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「私が絶対に正しい」のコワさ

今回は、「私が絶対に正しい」という人物について。何度かこういう人たちに遭遇しましたし、自分自身がこの役を「演じさせられた」こともあります。今回はそんな話を。


絶対に関わりたくない集団

過去に名指しで批判してそこのリーダーからDMが来たので今でこそ名指しはしませんが、とあるジャンルの趣味の集団がいまして、そこのひとりが僕のツイキャス配信を仕切り始めて・・・というときがありました。

客観的にみると僕のツイキャスにその「集団」を大勢呼びたかったみたいで、あるとき突然キレましてね。ああ、もうこれは続けられないと思った僕はわざと次の回を開催し、参加者にいちゃもんつけて「強制終了」させました。

まあね、クイズのやつなんですが、多いですよねそういうの。3回くらい「私が絶対に正しい」に遭い3回目で壊れましたよ(笑)。

ただ、おかげでクイズ色が少しずつ薄くなってきた「轟RADIO」は良い仲間に支えられています。


自分は「だいたい合っている」か?と自問自答する

まず、僕は「正しい」「間違い」という言葉はあまり使わないようにしています。それこそ「クイズ」では使いますが。「正しい」=1「間違い」=0という考えに陥るからです。双極性障害を持っているとそういうことは意識的にその考えを取らないようにしています。

僕は「自分の考えはだいたい合っているか?」という0コンマいくつの余白を持って考えています。そして、週に1度くらいは必ず立ち止まって考えます。「note」を書いているときなんかはしばしばその機会になっています。Facebookもそうかな?

他の皆さんもそうだと思いますが、「note」でも他のブログでも、「私はこう思っています」ということを書くじゃないですか。なので、僕は「note」を書くときはその書く題材に対して、「自分の思いはだいたい合っているか」というのを確かめながら書いているので、自分の考えを自分で見直すいい機会になっています。

これも、冒頭に書いた「私が絶対に正しい」という人たちと二度と関わらないようにしよう、と思ってからのことです。クイズ色を薄めた以外にも、こんな気付きもくれました。ありがとう(笑)。


「自分は絶対に正しい」人の弊害

「自分が絶対に正しい」と思う人がいるコミュニティは、「誰かが止めない限り」遅かれ早かれ崩壊の道をとると思っています。

まず、周囲の人間が疲れます。衝突して追い込まれていけばいずれメンタルヘルスケア上の問題を起こしてしまう可能性もあるでしょう。

いっぽう、「自分が絶対に正しい」と思っている本人も苦しむことになります。だって、絶対にそんなことはないのだから。なので、周囲との軋轢や自分の思い通りにならないことへの怒りなどで、やはり精神をすり減らしていき、メンタルヘルス上の問題を起こしてしまう可能性もあるでしょう。

だから、「誰かが止めないと」、周囲の人や本人が壊れてしまい、その影響を受けた人たちに連鎖して崩壊してしまう可能性があるのです。

その誰か。それはコミュニティの主です。「自分が絶対に正しい」と思っている人間を友人や知人が指摘するのは難しいと思います。会社組織のような「縛り」のある組織でもない限り、強い権力を持って追い出すしかないでしょう。で、追い出したあとにその人間を主人公にした新しいコミュニティのお手伝いをすれば円満解決でしょう。


「自分が絶対に正しい」を強要されることがある

僕がメンタル不調を起こした会社(正社員として最後に在籍していた会社ではない)で、こんなことがありました。強権的にやっていた上司が突然外され、その担当していたプロジェクトが自分の責任になり、期限も迫っていたので「強権的」を貫くしかありませんでした。

つまり「自分が絶対に正しい」と振舞うこと。

怖いもので「そう振舞っている」と思っていた自分自身が本当に「自分が絶対に正しい」思考に陥っていたんですよね。僕の場合、周囲が思い通り動かないではなく(思いのほか順調に動いて成果も半年で出た)、周囲との関係の悪さでもなく(案外仲は良かった)、それが「偽った自分」(本当はみんなで一緒にやりたいタイプ)だったためにメンタル不調に陥ったのです。


現在の僕

結論から言えば「正しいときもあれば、違っているときもあって、違っていたら謝る」スタイルです。

もうひとつ、「自分の核となっている部分になっているものは譲らないが、枝葉のものはどんだけでも譲る」ですね。そして、その「自分の核」は「だいたい合っているか?」という自問自答をしています。

この記事も「人(自分)との向き合い方」の話題、これは「核」になる部分なので、何度も書き直しながら書いています。

自分の「核」になるところを偽ってしまうのはメンタルヘルス上好ましくないのは自分が経験した通りです。そして、自分の「核」になる部分は通したいもの。ただ、通したいものであるからこそ「核」にあたる部分は「本当にこれで合っている?」という自問自答は繰り返しています。

ちなみに「相談」は7割方自分の意向が決まっているとき、そして「GOサイン」が出るとの想定のもとでのみしています。踏み出す一歩の最後の一押し的な意味合いですかね。

9割方自分の意向が決まっていれば相談もしません。


まとめ

「常に自分が正しい」という考えは、他人も自分も傷つけます。「自分が正しい」かどうかはときどき「自問自答」したほうがいいです。そして、自分の中の「核」が何かはきちんと押さえておき、「枝葉」の部分で自分の正しさを主張する必要はありません。

ただ、自分を偽るのはNG。自分の「核」となる部分のことは主張すべきはちゃんと主張しましょう。偽り続けると僕のようにメンタルヘルス不調を起こしますよ。

というわけで今回はこの曲を紹介しておしまいです。

「エゴ泥棒」岩船ひろき

ゴリィの轟RADIO"Sante Mentale"(木漏れ日散歩道:第21回)


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