなしにピザを食べて服もカラダも汚すのよ。
 男は私にシャワーさせたいけれど、
 もう、この際汚いままでも押し倒してやろうかと焦れてるの。
 どうせ最後に洗えばいいやって。

 だけど私はこんなに幸せになってしまって、
 そのネバーランドには行けずじまいだったわ」

「・・・俺と行こうよ。
 いや、ラブホテルじゃなくてさ。
 ディズニーランドに一緒に行こうよ。
 人生経験も浅いクソガキな俺にとってはさ、
 あそこが一番ネバーランドに近いんだ。ガキっぽいだろ」

紫煙ごしに彼に微笑み、私は過去を語り始める。
彼は私の過去を引き出すのが上手だ。

「あの場所が出来たのは、確か私が小学2年生の頃。
 “子供会”の遠足でやっとそこに行けたのは、小学5年生の時だった。
 でも私にとってあの場所は、そんなに夢の国ではないのよ」

彼は私の掌(てのひら)に口づけながら
「訊いてもいいかい?貴女を知りたい」と先を促す。

キスの場所には意味があると教えた時から
彼はキスを使い分ける男になった。

A kiss on the hand is the meaning of respect.
(手の甲ならば敬愛のキス)
A kiss on the forehead is the meaning of friendship.
(おでこならば友情のキス)
A kiss on the cheek is the meaning of courtesy.
(頬っぺたならば厚意のキス)
A kiss on the lip is the meaning of love.
(唇ならば愛情のキス)
A kiss on the eyelids are the meaning of admiration.
(瞼ならば憧憬のキス)
A kiss on the palm is the meaning of plead.
(掌ならば懇願のキス)
A kiss on the neck or the arm is the meaning of desire.
(腕と首なら欲望のキス)
And others are the meaning of insanity.
(さて…その他ならば狂気の沙汰なり)


フランツ・グリルパルツァー 「接吻」より


「ええ、いいわ。不幸な事にね、
 子供会の子供の数も学校のクラスの人数もずっと奇数だった。
 あぶれた者同士ペアになる、と言う素敵な屈辱すら味わえなかったわ。
 私はいつも一人。夢の国に向かうバスの中でも、隣には誰も居ない。
 心の中で願ったの。誰かが通路をふさぐ補助席を開いて、
 【此処に座りなよ】って声を掛けてくれるのを。
 でもそんな子は居なかった。私は人じゃなかったの。
 皆にとっては臭くて邪魔なドブネズミ。
 勿論、バスを降りてからだって一人よ。
 あそこは私にとって、【夢の国ですら独り】なのだと
 私に思い知らせた場所なの。
 大人になってから幾度か友人や恋人と行った事はあるのよ。
 ええ、楽しかった。だけどネバーランドだと思うには、
 少し私は拗ね過ぎていたわ……」


彼は目を閉じ、大きく息を吸って吐く。そして告げる。

【行ってきます】

私も目を閉じ、胎児の様に丸まって言う。

【行ってらっしゃい。そして…向こうで待ってるわ】

今バスに乗ったよ。小さな貴女の隣の席が空いている。
嬉しいな。俺の為に空いてるんだね。

お菓子食べるかい?ポッキーをあげるよ。
美味しそうに食べてるね。

一緒に音楽を聴こうか。イヤホン片方貸してあげるね。
眠くなったらお眠り。俺がずっと抱いててあげる……

可愛いね。到着したから優しく起こすよ。
さあ、お姫さま。何に乗ろうか?何を見ようか?

彼はいつもこうして時空を超える。
私は彼の声を聴きながら、いつだって嗚咽を漏らしてしまう。


「ただいま。戻ったよ。ディズニーランドは嫌いかい?」

「ううん…もう遠い記憶だけれど。
 いつも突然現れるお兄さんと最幸の一日を過ごした場所だった事、
 たった今思い出したわ…」

彼が私を抱き起こしたら、
私は彼の首にすがって残りの嗚咽を絞り切る。

「よしよし。愛しい愛しい美しいひと。
 俺とディズニーランドに行ってくれませんか?」

「行くわ。でも…」

「でも、どうしたの?」

「君の腕の中。此処が私のネバーランドよ」

「嗚呼っ…!貴女が俺のネバーランドだ」


この世界にキスを捧げる。




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