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池袋


 夜道。前を往く車のブレーキランプがずっとついている。点滅ではなく点灯。しかも結構な下り坂で40キロほどの速度は出ている。ああ、ずっとブレーキを踏んで下っているのか。これでは、暗い道での急ブレーキ対応は危険が伴うので、車間を開けこちらは2速と3速でエンジンブレーキを使い、遠目にその車を追っていた。幸い後続車はなく、私はのんびりと丘を下りた。何事もなく街道に出たが、3分程はかかる下り、前方車は常にブレーキを踏んでいたのだが、おそらくいつもこのような運転なのだろう。ブレーキパッドの減りもさぞかし早いに違いない。ハイブリッド車だったと思うが、環境に配慮するなら、ブレーキパッドの粉塵も考えるべきだな、とその車は私が右折するところで、直進していった。
 私が自動車教習所に通っていた四十年ほど前はまだAT車限定免許も無く、常にマニュアル車で教習を受けた。普通の減速ならエンジンブレーキというのが基本だった。確かにAT車はシフトチェンジかオーバードライブを使わないとエンジンブレーキは効きづらいのだが、AT教習ではそういうことは習わないのだろうか?
 ここ十数年、自動車の運転マナーがだいぶ変わってきたように感じる。ウインカーを出さずに曲がったり、車間は十分なのに前に入ってきていちいちハザードつけたり、右折車線信号待ち車間空けすぎで追越車線まで車が伸び、青信号で速やかに直進できなかったり、車の流れはスムースなのに走行車線と追越車線の車が同じ速度で並んでいたり、対向車もそこそこあるのにずっとハイビームだったり、とにかくそのような運転の乗用車を毎日のように見かけている。
 おそらく私はこの先もガソリン車であろう。そしてこだわりではないが出来ればマニュアルが良い。高齢者による暴走事故もマニュアル車だったら防げた事案も少なくないはずだろう。
 このところ毎日のように横浜まで運転している。かつては多摩川沿いを進み、第三京浜で往くことが多かったのだが、今回は常に一般道を使っている。三日ほど連続で同じ道を通ったのが始まりだが、それほどの渋滞も無く、だいたい所要時間は1時間50分から2時間15分。車線変更の交差点も覚えたので、スムースに安全に運転に集中できる。
 さて、その横浜への目的だが、舞台『ジャズ大名』のリハーサルである。この芝居は役者と同じ舞台でバンドが生演奏をするのだ。原作小説や映画のことは各自お調べあれ。これを書いている現在はまだ稽古中だが、12月9日にいよいよ初日の幕が開き、来年1月の兵庫、愛知、大阪での公演まで続く。とても躍動感のあるフライヤーデザインだが、この雰囲気いやそれ以上の熱気が溢れることになるだろう。ご期待されたし。

 そして今回の音楽監督は関島岳郎さん。かれこれ三十数年のつきあいとなり、現在でもストラーダやホープ&マッカラーズやシカラムータの現場では必ず会う。昔からジェントルな方で彼の音楽と演奏の8割はそれが貫かれている。では残りの2割は?と聞かれれば、それは演奏を生で接すればわかることだ、と答えよう。ホープ&マッカラーズでのマゴットブレインでのリコーダーソロはいつもとんでもないことになっていて、もともと宇宙メドレーと称してサン・ラとファンカデリックを気軽に繋げただけだったのだが、そのリコーダーは果てしない宇宙空間を何度も旋回して、消えてしまったり、地中深くに潜り込んだり、はたまた見知らぬ何かと交信しているかのような神々しさがある。そう残りの2割は人間に対するジェントルという形容動詞ではなく、この自然界を想起させる大きなものがその演奏には現れる。もはやこの匿名性の極みに私も私を忘れることすらある。とは言え、そんなことを感じさせながらも常に太い一貫もあるのだ。
 芝居の音楽というと、時間的制限も多く、楽曲の構成もきっちりと決まることが多い。ただそのような中でも、今回は演奏者ののりしろは計画的にまたは半ば無計画に、計算いや無計算、の場面も少なくない。そこは我々を信頼してくれている関島さんならではで、上演中に変化して純度が上がることは間違いない。初日と千秋楽ではおそらくかなり変わってくるのだろうと、今からワクワクしているのだ。

