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【アーカイブス#98】冷たい世界をあたたかな炎で包むジョナー・トルチンの歌。*2019年11月

『Fires For The Cold』、今年2019年9月にリリースされたジョナー・トルチン(Jonah Tolchin)の最新アルバムのタイトルだ。ジャケットは厚いコートを着た二人の男がドラム缶で燃やされる火のそばに立って暖をとる姿が線画で描かれている。「寒い思いをしている者たちに炎を」、要するに困窮している人たちにあたたかい助けの手を差しのべようと訴えているようにも受け取れる。このアルバム・タイトルの言葉は今は亡き詩人、メアリー・オリヴァーの言葉から取られていて、「寒い思いをしている者たちに炎を、それは絶望して途方に暮れている者たちに差し伸べられるロープ、飢えてひもじい思いをしている者たちのポケットの中のパンのことでもある」と、ジョナーは説明している。
『Fires For The Cold』というアルバム・タイトル、ジャケットはドラム缶の裸火の前で寒そうにしている二人の男の絵、これは今のアメリカのことを、アメリカ社会の中で虐げられている弱者たちのことを歌ったトピカルなフォーク・アルバムではないのかと思ってぼくはジョナーのこの新作を聞き始めたのだが、確かにそういうふうにも受け止められるものの、それ以上にアルバムの内容は彼の個人的な体験や彼の中で渦巻くさまざまな感情がこれまで以上にリアルに、率直に歌われているものだった。というか、ジョナーは極めて個人的な体験や感情を歌っているのだが、それが彼個人の世界の中だけにとどまり、内へ内へと向かって行くのではなく、それらが外にも向かい、多くの人たちの同じような体験、延いては今のアメリカが抱えている社会問題とも重なり、そのどれもが聞き手の共感を呼ぶ歌になっているとぼくには思えた。

『Fires For The Cold』のリリースに合わせてアメリカのメディアやインターネットに登場したさまざまな記事を読んでみると、ジョナーはこのアルバムに取りかかるまでの数年間、人生で最悪の時期を過ごしていたということで、それこそ絶望のどん底まで追いやられてしまったらしい。そのいちばんの理由となったのが離婚で、愛する妻と別れることになり、彼はその苦しみと悲しみで心身ともにボロボロになってしまったのだ。
ボロボロに傷ついてしまった自分を癒すために、そして自己セラピーとしてジョナーは曲作りに取り組み、一つずつ新しい曲が生まれ、それが『Fires For The Cold』へと繋がっていった。
「ぼくは何か特別な反応を得ようとしたり、誰か特定の人を喜ばせようとしたり、そんなことを考えて曲を作ったりはしない」と、ジョナーは語っている。「自分自身のために作るだけで、自らの感情の奥深くに何があるのかを突き止めることが重要なんだ。同じような問題をほかの人たちも抱えていて、このクレイジーな世の中で生きていく上で誰もが自分の存在意義を見つけ出すしかない。答えを見つけ出そうと目を外に向けていたこともあったけど、いちばん重要なことはいつだって自分の目の前にあって、そこに焦点を当てればいいんだ。そしてぼくが語る個人的な話に聞き手がそれぞれ自分の個人的な体験を重ね合わせてくれたらいいなと願っている」

今年27歳になるジョナー・トルチンにとって『Fires For The Cold』は4枚目のアルバムとなる。ジョナーはニュージャージーの生まれだが、ミシシッピのレコード・ショップで働いていたという父親から音楽的な影響を受けていて、とりわけ強く心を引かれたのがブルースだった。
15歳の時、ジョナーが楽器屋で演奏していたところ、有名なブルースマンのロニー・アール(Ronnie Earl)の目にとまり、彼からランチに誘われ、ステージで一緒に演奏することにもなった。「こんなブルースの伝説的な人物に認められるとは」と、彼は自分も音楽の道に進めるかもしれないと勇気付けられた。高校ではアンクル・フランズ・ブレックファスト(Uncle Fran’s Breakfast)というバンドを組んで活動を続け、高校を卒業すると大学には進まず、ソロのミュージシャンとしてあちこちを歌って回り始めた。

20歳になるかならないかの2011年、ジョナーは『Eldawise』というEPを、そして翌2012年には『Criminal Man』というデビュー・アルバムを自主制作で発表した。デビュー・アルバムのタイトルは15歳の時に彼が初めて書いた曲の名前が使われている。アルバムの曲はラジオでも取り上げられ、徐々にその存在を知られるようになった彼はその年の夏には有名なニューポート・フォーク・フェスティバルにも出演した。
2013年には元ローン・ジャスティスのマーヴィン・エツィオーニをプロデューサーに迎えて『5 Dollar』というEPを作り、翌14年にはマーヴィンのプロデュースのもと『Clover Lane』という二枚目のアルバムを完成させた。そしてそのアルバムからジョナーのアルバムは自主制作ではなくYep Roc Recordsからリリースされることになり、2016年に発表された三枚目のアルバム『Thousand Mile Night』は、三たびマーヴィンをプロデューサーに迎え、オーティス・レディングやウィルソン・ピケット、アレサ・フランクリンなどがレコーディングをしたことでよく知られるアラバマの伝説的なスタジオ、マッスル・ショールズで録音されている。

