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君が当たり前に眠れますように

「人は何時間眠らないでも大丈夫なのか知りたかったんだ」

昨日寝てないんだ、と何事もないように言ったその人に、どうして、と尋ねると、そんな答えが返ってきた。

中学だったか、高校だったか。いつだったかは忘れてしまった。覚えているのは、その人がその頃両親(おそらく特に父親)とうまくいっていなかったこと、それまでその人の持ち味だった音楽よりも絵を描くことの方に夢中になっていたこと、授業や部活をさぼるわけではないけれど、私にはその人がどこか「人生をさぼっている」ように見えていたこと。それくらいだ。

小学校時代からその人を知っていた。反抗期、ひねくれ期は私の方が随分早くきた。好きな男の子が転校することになって泣いて色々をさぼって帰ろうとしていた下駄箱で、唯一その人が声をかけてくれた。お大事に、だったか、気をつけてね、だったか。その人は、泣いてる子を見てあいつ泣いてるよ!とはやしたてる部類の男子じゃなかった。その人は、嫌みなく人に優しくできた。後日、「もう体調なおった?」と当たり前のように声をかけられた。私はそのとき何と答えたのだろう。ちゃんとありがとうと言えたのだろうか。

成績は私よりその人の方が少しだけ良かった。私は、数学と理科が大の苦手だった。わからず屋の私が理解できるまで、その人はずっとずっと月の満ち欠けと動きのことを教えてくれた。授業中は先生の方よりその人の方ばかり向いていた。やっと少しだけ分かるようになったくらいに、その人は言った。「考えてるときよくそれしてるよね、それかわいい。」気付かないうちにいつも私はシャープペンシルの頭を口に押し付けてゴリゴリしていたのだった。言われて知った自分の癖を、かわいいと言われてから意図的にやめた。大勢の女子が勘違いしてしまえそうな言葉を、その人は嫌みなく息するように発した。何故かまずいと感じた。私たちは必ず友達でいなければならない。私は油断しないぞと思った。そうやって私は学生時代、何度か気合を入れ直すことになる。

その人の魅力は、その人が別に女の子が好きとかちゃらいとかではなく、誰にでも、広く言えば全ての人間に、クリアで親切な態度をとることができるという点だった。それでいて、おそらくその人は他人に興味がなかった。興味がないから誰にでも丁寧に接することができるのかもしれない。その人の執着を見たことがなかった。見てみたかった。その人に、思春期の男子が好きな女の子によくするような、生ぬるいちょっかいをかけるのはいつも私だった気がしていたけれど、たまにその人も気が向いたように私と会話を始めてくれた。

小学校から高校まで同じ学校に通っていたけれど、大学が離れればきっともう会うことなどないだろうと予想はついていた。そうなる未来を、私はその人と仲良くしていたときから知っていた気がする。私たちの関係にいちばんあってはならないのが執着だった。と、私は思っている。場所が離れれば自然と他人になるくらいの浅い友人関係だった。ただの。そう、ただの。今だって、会いたくないと言えば嘘になるかもしれないけれど、会っても正直どうしようもない。人づてに、楽しくやってるってよ、と、適当な生存報告を聞くくらいが丁度良いのかもしれない。


それでも、私の学生時代に、その人の存在は確かに必要だった。その人は一度も私を否定しなかった。仲良しの子たちに何故かハブられてしまった時も、私がどんなに反抗期でひねくれていても、その人は真っ直ぐに適切な言葉をくれた。中学時代はその人のおかげでギリギリ学校に通えた。受験前のピリピリした時期もその人と話していれば素直に笑えたし、私に理科を理解させてくれた先生は、担当講師じゃなくて確実にその人だった。

賢い人にとっては息苦しいであろうコミュニティが世の中には沢山ある。その人はきっとずっと息がしづらいと思っていたのではないか。矛盾と理不尽にぶち当たってこんなコミュニティ早く抜け出してやる、と毎日泣いていた中学時代、私はいつもその人の背中を追っていた。私はいつでもかっこわるい抗い方しかできなくて、絶対に自分とは価値観が合わないと分かった上でその輪に入って結局疲れて傷ついて馬鹿みたいなこと繰り返してばっかりだったので、自分に合わないコミュニティはさっさと切り捨てて自分の興味を追求するその人のやり方はすごく賢く見えた。

その人は、私を独特のあだ名で呼んだ。誰も私をその呼び方で呼ばなかった。私はその人を、みんながその人を呼ぶのと同じような呼び名で呼んだ。その人は私に勉強を教えてくれた。私はその人に何も教えられるものがなかった。その人は私に鮮やかな言葉をいくつもくれた。私はその人に何かあげられたか。わからない。どうしてその人が私にあんなに良くしてくれたのかわからない。他の女子のように私がその人に好意を持ったり、キャピキャピしたりした雰囲気がなかったからただ接しやすかっただけかもしれない。


人は何時間眠らないでも大丈夫なのか知りたかったんだ、とその人は言った。分かんないよ。あの後、ちゃんと眠れた?今はちゃんと眠れてる?人は疲れすぎると眠れなくなるんだよ、しっかり寝なね。

今もしその人と会ったとしても、昔のような雰囲気で話すことなどないのだと思う。大人になるってそういうことなのか。思い出は年をとらないし、日がたつにつれて何故か綺麗になってしまう。もしかしたらもう、半分は私の美化した記憶になってしまっているのかもしれない。それならもうそれでいい。きっともうその人には会わない。今日もその人が当たり前のように眠り、どこかでその人らしく生きていればいいなと、始発の電車の中でふと思う。


ゆっくりしていってね