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【アーカイブス#93】何としても見たい、2019年3月のジョン・グラントの東京キネマ倶楽部コンサート。*2018年12月

ぼくが今最も注目しているシンガー・ソングライターの一人、ジョン・グラント(John Grant)が来年2019年3月に日本にやって来て、7日と8日の二日間、東京鶯谷の元キャバレーのライブ会場、東京キネマ倶楽部でライブを行うニュースが伝わって来た。チケットの発売は12月8日から、先行予約は11月23日からということで、早速先行予約をしたのだが、予約が取れたかどうかわかるのは今日30日ということで、わくわくどきどきしている。
ジョン・グラントの来日公演は来年の3月が初めてではない。2016年4月にレコード会社のホステス・エンターテインメントのイベント「ホステス・クラブ・サンディ・スペシャル」、そして同年8月のサマー・ソニックの中でのイベント「ホステス・クラブ・オール・ナイター」に、何組も出る出演者の一人として日本にやって来ている。その数年前からぼくはすでにジョン・グラントの世界に夢中になっていたのだが、スケジュールが自分のライブと重なって、残念ながらどちらのイベントにも足を運ぶことができなかった。単独での来日公演は来年の3月が初めてとなり、つまり彼の歌や演奏がたっぷり聞けるということで、どうかチケットが手に入りますようにとぼくは祈り続けている。

ぼくがジョン・グラントを知ったのはかなり遅くて、昔から大好きなシンガー・ソングライター、シネイド・オコナー(Sinead O’Connor)が2012年に発表したアルバム『How About I Be Me(And You Be You?)』で、ジョンの曲「Queen of Denmark」をカバーして歌っていたからだった。1987年のデビュー・アルバムでシネイドの歌に衝撃を受けたぼくは、その後も彼女が新しいアルバムを発表するたびに必ず手に入れて耳を傾け続けていたが、2012年のそのアルバムは特に気に入って何度も繰り返して聴き、中でも「Queen of Denmark」という歌に強い興味を覚えた。
「わたしは世の中を変えたいけれど/自分の下着すら変えられない」という印象深い歌詞で始まる歌で、ぼくは作者のジョン・グラントという人物が気になって色々と調べてみた。そして彼がアメリカのシンガー・ソングライターで、ソロになる前はザ・ツアーズ(The Czars)というオルタナティヴ・ロック・バンドで長く活躍していたことをようやく知ったのだ。
「Queens of Denmark」は、ジョンが2010年に発表したソロ・デビュー・アルバムの『Queen of Denmark』に収められていた。早速そのアルバムを手に入れてジョン・グラントの歌を聞き、すっかり心を奪われたぼくは遡ってザ・ツアーズ時代のアルバムを全部買い求め、そして『Queens of Denmark』以降の彼のソロ・アルバムも追いかけるようになり、今やすっかり彼の歌の世界の虜となってしまっているのだ。

ジョン・グラントは、1968年7月25日(ぼくと同じ誕生日だ!!)、ミシガン州のブキャナンという街に生まれ、コロラド州のパーカーという街で育っている。父親はエンジニア、母親は専業主婦のメソジスト教徒の家庭だったが、早くから自分のセクシュアリティが他のみんなとは違っていることに気づき、学校では精神的にも肉体的にもさまざまないじめを受け、その頃の冷酷で不条理な体験が、その後の彼の歌の中で大きなテーマを占めるようになった。
1980年代後半、二十歳の頃にジョンはドイツに移り住み、そこで語学の勉学に励み、何か国語も堪能になった。1994年にはアメリカに戻って、デンヴァーを本拠地にオルタナティヴ・ロック・バンドのザ・ツアーズを結成した。
その後10年間、ザ・ツアーズはライブ・ツアーにレコーディングと活動を続け、その音楽を高く評価する者も多く、熱心なファンを獲得していったが、「商業的」な「大成功」を収めるまでには至らなかった。
ザ・ツアーズとしては、1996年のデビュー・アルバム『Moodswing』から、『The La Brea Tar Pits of Routine』(1997)、『Before…But Longer』(2000)、『The Ugly People VS The Beautiful People』(2001)、『Goodbye』(2004)、そして2005年のラスト・アルバム『Sorry I Made You Cry』まで、全部で6枚のオリジナル・アルバムを発表し、ずっと後、2014年にはベスト・アルバムの『Best Of』が編纂された。
ザ・ツアーズ時代、ジョン・グラントは音楽活動に邁進しながらもドラッグやアルコールの過剰摂取、それによる精神的な落ち込み、肉体的な疲弊と闘い続けた。バンド解散後ジョンはニューヨークに移り住み、ウェイターをしたり得意な語学を活かして病院で通訳をしたりしながら新しい曲を作り続けていたが、その時期にテキサスのオルタナティヴ・ロック・バンド、ミッドレイク(Midlake)のメンバーと知り合ったことがきっかけとなってレコーディングを開始し、再び音楽シーンに戻ることになった。

