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頑張る、って言葉は難しいね

こんばんは。片耳のオルゴールアレンジャーゴリィです。この名乗りになったということは、軸足が「オルゴールアレンジ」「オルゴール作曲」に移りつつあることを暗示していますね。とはいえ、色々やっていくのは変わりません。僕のことはサイトで。

さて、今回は「頑張る」という言葉について。以前受けていたカウンセリングの先生の話なんかも紹介します。


「心」と「魂」

3年ほど前まで、カウンセリングを受けていました。東京の先生が週に何度か仙台の事務所に来てお話ししていました。「カウンセリングセンター聴心館」というところです。Facebookがあります(ウェブサイトは現在使用していないようです)。

心には『意識』と『無意識』がある」という話はサイトの「トドメガネのメンタルヘルス」でも書いていますが、それとは別に「心」と「魂」があるそうです。

「心」は「エゴ」、「魂」はもっと純粋なもの。例えば、「〇〇したい」というものは「魂」でも、それにこだわり過ぎると「エゴ」が出てきて自分の負担になり、うまくいかない原因になる、ざっくりこんな感じです。

ちなみに「トドメガネのメンタルヘルス」で「自分はこうありたい、を持つ」という回がありますがこの話も完全にカウンセリングの受け売りです(笑)。


意思の強すぎる言葉は「エゴ」になる

例えば僕の場合、「生きること自体に価値があることを届けられる人間でありたい」が今のスタンスです。でも、そこに決意はありません

「決意」は意志が強すぎるからです。

もともとカウンセリングを受けるのは「こころ」に何かの困りごとがある人なので、あまり負担をかけると「心」がポッキリ折れてしまいかねないからです。

なので、精神的に安定しているときはできるだけ「強い言葉」は使わないようにしています。「正しい・間違い」(クイズは仕方ないけど)、「正義」とか。「決意」もそうですね。精神的に焦ると強い言葉を使っちゃうんですよね。だから悪循環。

さて、ここまでは前段です(笑)。本題はここから。


「頑張る」って実は「強い言葉」だが・・・

あるとき、先生と話していたとき「頑張るって言葉も強い表現なんだけど、なんて表現を変えるか難しいんですよね」という話題になりました。

で、翌週の冒頭に「先週の頑張るって話だけど、強いて言えば『チャレンジする』かなぁ」と先生。なるほど。確かに「チャレンジ」だと自発的に足が前に出やすい感じ。「頑張る」よりは相当柔らかくなりますよね。

今の僕の置かれた立場で言うと・・・

A.2ヶ月弱で10曲オルゴールアレンジ完成するように頑張らなきゃ

B.2ヶ月弱で10曲オルゴールアレンジ完成するようにチャレンジしなきゃ

さあ、どうでしょう?

そもそも「B」の「チャレンジしなきゃ」って言い回しがおかしくないです?チャレンジは義務感でやるものじゃないですよね。と考えると、「頑張る」より「チャレンジする」の方が「精神的に軽い感じ」になりますよね。

僕は、今「A」の心境です。正直、ムチャクチャ焦ってます💦。でも、「B」に言い換えてみるとなんか一歩踏み出すのがサラッとできそうな気持になります。

・・・なんてことを、僕がアレンジ担当した「IWAFUNE HIROKI ORGEL CD 1」を聴きながら思ったりしています(普通はアレンジ担当は自分で言うもんじゃないんですが、発注主がラジオで大々的にしゃべってるので笑)。


「頑張る」にもいろんな意味が込められている

一口に「頑張る」といっても色々ありますよね。

まさに追い込まれて「力をふり絞ってやる」のも「頑張る」ですし、やったことがないこと、不慣れなことに勇気を出して「一歩踏み出してみる」も「頑張る」です。

地味な作業を飽きずに「コツコツ続ける」のも「頑張る」。目標を達成するための道をあれこれ「試行錯誤する」のも「頑張る」、定まったっ道を「努力してみる」のも「頑張る」。

パッと思いついただけでも「頑張る」にはこれだけの解釈があります。どれも微妙に意味は違いますし、言い換えも必ずしも「チャレンジ」ではないものもあるかもしれません。


頑張った結果は、「新しい自分になる」

では、頑張った結果はどうなるでしょう。どれをとってみても、「やらなきゃ」や「やりたい」が「実現する」こと。つまり、自分にとっては経験したことがないことを経験したこと。それが「成長」かどうかは分かりませんが、「頑張る前」とはちょっと違った自分になる、ということはいえます。言い換えれば「新しい自分」(おっとだんだん岩船カラーになってきたぞw)。

もし、「実現しなかった」としても、それはそれで「失敗」というものを得ます。これも、実は得たものがあるのでやっぱり「新しい自分」なんですよね。

僕が大好きな考え方に「失敗学」というのがあります。「成功学」ももちろん学ぶものがありますが、成功談って「成功した人のもので自分でできるものではない」と遠いところに考えがちです。「失敗学」は自分の失敗から学ぶことなので、自分のものになりやすい分、僕は「失敗学」のほうが実は役立ちやすいと思っています(両方やるのが一番ですけどね)。


まとめ:頑張るは新しい自分に出会うチャレンジ

大雑把に言うと、「頑張る」は「新しい自分に出会うチャレンジである」ということができます。

あ、やっぱ「チャレンジ」なのか。さすがカウンセリングの先生。

今僕はまだ精神的に不安定なので一歩踏み出すのに腰が引けまくっています。前述の「オルゴールアレンジ」は「やろうと思ったときにやらないといい出来にはならない」と思い込んでいるので手がついてません。

でも、「乗り気じゃないときに作った自分に出会うチャレンジをしよう」と思えば、乗り気じゃない今からでもできなくはありません(時間的に今日はダメか)。

「頑張る」には「頑張ろう」と「頑張らなきゃ」があります。「頑張らなきゃ」は言葉が強くなってしまうのです。「チャレンジする」に「チャレンジしなきゃはありません

ただ、ここで「失敗学」が出てきます。僕はなんでも全力投球して歌もイラストも書も一流に仕上げた「史上最強の凡人(本人談)岩船ひろき」を目標にしてきましたが、僕の精神では破たんが待っていました

だから、「チャレンジのしかた」自体も模索していくことになります。これも、新しい自分に出会うチャレンジのひとつ。

なんだか今回はカウンセリングの先生と岩船さんの話が妙にシンクロしたのでおふたりの受け売り話をもとに自分なりの解釈に落ち着きましたが、皆さんは皆さんなりの解釈でいいと思います。それで自分の心が軽く頑張れるのなら、それでいいんです。

それでは、今回も最後までご覧くださりありがとうございました。

轟RADIO「こころいろ」

https://gory.jp/koko


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