 とはいえ、劇判ともいうべき場面もあるので、同じメロディーが繰り返し何度か出てくる。その都度アレンジが少しずつ違うので、その辺りはきっちりこなさなければならない。仕事上決められたことを治めていくことは慣れているとも言えるが、久しぶりの長丁場なので、楽しく集中力を上げていこうではないか。そこで横浜に通うときの運転中の音楽はフランク・ザッパ一択となった。第6集まで出ている『You Can’t Do That On Stage Anymore』全CD12枚を備に聴いているのだ。vol.1、2は入手当時はかなり聴いていて覚えていたのだが、3以降は割と記憶が希薄でその分新鮮に楽しめる。1980年代のザッパは作品が多くどれがどれだったかが自分のなかでは結構曖昧になってしまっている。しかし改めて聴きなおすと、高度な演奏技術は言わずもがなだが、それを感じさせないエンターテイメント性に舌を巻く。特にvol.4のアイク・ウィルスの存在は効いていて、The Evil Princeは車中で何度もリピートした。スタジオ録音は『THING FISH』所収だが、こちらのライヴの方がなによりウィルスの歌唱の素晴らしさが伝わる。そうそう、80年代中頃はジョニー・ギター・ワトソン参加もあったよな、と『Meets The Mothers Of Prevention』も聴いてみる。もちろんワトソンならではの冒頭曲だが、シンクラヴィアものに混じって人力中心の複雑なインストもあり、これは当時気づけなかった味わいだ。ただミックスはちょっと不自然というか意図的というべきか。
 『ジョーのガレージ』所収「Packard Goose」から以下。

情報は知識ではないし、知識は叡智ではない。叡智は真実ではなくて、真実は美なんかじゃない。美は愛ではないし、愛は音楽じゃない。音楽こそが最高のもの。

 と、このような日々で師走をむかえているのであるが、少し前の秋が深まった頃に久しぶりの方から連絡があり、まあ諸々今後の仕事の展望含め、会うことになり池袋で飲むこととなった。
 電車で降り立つ久しぶりの大都会。夕方の池袋はこんなにも人が多いのか、と単純に驚く。夏以降コロナ禍の感覚は薄れてはきているが、私はまだ通常ではマスクを欠かさない。しかし、西武池袋線を降りると、自ずと人の流れは東口に向かい駅前にでる。そしてその流れに逆らわずに進むともう信号の前だ。ウイルスが無くなったわけではないが、人間のこの行動は、もう仕方のないとある日常であり不思議な感覚も味わう。
 今年、池袋には何度か来ている。何よりここには桜井家の墓がある。両親も存命で、二つ下の妹も健在だ。しかしその下の弟の一周忌がこの夏だったのだ。なんとも声の良いお坊さんの読経なのだが、この夏はマスク越しで少し不明瞭だったのが残念だった。まあとにかく暑い日、静かに経が始まるまで待機していたこともあり、こんなに蝉の声を意識したのもこの夏の一番だった。と、呑気にそんなことを思い出してもしまったが、この立派な寺そして立地、と維持費はかかることだろうな、と人ごとのように弟への一日を過ごした。

 そこそこ具体的ではない仕事の話は気が楽だし、展望への期待もまだ曖昧だが、夢を語るような楽しい時間にも似ている。店はいつの間にか満員だ。

 その酒場は駅前の通りに面し然程古くはないが人気店のようだった。しかも満員になってもうるさくはない。団体客はなくせいぜい4人組が最大のようだが、だいたいテーブル、カウンターも2人くらいで仕事帰りの団欒のひと時の発散の場が垣間見える。それでいて、まだ酒が飲める歳になったばかりであろう若者から夕方のささやかな晩酌を一人で楽しむ高齢者まで年齢層は実に幅広い。良い店だということは間違いはない。うるさくはないがもう少しひなびてて良い、というのが個人的には好みだというだけだ。
 久しぶりの話は楽しい。この日は十数年ご無沙汰のHさんだったが、なにより話のテンポが良い。思い出話にも引き込まれる。こういう方がいたからこそ私達の仕事は成り立っていたし、面倒なことはすぐに解決してくれ、また次の現場にも快く向かえたのだ。
 具体的な話はなかった。私もそれで良かった。退店で席を立って外に向かうと、入店待ちの列があり、皆若者だった。軽く会釈して外に出る。気持ちの良い秋の夜、もう一軒の欲を抑え帰路の電車に乗る。読書で過ごした車内だったが、いつの間にか眠りに落ちてしまった。気がつくと目的の自宅最寄り駅を一つ過ぎていたのだが、駅を降り歩いて帰った。

桜井芳樹(さくらい・よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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