そうして2010年に完成したジョン・グラントのソロ・デビュー・アルバム『Queen of Denmark』は、ジョンが長年ファンだったコクトー・ツインズ(Cocteau Twins)のメンバー、サイモン・レイモンド(Simon Raymond)のレーベル、ベラ・ユニオン(Bella Union)からリリースされた。ジョンはザ・ツアーズ時代からすでにサイモンと知り合っていて、サイモンは二枚のザ・ツアーズのアルバムをプロデュースし、ベラ・ユニオンからリリースしている。
ミッドレイクのメンバーと一緒に作られた『Queen of Denmark』の評価は高く、とりわけイギリスをはじめとするヨーロッパ各国で絶賛され、イギリスの音楽雑誌『Mojo』は、このアルバムを2010年のベスト・アルバムに選んだだけでなく、ジョン・グラントをベスト・ライブ・アクトにも選んでいる。
その後演奏旅行を通じてアイスランドに心を奪われたジョンはアイスランドのミュージシャンたちと深く交流し、アイスランド語も学び、やがてはアイスランドに住居も構えるようになった。そして2013年、アイスランドのエレクトロ・ポップ・グループ、ガスガス(GusGus)のビッギ・ヴェイラ(Biggi Veira)のプロデュースと参加でセカンド・アルバムの『Pale Green Ghost』が完成した。
2014年10月にジョンはサルフォードのメディア・シティでBBCラジオ・ミュージック6のためにBBCフィルハーモニック・オーケストラと共に演奏を行い(フィオナ・ブライス編曲、クリストファー・ジョージ指揮)、その全容が『John Grant and The BBC Philharmonic Orchestra:Live In Concert』という2枚組、16曲収録のアルバムとしてリリースされた。そして2015年にはジョン・コングルトン(John Congleton)のプロデュースのもとアメリカのテキサス州ダラスのスタジオで録音されたサード・アルバム『Grey, Tickles, Black Pressure』がリリースされた。

ぼくがジョン・グラントを知ったのはシネイド・オコナーが彼の歌「Queen of Denmark」をカバーしたことによってだったが、ジョン自身もシネイドがカバーしたことによって、彼女と親しくなり、その後自分のアルバムやステージで彼女と一緒に歌うようにもなった。もちろんジョンはシネイドのことを彼女がデビューした頃からよく知っていて、30年前にコロラドのボウルダーのダンス・フロアーで「Mandinka」を聴いて大ファンになったということだ。
「わたしのためにストレートになって」とシネイドがジョンに言ったというエピソードもある。その時ジョンは「彼女のためならそうしてもいい。そうしない者などいるだろうか」と答えている。

そのシネイド・オコナーだが、ジョンの2013年のセカンド・アルバム『Pale Green Ghost』では、「It Doesn’t Matter to Him」、「Why Don’t You Love Me Anymore」、「Glacier」の3曲にヴォーカルで参加している。そしてアルバムのミュージシャン・クレジットには、「Sinead O’Connor(Mrs John Grant)」と記されている。これはいったいどういうことだろう?
ジョンがライブでもシネイドと一緒に歌ったことがある「Glacier」は、ぼくが最も好きなジョンの曲のひとつだ(そういえば2016年のロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたジョンのコンサートでは、彼はこの曲をカイリー・ミノーグとデュエットしていた)。
「氷河」というタイトルが付けられたこの曲でジョンは、自分なりの人生を生きようとしても、まわりの人たちから「おまえのやっていることは許されない、おまえは病気だ」と罵られ、蔑みの目やひどい言葉に傷ついている人たちに向かって、「この苦痛は氷河のようにあなたの中を通過して、深い谷間を切り刻み、見事なまでに美しい風景を作り出す。貴重な栄養を与えて大地を肥やす。だから何もかもうまくいかず、とんでもなく厳しい目にあっているように思えても、恐怖に凍りついてしまったりしないで」と、強く優しく厳しくあたたかく歌いかけている。
この曲にかぎらず、ジョン・グラントの歌はどの歌も少数者、虐げられている者たち、爪弾きにされている者たち、差別されたり蔑まされている者たちの側に立ち、醜い現実を見つめ、四文字言葉をいっぱい使って痛罵しつつも、マイノリティに勇気と希望を与え、共に前に進もうとしているものが多い。彼の歌はそれと同時に正直で個人的な歌が多く、それもぼくはとても気に入っている。

ジョン・グラントは今年2018年の秋に最新アルバム『Love Is Magic』を発表した(クリープ・ショウというプロジェクトをジョンと一緒にやっているベンジやミッドレイクのポール・アレキサンダーとの共同プロデュース)。エレクトロ・ポップ色がかなり強いものの、これまでと変わることのないジョン・グラント独自の世界が堪能できると、これからアルバムをじっくり聴き込もうとしていたところ来年2019年3月の東京キネマ倶楽部でのジョン・グラント単独コンサートのニュースが飛び込んできた。

そしてその来日公演の情報でぼくは初めて知ったのだが、フィギュア・スケーターの高橋大輔さんが『John Grant and The BBC Philharmonic Orchestra:Live In Concert』に収録されている「Pale Green Ghost」を、今季のフリー・スケーティングの曲に使っているということだ。それで高橋大輔さんのファンがジョン・グラントのコンサートのチケット争奪戦に参加し、先行予約のチケットの倍率が高くなってしまっているのだろうか? 11月30日のお昼現在、先行予約が出来ましたという連絡はまだ来ていない。
来年3月のジョン・グラントの単独公演は、何としても見たいぞ!!

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html


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