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立川


 立川は馴染深い街である。東京は東の隅やその端の川を渡ってすぐの千葉県最西部で育った私だが、当時の成人年齢に達した頃からこの立川近辺には時折出向くことが少なくはなかった。学生バンドの仲間が横田基地への引き込み線も近い砂川の西のはずれの森の中に住んでいて、よく遊びに行ったし、その頃からの付き合いになる妻の李早は大学の向こう側はすぐに武蔵村山市という西武線沿線の立川市に部屋を借りていた。私はその後瑞穂町の旧米軍ハウス・ジャパマハイツに転居し、現地直行のアルバイトでしのいでいたが、1~2週間に一度そのアルバイト先の立川の事務所に行かなければならなかった。税務署のすぐ近くで、その先には競輪場もある辺りだ。当時学生だった李早の友人の多くも大学近くより多少便利な立川市街地周辺に部屋を借りていたようで、とにかくよく車を走らせた。砂川何番を左に、なんてだいたい彼女のナビゲーションだった。もちろんまだモノレールが出来る前のことで、西武拝島線の武蔵砂川駅の開業前後の頃だ。立川通り西側、立川基地の跡地の辺りは少しの廃墟以外は何もなかった。その辺から五日市街道に出、少し下ると砂川闘争の場所に旗が揚げられているのがよく見えた。その旗も今はない。
 瑞穂時代はなんだかんだと買い物は立川が多かった。駅北口正面は伊勢丹はおろかペデストリアンデッキもまだ無く、左は高島屋や第一デパート、その先には今は場所が移った四つ角飯店が現在の斜向かいで本当の四つ角にあった頃だ。南口にはあまり行かなかったが、人の波の割にはかなり道が狭かった印象が頭の片隅に残っている。四十年近く前のことだが、私には知る由もない戦後の猥雑さを思い起こさせる風景だった。その時は公証役場に行かなければならない用事だったのだが、その建物の格調の高くない古めかしさとそこにいる人々から醸し出されているであろう地域性を感じ、それらを含めた雰囲気との記憶なのだろう。
 もちろん楽器店にもよく足を運んだ。今でも立川通り沿いにあるTOM’Sや出来たばかりだったかのイシバシ楽器の二店くらいしか覚えがないが、福生の楽器店とはまた違う品揃えで、弦やピック等の消耗品の調達には立川の楽器店の方が自分には合っていた。大分経ってからだが、消費税が施行されるぎりぎりで二台目のテレキャスターを買った。ハカランダ指板で22フレットの国産もの。これは今でも時折使っているもので、南口の宮地楽器だったはずだ。

 その後、杉並に移り立川からは遠のいたが、時々福生あたりにドライブがてら出かけることもあった。五日市街道をのんびり走り、国立や立川に寄ることも多かった。モノレールの建設も始まっていた。

 再び多摩地区に戻り、またしても立川は身近になった。モノレールは運賃は少し高いがなかなかに便利だ。基地跡地の再開発で車道は広く快適になり、駅南側へのアクセスも容易い。ディスク・ユニオン、好みの銘柄が揃う煙草屋、オリオン書房、安価なコインパーキング、何軒かのハードオフ、等々、ちょっとした用事で出向いても欲が出る街だ。映画もだいたい立川。そしてちょっと離れているが、最近ギター弦のバラ弦を何度か買いに伺っているファゼイ・スティール・ギター・プロダクツ。日本におけるスティール・ギターの総本山といえるこの店も立川市は旧日産の南側にある。四十年ほど前は車で走っている時に偶然見つけた町工場風情の工房だったが、今は建屋も大きくなり、スタジオも完備している。藤井さんもまだまだお元気で時折のライヴ活動も続けておられる。
 そんな馴染み深さなのだが、実はこの街での演奏の機会はさほど多くない。記憶に新しいと言っても、もう六年程前だが、スライド・ショーの高田彰とスーマーとのライヴを砂川七番のギャラリーで行ったことがあった。それ以前は確か南口のお店だったと思うが、もはや記憶は曖昧だ。そして、今回は六年ぶりに立川で演奏することとなった。

