見出し画像

【アーカイブス#100】トム・ラッセルの50年の歴史。深く豊かな世界から学ぶことがいっぱい。*2020年1月

最近トム・ラッセル(Tom Russell)が作った「マンザナール/Manzanar」という歌を日本語にして歌い始めた。1993年にトムが発表した『Box of Visions』というアルバムの中に収められていた曲で、その後トムは1997年のアルバム『The Long Way Around』の中にもケイティ・モファットと一緒に歌っているこの曲のライブ・バージョンを収録しているし、2007年に発表されたジョニー・キャッシュやランブリン・ジャック・エリオット、ジェリー・ジェフ・ウォーカー、デイヴ・ヴァン・ロンクなど14組のミュージシャンや詩人がトムの歌を取り上げたり、詩を朗読し、トム自身の歌も4曲収められている『Wounded Heart of America(Tom Russell Songs)』という彼へのトリビュート・アルバムの中でも、ローリー・ルイス(Laurie Lewis)が「マンザナール」を取り上げて歌っている。

しかしぼくがもう25年以上も前に発表されたトム・ラッセルの古い曲を2020年の今改めて歌いたくなった直接のきっかけは、彼のたくさんのアルバムを改めて聞き直していたからではない。トムはトムでもトム・パクストンが2001年に発表したアン・ヒルズ(Ann Hills)と一緒にオリジナルだけでなくマルヴィナ・レイノルズやリチャード・ファリーナ、ボブ・ギブソン、ギル・ターナー、ケイト・ウルフなどさまざまなフォーク・シンガーたちの曲も取り上げて歌っているアルバム『Under American Skies』をたまたま聞き返していて、その中に収められている多くの曲がうんと昔に作られ、アルバムも20年近くも前に作られているにもかかわらず、2020年の今の時代に強く響いているように思えたからだ。とりわけ「マンザナール」とギル・ターナーが1964年に作ったアメリカの公民権運動の闘争歌「Carry It On」がぼくには強く響き、すぐにも日本語の歌詞にして自分のライブで歌い始めたのだ。

マンザナールとはカリフォルニア州のシェラネバダ山脈のふもとのオーエンズヴァレーにある地名で、太平洋戦争が始まって1942年3月、ここに日系アメリカ人の強制収容所が開設された。正式名称はManzanar War Relocation Centerで、当時はマンザナール戦時轉住所と訳されていた。ここに収容された日系アメリカ人の数は最大時は一万人を超えていた。アメリカには同じような日系アメリカ人の「戦時轉住所」こと強制収容所が全部で10か所あった。
トム・ラッセルの「マンザナール」は、マンザナール戦時轉住所に強制収容されたナカシマさんという日本からアメリカへの移民のことが歌われている。ぼくが訳して歌っている一番の歌詞は次のとおりだ。
「彼の名はナカシマ/誇り高きアメリカの国民/日本を離れたのは1927年のこと/ぶどうやオレンジを摘んで働き/金を貯め店を開いた/そして始まった太平洋戦争が」
そして最後の歌詞でトムは強制収用から半世紀が過ぎたナカシマさんの現在を歌う。「アメリカに移り住んだことを悔やんではいない/でも月の出ない冬の夜/星に願いをかけてしまう/あの屈辱や悲しみを忘れられたら/マンザナールでの」

それこそもう80年近くも前のことが歌われている歌だが、トム・バクストンとアン・ヒルズの歌う「マンザナール」を聞いて、日本のこと、アメリカのこと、移民のこと、戦争のこと、差別のこと、ヘイト・スピーチのこと、尊厳とは、忠誠とは、愛国とはと、今直面しているいろんなことにぼくは思いをめぐらさずにはいられなくなり、この歌を今日本語で歌ってみたいという気持ちになったのだ。それは同じアルバムで改めて聞いたギル・ターナーの「Carry It On」に関しても言えて(高校生の時によく聞いたジュディ・コリンズの1965年のアルバム『Fifth Album』の中でとても気に入っている曲だった)、1960年代の、アメリカの、公民権運動の歌だったが、今の日本の歌として日本語で歌いたいと強く思った。

今回はトム・パクストンとアン・ヒルズの歌で再発見したトム・ラッセルの歌「マンザナール」のことから書き始めた。いつになく今もあちこちで日本のフォーク・ソングを歌い続けている自分のことばかりを書いて変則的な内容になってしまいそうだが、このあたりで軌道修正をしなければならない。実は今回書こうとしているのは、トム・ラッセルのことなのだ。
トム・ラッセルはアメリカのウィキペディアによると1947年か48年、ロサンジェルスの生まれで、カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校を卒業した後、1969年にナイジェリアで教職につき、スペインやノルウェーでも暮らし、プエルト・リコではサーカスで音楽を演奏していたということだ。
本格的な音楽活動を開始したのは、1970年代前半で、カナダのヴァンクーバーのドヤ街のストリップ・バーで歌い、その後テキサスに移り住んで、シンガーでピアニストのパトリシア・ハーディン(Patricia Hardin)と男女のデュオを組んで活動するようになった。
1977年にハーディン&ラッセルのデュオは活動の場をサンフランシスコに移し、二枚のアルバムを発表するが、79年には解散。トムは音楽の世界から一歩身を引き、80年代に入るとニューヨーク・シティに引っ越して小説の執筆に挑戦したりタクシーの運転手をしたりしていたが、やがてギタリストのアンドリュー・ハーディン(Andrew Hardin)との出会いがあり、トムの歌に強く心を奪われた彼は一緒にバンドを組んでまた音楽活動を始めるようトムを説得した。もう一人トムを音楽の世界へと引き戻した人物がいる。シンガー・ソングライターで詩人やグレイトフル・デッドの作詞家としてもよく知られているロバート・ハンター(Robert Hunter)だ。たまたまロバートがトムのタクシーの客となった時、トムが彼に自分の歌を歌って聞かせ、その歌に感動したロバートがトムを自分のライブに呼んでステージに上がらせ、そのこともまたひとつの大きなきっかけとなって、彼はまた音楽の世界へと戻っていった。

