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はじめましてのごあいさつ

長いこと、文章を書きたいなぁと思っていた。雑貨屋で買ったツバメノートやパソコンのメモ帳やWordの中には、書きかけたままの取り留めのない言葉の断片が、澱のように溜まっている。どの文章も全部途中で終わっている。思い浮かんだことを書いては放置し、懲りずに新しいノートやデジタルツールを手にしては、またつらつらと気が向いた時に言葉を書き留めたりしている。たまに見返してみると、面白いと思ったり、意味不明だと感じたり、しょーもないなと呆れたりする。

「伝えたいことがあるんだ」と小田和正が歌っていた。不朽の名作『天使なんかじゃない』では晃が瀧川マンに「相手の都合なんかかまってらんねぇくらい伝えたい気持ちねぇのかよ」って言い放っていた。かっこいいな、おい!「伝えたい」という欲求が書くことにおいては原動力になるんだろうな、と漠然と思っていた。そして、文章を書きたいと思う私は致命的に伝えたいことがないな、とも思っていた。

でもやっぱり文章を書きたいから、取り留めのないことでもいいから手始めにブログをやりたいなと思っていた。だけど伝えたいことがないのだから、せめてブログのテーマを決めてからでないと始められないような気がしていた。伝えたいことがない以上、ニッチなことを突き詰めていった方がいいと考えたのだ。例えば、街中で見つけた変な看板をひたすら載せる、ひたすら麦茶のレビューをする、ひたすらカーブミラーで自撮りする、ひたすらレモンメレンゲパイを食べ歩くなど。キーワードは「ひたすら」だ。「モーレツ」でもいいのかもしれない。そういう気概が必要なのではないかと思い込んでいた。いつの日か、マツコの知らない世界にも出られるかもしれないと、のび太が足を組んで寝転がってゴロゴロしてる時のような姿勢で夢想した。夢想するだけで、1ミリも行動しなかった。頭の中で考えている時が一番わくわくして、ピークはそこで終わりがち。

ブログをやるなら、noteで始めたいなと思っていた。なんだかおしゃれっぽいじゃない。それでNサロンに勢いで申し込んだ。岸田奈美さんの講義を受けられる、というのがとても魅力的だったから。去年、バズってたブラジャーの話から彼女のことを知った。


このnoteを読んだ後、私の戦士たちも黄泉の国から戻ってきてくれーと一縷の望みかけてブラデリスでブラジャーを買ってしまった。勇気がなくて試着室には行けなくて(しかも予約が全然取れなかった)、ネットでポチッた。そもそも、戦士すらいなかった大平原にも小高い丘は出現した。一瞬にして地面が隆起した。そのうち鹿やら鳥やら動物たちが住みつく楽園になるかもしれない。戦は起こらなくていい。平和に暮らしてほしい。

そんなこともあって、Nサロンに申し込んだ。きっかけが欲しかったのもきっとある。そして岸田さんの第1回目の講義を受けた。


あぁ、私間違っていないかもなと思えたのだった。「自分のために書く」ことを目的にしないと、辛くなる、というお話があった。そうそう、私本当は自分のために書きたかった。取り留めもなく、役にも立たず、でも心が少し軽くなったり、前を向こうと思ったり、泣きたい気持ちが助長されるだけだったり、何でもいいから自分の言葉を綴りたかったのだ。高尚な文章でなくていい。明確なメッセージも役に立つ情報もなくていい。そんなの何もなくていいじゃないか。わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい。否、へなちょこに育ったって全然構わないよ。

自己肯定感が低いと昔からよく言われる。永遠のモラトリアム、人生の迷子なもので先日オンラインで突発的に受けたインド占星術のセッションでもそういう星の配置だって言われた。仕事のパフォーマンス管理面談の類でも昔からずっと言われてきた。最近はさすがに、自己肯定感低いなっていう自覚も芽生えた。この2年くらいはいろんなチャンスをもらっても上手にできなくて、落ち込むことが増えたせいもある。誰かに責められたりしたわけでもないのに、率先して自分で自分を責めて、それを免罪符みたいに思っている節もある。もはや、それ誰に立てた操だよ、という感じ。コロナ禍の自粛期間をひたすら一人で過ごす中で、そういう生き方は、もう卒業したいなと思い始めた。

でも、自己肯定感ってどうやって高めるの?よくわからないから、これは模索していくテーマの一つ。そして岸田さんのいう「言葉の自尊心を高める」その先に大きなヒントがあるような気がしている。とても楽しみだ。



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