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僕がヘルプマークを外した理由

こんばんは。「ゴリィの由来は後藤リーダー」のゴリィです。先に書いておくと、身体障害3級(心臓)、精神障害2級(双極性障害)、そして左耳が聴こえない、とヘルプマークをつける要件は満たしている人間です。

そんな人間がちょっと冷めた目で見た「ヘルプマーク」と「その逆の意味のマーク」についてです。


ヘルプマークは本来非常に有意義

僕もある時期までは「ヘルプマーク」を付けていました。しかし、ちょっと思うことができてしまい、外しました。これは僕の思想のことなので、後述します。

ヘルプマーク自体はとても有意義なものだと思います。義足とか、見えづらい障害(困りごと)を抱えている方にとって、このマークの意味が浸透すればきっと生きやすい社会になると思います。

実際、Twitterにはそのようなエピソードが時々載せられていて、見ている僕もほっこりすることもあります。

ヘルプマークは、困りごとがある人が付けるマークです。困りごとはマークの裏側に貼り付けることになっていて、それに応じた「やさしさ」を差し伸べるというものです。例えば、席を譲ってあげたり。

僕は「1区間だけバスに乗る」というのに使いましたねw。


ちょっとドン引く主張

そんなヘルプマークを浸透させようとさまざまな皆さんが活動なさっていて、非常に頭の下がる思いです。ただ、地道に活動なさっている方が多い割にはイマイチ浸透していないのがもどかしいところです。

ただ、「当事者」はしばしば「やり過ぎる」ことがあります。

ある障害のお持ちの方が自分がヘルプマークを持っていることを書いた上で、「私のような(病名)をお持ちの方が困っているときには・・・」といって専門的な対応のしかたを並び立てているのです。

これは、僕から見ても「無理っ!」って思いました。主張の敷居が高くなればなるほど、受け入れる側の拒否反応が強くなります。これは、ヘルプマークをつける側のモラルとして、「何かお困りですか?とお声がけください」くらいに敷居を低くしないと、見て見ぬふりをされることになりかねません。


行政のやり過ぎ

行政や民営の交通機関でよく見かけるのが、「優先席」にある「ヘルプマークをつけている方に席をお譲りください」の表示。一見、何もおかしくないのですが、よく考えると「ヘルプマークをつけている人全員が別に席を必要としているわけではない」のです(別に「お声がけありがとうございます。大丈夫です。」ってお礼だけ言って譲ってもらわない、で済む話ですが)。

昔、名古屋の地下鉄に乗っていたときに「障害者手帳」を取り出し「どけっ!」という仕草をしている方を見たことがあります。お年寄りの方で同じ行為をしている人は、名古屋でも仙台でも見たことがあります。

仙台のバスでは、乗れない人が出るくらい混んでいるバスなのに優先席には誰も座っていない、なんとなく「座っちゃいけない雰囲気」が若い人(そのときは女子高校生でしたが)にありました。で、乗れなかった人が高齢者だった、っていうちぐはぐ。

今、優先席の周辺にはいろんな人に席を譲ってください、と書いています。「病気の方もご利用ください」とご丁寧に。さて、20歳の若者が病気で優先席に座っています。目の前には優先席に座りたいヘルプマークをつけた方がいます。

20歳の病気の若者に非難の目が集まるのは間違いないですよね?そこに違いはないはずなのに。

この矛盾を感じたのが、ヘルプマークを外すことになった理由のひとつです。


ヘルプマークの逆のマークが2種類ある!?

「ヘルプマーク」はデザインが規格化されています。実は「ヘルプマークの逆」(私は困っている人を助けますよ)というマークが存在しているはご存じでしたか?

しかも、2種類のマークがそれぞれ普及活動をしています。今回は「2種類」あることに疑問を感じているので、どちらのマークも紹介しません。

ひとつは、「サポートハートマーク」と呼ばれるもの。有償で配布している他、「自作」もできるようダウンロード(無料)できるようになっています。

もうひとつのマークは「サポートマーク」。こちらのほうがSNSでの宣伝が活発ですね。こちらは調べてみると缶バッチなどすべて有償での頒布になっています。

どちらも、まだ規格として認められたものではありません。

さて、ここで問題。なぜ、2種類のマークが存在しているのでしょうか?

僕は、ある種の「偽善」だと思っています。特にお金を取っているのであれば。

それぞれがお互いの存在を知っている。統一規格にすべく協同するのが「助けを必要としている人」にとっては自然な姿。それをしていない以上、活動されている方はそう思っていないにしても、第三者から見れば「偽善そのもの」です。そう批判されないためにも、統一の方向で動いてもらえると嬉しいです。

さらに、「ヘルプマーク」着用者の中に、「サポートマーク」も一緒に付けているという方々も現れ始めました。個人の自由なので否定をするつもりはありませんが、第三者から見たらどっちが「お困りごと」のマークなのか、「お助け」のマークなのか、もはや分からないですよね。

これも、「当事者」が実態以上にそれぞれのマークの意味が浸透していると考えてのこと。「当事者のやり過ぎ」のひとつです(否定するつもりはないって思いっきり否定しちゃってますね)。

気持ちはものすごくわかるんですよ。でもね、世の中そこまで進んでないから、どうどうどう。そんな気持ちで見ています。


まとめ:「人」としての「原点」は何か?

僕は、2つの問題点を感じています。

まず、「助けてください」と素直に言えない風潮(意思表示できないって方もいらっしゃるかもしれませんが)。もうひとつは、「何かお困りですか?」と声をかけられない風潮。

「優先席」の設置が義務付けられる前に、横浜市営地下鉄は「この電車は全座席が優先席です」と言っていたそうです。僕は、それが自然なありようだと思っています。

困っているときに「助けて」という、困っている人を見たら「助ける」、それが人間としての本来のありようだと思いませんか?その、本来のありようで生きられない社会ならもういいよ、と思い僕はヘルプマークを外しました

思い返せば、「道徳」の時間にこういう基本的なことってやったっけ?と思い出そうとしているのですが、「何かお困りですか?」という声のかけ方までは絶対に教えられていないと思います。

もし、これを読んだあなたが、明日から目の前に「困っている」人を見かけたら、ためらわずに「何かお困りですか?」とお声がけしてあげてください。

怪しい人をみかけたら、迷わず110番してください(笑)。いやさ、今日いたのよ、スーパーに。もう警察の人来てたけど(笑)

最後までご覧くださり、ありがとうございました。今回はこの曲を紹介して締めたいと思います。

「奇形蝶」岩船ひろき

ゴリィの轟RADIO「Sante Mentale」"木漏れ日散歩道"(25)


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