再び音楽の世界に戻ったトムはソロのシンガー・ソングライターとして、あるいはトム・ラッセル・バンドとして、はたまたさまざまなミュージシャンたちと一緒になって多彩な活動を展開するようになった。活動の場所もアメリカだけにとどまらず、ヨーロッパ各地にも及んだ。
ハーディン&ラッセル以降のトム・ラッセルのアルバムとしては、1984年のデビュー・ソロ・アルバム『Heart on a Sleeve』以降、2019年の最新作『October in the Railroad Earth』まで、全部で30枚にも及ぶ作品を発表している。その中にはブルース・シンガーのバレンス・ウィットフィールド(Burrence Whitfield)やニューヨーク出身のシンガー・ソングライターのグレッチェン・ピーターズ(Gretchen Peters)、それにザ・ノーウェジアン・ウィンド・アンサンブル(The Norwegian Wind Ensenble)と一緒に作ったものがあるし、よく知られているシンガー・ソングライターやバンドのメンバーも数多くゲストとしてレコーディングに参加している。

トム・ラッセルの音楽は幅広く、奥深く、バラエティ豊かで、変化に富むもので、敢えて音楽のジャンルやスタイルを持ち出せば、フォーク、ロック、ブルース、ソウル、カントリー&ウェスタン、カウボーイ・ソング、ロカビリー、トラディショナル、テックス・メックス、アメリカーナなどなど、すべてが網羅されていると言ってもいい。時代によって、一緒にやるミュージシャンたちによって、そしてその時にトムが強く心を奪われているものによって、あっちへ行ったりこっちに来たり、柔軟に変化している。

1998年夏に日本でP-Vineレコードからリリースされた『The Long Way Around』の遠藤哲夫さんの解説の文章によると、トム自身の音楽遍歴について、「マール・トラヴィスやジョー・メイフィス、マドックス・ブラザース&ローズなどの西海岸のカントリー/ヒルビリーを聴いて育っている。家がトパンガ・キャニオンに小さな牧場を持っていたので、カウボーイ・ソングに親しみ、ベイカーズフィールドを代表するバック・オーエンズ、マール・ハガードのカントリーは勿論のこと、ボブ・ディラン、イアン&シルヴィアといったフォーク・アーティストを通して曲を書くことに興味を覚えていった」と記されている。
 
どの時期のトムも、どんなスタイルのトムもぼくは大好きなのだが、とりわけ気に入っているアルバムはと言えば、トム・ラッセルのアメリカン・トリロジーと呼ばれているフォーク・オペラ三部作だ。1999年の『The Man From God Knows Where』、2005年の『Hotwalker』、2015年の『The Rose of Roscrae』の三部作で、ヨーロッパからアメリカへと移り住んだ自分の先祖の旅路や音楽遍歴が、数多くのゲストを迎えて壮大なスケールで描かれたり、アメリカでの過ぎ去った青春時代の思い出が音楽的なコラージュとしてアヴァンギャルドに描かれたりしている。
中でも詩人で作家のチャールズ・ブコウスキーとの交遊関係から生まれ、ブコウスキーだけでなくジャック・ケルアック、レニー・ブルース、エドワード・アビー、デイヴ・ヴァン・ロンク、ランブリン・ジャック・エリオットなども取り上げ、「A Ballad For Gone America」というサブ・タイトルが付けられている『Hotwalker』が、ぼくのいちばんのお気に入りの一枚だ。

前述したようにトム・ラッセルはシンガー・ソングライターやミュージシャンとしてだけではなく、小説やエッセイなどの作家としても活躍していて、『Paint and Blood』、『120 Songs』、『Ceremonies of the Horseman』『And Then I Wrote: The Songwriter Speaks』(イアン&シルヴィアのシルヴィア・タイソンとの共著)といった著書もある。アメリカのウィキペディアによると、トム・ラッセルとチャールズ・ブコウスキーの書簡集も出版されているとあったが、その本はどこを探しても見つけることができなかった。
またトムの活躍は絵画の世界にも及んでいて、自分のアルバムのジャケットに自分が描いた絵を数多く使っているし、『The Ballad of Western Expressionism』や『Blue Horse Red Desert/The Art of Tom Russell』といった画集も発表している。また彼のウェブサイトにはアートのページがあり、そこからやマーチャンダイズのページから彼が描いた絵や絵やポスターの複製、画集などを購入することができる。

ミュージシャンにして作家にして画家のトム・ラッセルの変化に富む味わい深く壮大な世界。その歴史は半世紀を超えている。これからも彼の数多くの歌に耳を傾け、「マンザナール」だけでなく、ほかの歌も日本語にして歌い、彼の音楽や表現、生き方や人となりからいろんなことを学び、これからの自分の歌の世界をもっと豊かなものにしていけたらとぼくは願っている。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

midizineは限られたリソースの中で、記事の制作を続けています。よろしければサポートいただけると幸いです。