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『〈寝た子〉なんているの?見えづらい部落差別とわたしの日常』を読んで考えたあれこれpart2

こちらの記事の続きをすぐ書こうと思っていたのに、はや2ヶ月が経ってしまった。今月20日(もう今週末!)はBUEAKU HERITAGEとしてこの本=メンバーの上川多実ちゃんの初の単著『〈寝た子〉なんているの?見えづらい部落差別とわたしの日常』の出版記念イベントを予定していまして、さすがにそれまでには書かねばということでパソコンに向かっています。
(というか、多実ちゃんに書くように言われている。遅くてごめん。笑)


一旦ちゃんと本の紹介を

前回はいきなり自分の子ども時代の話に全振りしまったので、改めて本の紹介を。

この本は、関西の部落出身で部落解放運動の活動家である両親のもと、東京の部落ではない地域で生まれ育ったたみちゃんが、"部落差別"に焦点を当てつつ、自身の子ども時代、若者時代、そして母となって以降の日常を綴ったエッセイ。当たり前ですけど、部落ルーツの人間にも"ふつうの日常"がある。学校や仕事に通い、友達と遊び、恋愛をし、結婚をし、子育てをし、地域や趣味のコミュニティに参加したりもするんですよ。笑

この本を読んで、改めて思ったけど、「エッセイ」っていうジャンルはいいなー。メッセージを伝える力を持ってるよなーと思う。私は論文を読むのが苦手なのですが・・・たぶん一般的に多くの人がそうじゃないかと思う。でも社会問題についての専門書や論文は読めなくてもエッセイだったら読める・・・ってあるんじゃないかな。「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」とか「ヘルシンキ 生活の練習」とかもそういう感じで成功してる本だと思いますが、この本もその仲間だと思います(推し!)

前半は子ども時代〜独立まで

前半は、"部落解放運動の家"で育ち、そこから独立するまでの話です。家の中と外のギャップによって傷ついてきたことが、鮮明なエピソードで綴られています。部落差別によって縁切りを迫られ、父とその妹が生き別れになってしまっていること、地元の企業で就職差別事件があったことなど、多実ちゃんの家の中では、この社会に部落差別が存在していることなんて、疑いようもなく当たり前のこと。そして、「差別に負けない」「差別をなくす」という正義が、家族の中の価値観の重要な部分を占めている。

一方、一歩外に出れば、学校の友達は、"部落"という言葉すら知らない。部落差別について学ぶ授業など全くなく、「そんな差別はもうない」と先生に授業で教えられ、意を決して「ある」と訴えても「嘘をつくな」と全否定されるはめに・・・。「ある」のに「ない」、「いる」のに「いない」とされる日常。

身分制度に抗う思いから両親が否定している「君が代」を、学校で自分だけが歌えないこと。音楽の先生の粗雑な"配慮"や、友達の悪気ない無知の残酷さ。こんなヒリヒリする痛みをずっと抱えながら多実ちゃん(や東京の同世代の部落ルーツの友人たち)が子ども時代を過ごしてきたことを思うと、そのしんどさに思わず閉口してしまう。同じ部落ルーツでも、明らかに、私たち(大阪出身の部落ルーツ)は"恵まれて"いて、特権的なポジションを持っていたのだと、ちゃんと分かる。本当にちゃんと自覚させられる。

後半は、子育て×自前の運動の話

後半では、親として子どもに〈部落〉をどう伝えるかという一大テーマを軸にしつつ、さまざまな人との出会いやつながりを紡ぎ、子ども時代から感じてきた痛みや違和感の正体を理解/解体しながら、自分なりの〈部落〉との向き合い方、〈部落〉の発信の仕方を見出していく様子が描かれています。

多実ちゃんの場合、子どもに部落のことをどう伝えるか、というのは「言葉でどのように説明するか」ということだけには留まらないんだなぁ。
子どもにどんな"アタリマエ"を吸収してほしいか、そのためにどんな環境を子どものまわりに用意することができるかを考え抜くことや、親である自分のどんな姿を見せていくことができるか、ということを含んでいる。なんというか、子どもに部落をどう伝えるか、というより、「子育てが運動であり、運動が子育て」みたいな感じ。組織から分離・独立した「解放運動」の模索でもあったのだろうな・・・。

〈部落〉の本で〈マイノリティ内マイノリティ〉の本で〈子どもの権利〉の本

友達なので、前から知ってることだけど、多実ちゃんは、部落解放同盟による部落解放運動を礼賛してはいない。むしろ批判的。本の中でも、そこから大事なものも受け取ったけれど、その中で傷つき侵害されてきたことや、組織や運動の中にある矛盾への憤りも、明確に書かれている。愛憎・・・という表現はちょっとウェットすぎるとは思うけれど、そういったものがあるのが分かる。(ちなみに私も、同じように地元にも解放運動にも同和教育にも、愛憎の両方がある・・・と思う)
大きなミッションを持った組織は、時に(だいたいいつも?)個を軽視する。大人は、時に(だいたいいつも?)子どもを自分たちの目的のために利用する。

多実ちゃんは"部落ルーツ"というマイノリティであるとともに、"「東京の」「部落ではない地域で暮らす」部落ルーツ"という意味で部落出身者や部落解放運動のコミュニティの中でもさらにマイノリティだった。そして、子ども時代は、家の中でも(運動の中でも)、家の外でも、"子ども"というマイノリティだった。それらの重なりの中で、たくさん傷ついてきた。だからこそ、自分なりの、違和感なくしっくりくる運動のかたちを模索する必要に迫られ、そのことに向き合ってきたのだと思う。また、自分自身が子ども時代にたくさん傷ついてきたからこそ、とても繊細に子育てをしてきたのだと思う。子育てにおいて自分の正しさを子どもに強いたり、子どもを無自覚に傷つけ抑圧してしまわないように細心の注意を払っている。自分が親から受けた傷を再生産しない努力をしている。

この本は〈部落〉の本であると同時に、〈マイノリティ内マイノリティ〉の本であり、〈子どもの権利〉の本でもある。教育を専門のフィールドとして活動している私の立場からは、同和教育を再考・アップデートするためのヒントをくれる本当に貴重で重要な本だと思う。(このことに特化した記事も書くぞー・・・小声)

しかし、多実ちゃんはすごい。リスペクト

たくさんの理不尽や違和感の中で、潰れたり拗ねたりするのではなく、憤慨してたたかって、徹底的に問題に向き合っていく多実ちゃんの強さは一体どこから来るのだろうか。おそらくこの本を書く作業も、ある種、傷をえぐるようなものだったのではないだろうか。そりゃあ時間もかかるよ・・・。
この本をコツコツ完成させてくれたことに心から感謝すると共に、この繊細かつ鋭い文章が多くの教育者や運動家に届くことを願います。


最後に・・・4月20日(土)のBURAKU HERITAGE主催の出版記念イベントの情報を再掲。上述の同和教育の再考・アップデートに関しても、こちらのイベントでたくさん話せると思います。ぜひお越しください。

https://tinyurl.com/2c5366qe


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