 SNSにて10月10日にNRQのライヴが立川で行われることを知ったが、場所の明記がかなったので、ギタリストの牧野琢磨さんに直接聞いてみたところ、旧米軍ハウスの庭で行われるパーティーで予約の方のみに場所をお伝えするシステムとのこと。ちょっと心当たりがあったので、もしかしてSさん?、と問い合わせると、そのとおりであった。Sさんは今年の春の浮(米山ミサさん vo,ag)と高岡大祐 (tuba)、私 (ag) のトリオのライヴを観に来てくれて、その時に久しぶりにお会いしたのだが、以前私のギター教室に来ていた方である。だったらギターの一本は絶対にあるだろうし、立川でのNRQはアコースティックセットとのことなので、牧野(ここからはいつものように呼び捨て。彼も私のギター教室に来ていたのだ。)に連絡し、飛び入り要請をしてみた。すると、飛び入りじゃなく、半分ゲスト参加でお願いします、アコースティックセットはドラムがないだけでいつものNRQです、との返信があり、この度ゲスト参加と相成った。ちなみに対バンはワダマンボさん、彼に会うのはずいぶん久しぶりのことで、楽しみにその日を待った。

 10月10日は晴れる確率が高い日と言われているが、前日からその日の午前中は雨だった。あまりに酷い天候だと中止とのことだったが、どうやら午後には回復に向かい気温も上がるという予報。だが、昼過ぎは曇り空でまだ肌寒かった。
 多摩モノレールの高松駅ほど近くの会場近辺は、以前はもっと多くの旧米軍ハウスがあった。この辺りのハウスにいた方から、私が移り住んだ瑞穂ジャパマハイツを紹介してもらったので、記憶も残る地域だ。とは言え、近くには大型ショッピングモールも出来、立川駅方面の車両の主要幹線道路もモノレール架線下に移り、四十年近く前の面影は立飛の給水塔くらいなものだ。
 
 NRQは今年2022年に新作『こもん』を発表した4人組インストゥルメンタル・コンボだ。口ずさんでしまいたくなるような大きな朗らかなメロディが時折顔を出し、遠くを眺めてしまいたくなるのだが、そう簡単に自分を耽らせてくれない跡がそこかしこにあり、だからこっそり自分だけがわかるくらいの小さな声で断片だけを口ずさむ程度になってしまう。だが、むしろこの行為の方が正しいようにも思える。いや、ただ単に各自の演奏のささくれ具合の塩梅でこちらがそうひねくれてしまっただけのことかもしれない、うむ、どちらにせよ、奴らはただ生演奏しているだけなのだ、と結局ただ楽しむことにしている。
 この『こもん』はコロナ禍のリモート録音が多かったにも関わらず、一発録りとほぼ変わらない感触だ。中尾勘二さんは呼吸をするように奏で、吉田悠樹さんは味わい深く丁寧にメロディを紡ぐ、そして時折爆走する。服部将典さんは深すぎる生音でそれらと同等に飛んでいたり、地を這っていたり。牧野は通常のチャチャが多く至るところで隙間を縫って顔を出すが、支えるべきところのドライヴ感はリズム&ブルーズが一番カッコよかった頃の響きを携えている。エフェクトも編集も多少あるだろうが、それはどうでも良い、ただの演奏というのが大事なのだ。オリジナルや好きな曲をそれこそ部室で演奏している人懐っこさももちろんあって、それは誰でも感じることに違いない、しかしどうしたらこんな響きになるのか、とそんな話を牧野としたことがあるかどうかは覚えていないが、おそらく歴史への思いと解釈とでも言っておこう。それから良い意味での上から目線と言ったら失礼か、おまえらもっと勉強しろよ、ということだ。だからかつてあった懐かしさを認知しながらも、あれ、こんなのどこにも無いじゃん、と繰り返し耳を傾けるのだ。新興住宅地も場所によってはそのうち限界ニュータウンになってしまう可能性、それもまた歴史だ。そして、そう今回は東京は東の果ての黒い江戸川近くから、成人を過ぎたあたりで突如、立川あたりをうろつくようになり、横田という基地の街、砂川の旗、旧米軍ハウス、等々、私の四十年近く前の記憶の街での演奏だ。当時は畑とIHIくらいしかなかった横田基地東側だが、今や完全なる新興住宅地になり、最近では業務スーパーの新店舗もある。そしてIHIといえば立飛や中島飛行機との関係は言わずもがなだ。正に今回は私にとってはNRQ的なものだったのだ。