ソロのシンガー・ソングライターとして活動を続けながら、ジョナーは2017年にシンガー・ソングライターでドラマーのケヴィン・クリフォード(Kevin Clifford)と二人でダーマソウル(Dharmasoul)というデュオを結成し、2018年には最初のアルバム『Lightning Kid』を完成させ、時間が許せばデュオでのツアー活動も展開するようになった。それと同時にジョナー・トルチンとして、「Every Dream Can Become a Nightmare」、「The Grateful Song(Thanksgiving)」、「Drift Away」と、次々とシングル曲も発表していたが、前述したように私生活ではとんでもなく辛い日々を過ごしていたのかもしれない。

そんな絶望の日々から抜け出そうと、自分自身への救済や癒し、自己セラピーとして書かれた曲が集まると、ジョナーはスタジオに入った。今回はエンジニアでもあるシェルドン・ゴンバーグ(Sheldon Gomberg)が共同プロデューサーとなり、レコーディングには、リトル・フィートのフレッド・タケット、ニッケル・クリークのサラ・ワトキンス、ペダル・スティール・ギターやワイゼンボーン・ギターの名手、グレッグ・リース、実力派ドラマーのジェイ・ベルローズ、それにギタリストのベン・ペラーなど錚々たるミュージシャンが参加している。
そうして完成した『Fires For The Cold』は、ブルース色が強かったり力強くロックしていたそれまでのジョナーのアルバムと比べ、最も穏やかで素朴で親密な、内省的な作品という印象を与えるものとなっている。しかし何度も繰り返し耳を傾けていると、その私的で朴訥とした世界が、決して自分の中だけで完結していたり、自己満足で終わっているのではなく、共感や共有を求めて外に向かって大きく開かれていることに気づかされる。そしてこれまでのジョナーのアルバムの中で最も力強くて逞しい作品だということにも気づかされるのだ。

『Fires For The Cold』には、全部で10曲が収められていて、そのうちの9曲はジョナーのオリジナルだ。「Supermarket Rage」(「今の時代、自由はただではない/量り売りをされている」)、「The Real You」(「ほんとうのあなたをわかる人なんて誰もいない/大きく息を吸い込んで自分自身を愛するんだ」)、「White Toyota Ranger」(「ぼくはヒーローを探し求めている/信じられる誰かを」)、「Turn To Ashes」(「もう死んで灰になってしまいたい」)、「Honeysuckle」(「沈む夕日のように愛する人に手を差し伸べて」)、「Wash Over You」(「何とかして笑おうとしているんだ」)、「Day By Day」(「それでもしゃきっと立とうとしているよ」)、「Timeless River」(「永遠に流れ続ける川は/どこにもたどり着かず/ぼくを解き放してくれる」)、「Maybe I’m A Rolling Stone」(「ぼくは天使にも悪魔にもなれる/一つの立場だけに立つような人間じゃないんだ」)と、個人的でありながらも、自分を取り巻く大きな世界にも繋がって行く歌を作って歌っている。

そしてアルバムの中で唯一のカバー曲がリトル・フィートの「Roll Um Easy」だ。ジョナーは14歳の頃に親友で音楽仲間のルーカス・ハムレン(Lucas Hamren、後にジョナーの二枚のアルバムのレコーディングに参加している)の父親からリトル・フィートやジャクソン・ブラウンの音楽を教わり、それ以来いつかはレコーディングしたいと思い続けていた曲のひとつが「Roll Um Easy」だった。それが今回のアルバムのレコーディングにリトル・フィートのオリジナル・メンバーのフレッド・タケットが参加してくれることがわかり、やるなら今しかないということになった。しかもコーラスにはジャクソン・ブラウンとリッキー・リー・ジョーンズが参加している。
話題性ということから言えば、ジャクソン・ブラウンとリッキー・リー・ジョーンズがコーラスで加わったリトル・フィートのこの名曲のカバーがいちばんとなるのだろうが、ぼく個人の感想を言わせてもらえば、このアルバムに関してはジョナーのオリジナル曲があまりにも強烈で素晴らしいものばかりなので、逆にこの話題曲がその中に少しだけ沈んでしまっているように思える。

ジョナー・トルチンの通算4作目となる最新アルバム『Fires For The Cold』は、BSMF RECORDSを通して日本でも発売されていて、注文すればどこででも手に入れることができる。ジョナーの歌の世界に触れ、彼が以前に発表したアルバムにも耳を傾けてほしい。
ジョナー・トルチン、まだ27歳、これからがうんとうんと楽しみな若きシンガー・ソングライターだ。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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