 さて、ライヴ。予想通りに晴れることはなく少し肌寒さもあったくらいだが、その旧米軍ハウスの一角はもうその小路だけという場所で、多くの人が集まってくれた。ロンサム・ストリングス『サム・ハッピー・デイ』のジャケットを描いてくれた菅野カズシゲさんもDJや自身のイラストのTシャツ販売で参加しておられ、久しぶりにご挨拶できたし、先述の米山さんも菓子販売でブースの中にいらしたが、なんだかんだと盃を重ねた。
 そして私がゲスト参加するまでのNRQが素晴らしく、このままただ聴いていても良いくらいだった。牧野のフィンガーピッキングは全部聴かせないよ、という不明瞭さがあり、痒いところに手が届かないことも許容している。そのくせ仁王立ちでステージ前方でのロックギタリストアクションもあるので、痒いところぐらい気にするな、という豪快さもあるが、プレイは繊細なのだ。

 私が参加したのは、主に大原裕さんの楽曲だった。「カミナンド・デスパシオ」はNRQも録音していて、松永孝義メインマンスペシャルバンドのレパートリーでもあった。松永さん死後に発表されたライヴ盤にも収められている。(このライヴ盤には大原作曲が3曲ある)

 トロンボーン奏者、故大原裕さんの話はまたの機会にしよう。亡くなってかれこれ二十年近く経ったが、今現在が当時よりも数々の現場で彼の曲を演奏する機会が多いというのも不思議なものだ。

 そして、最後に拙曲で「カンデラ」。これは2006年発表のロンサム・ストリングス 3rdアルバム『CANDELA』所収が初録音だが、ここ数年は高岡大祐さんが取り上げてくれて演奏の機会も増えて来た。NRQも以前からやっていたらしい。たった5音ほどの13小節の曲だが、出来るまではかなり時間がかかったことは覚えている。ただ今になってこうやっていろいろなところで自分の曲が自分から離れて演奏されることはなんとも嬉しい。ああ、あの時悩んだ甲斐もあった。

 演奏後ビールやワインをちびちび飲み、ワダマンボさんのステージを聴く。彼はギターも素晴らしく独自の響きで引き込まれるが、歌もとても良い気持ちにさせてくれる。あっという間だった。そして、アンコールで呼ばれた。私が使っていたギターアンプの電源が他に回っていて使えなかったので、牧野のテスコを使い回しした。

 ワダさんもテスコのエレキギター(ネックはグヤトーン)だったのだが、この日は私も偶然テスコロゴのTシャツを着ていたのだった。

 今までNRQとの共演は対バンでのアンコール合同演奏ばかりだったので、ゲスト参加は案外今回が初めてだったのかも、と少しだけワインをお代わりした。ただ思い起こしたら、かれこれ十年近くは前だが、彼らの2ndアルバム『のーまんずらんど』のリミックス盤に参加したことがあった。今はもう手に入らないと思われるので、私が手がけたリミックスだけ紹介しよう。

 NRQは『こもん』リリースライヴが12月、1月とあるようだ。サイトで確認されたし。

桜井芳樹(さくらい・よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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