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別にいいかな

お付き合いをする前に、肉体関係を持つ、ということに関して話し合う時がきた。
私が勝手に、この時を待っていたし、誰も待ってなくても、そろそろ決着をつけようではないか。

賛否両論あるし、精神衛生上評価されることではないことは、学歴、IQ問わずわかりきっているにも関わらず、実行する人が多い件について。
『ええ、私はそんな自分をぞんざいに扱う真似は決して致しません。
私は、私の心を捧げた人のみ、この体ごと捧げましょう』
という、自分軸が明確で、むやみに他人を、そして自分を傷つける行為をしない方は、どうぞ回れ右をしてください。
そうであるべきなのです。
しかし、そうでない人も中にはいる。

本当に大事なことだけ、ずばり書き出すと、『自分の心と体を大切にできなければ、何も大切にできない』ということだけ。
しかし、今回の軸はそこではなく、いや、大事なことなのはわかるでしょう、ただ、今回は、なぜ『順番を間違えてしまうのか』そのことについて深掘りしたいのだ。

最近、専らの楽しみといえば、ドラマ『オレンジデイズ』をレンタルして鑑賞すること。
大学生最後の年に出会った2人の、あまりにも有名な青春ラブストーリーである。
主人公の櫂と、耳が聞こえず手話で会話する、沙絵と、その友人らが繰り広げる、瑞々しいやりとり、葛藤、時にはむず痒さが、学生時代なんてとっくの昔に終えた自分には眩しすぎるが、その眩しさが恋しくなる。
沙絵の友人・あかねで、このような台詞がある。

私、好きな人としかそういうことしないの

これが、世の中のルールではないが、倫理的に考えて、この意見は正しい。
しかし、そうではない人がいる。

順番を間違える、というと、肉体関係の先にお付き合いという流れが思い浮かぶが、世の中決してそうではない。
そうではないのに、私たちは、間違える。
間違えるどころか、過程をすっ飛ばすことで、関係をリセットする、壊す、戻せなくしてしまう。

恋愛経験値の低い私が精一杯振り絞って思いつくパターンは以下の通り。

①そこそこいい雰囲気の、片想い中の相手から肉体関係を迫られ、断るとこれまでの関係性が崩れそうで怖い
②性欲を抑えきれないが故、近場の相手で済ましたい
③自分の存在価値を、性行為をすることで証明する

①は文字の通り。
そこで『私、付き合ってる人としかしない』と丁重にお断りできたら、それに越したことはない。
そもそも、お断りして離れていく人間はロクでもない。しかし、恋は盲目なので、その点を見落とす。いや、見落とした『ふり』をする。

②も、文字の通り。

③は②に似ていて少し違う。
②は性欲を埋める、③は、寂しさを埋める、という呼び方ができる。
寂しさを、性欲で埋める。
実体験に基づく、とある20代女性の意見として、この行動は『寂しさを埋めるつもりの行動だが、また新たに穴が空き、まるで終わらないパズルのようだ』とのこと。

なぜ我々は間違えるのか。

寂しいから?

誰かに必要とされたいから?

違う。

間違える人は、間違えて《しまった》のではない。 
《間違えたい》のだ。

あるいは、間違えたって構わないのだ。
後悔するかは置いといて。


東海オンエアのとある動画で、てつやが、自分の部屋にお付き合いする前の女の子を呼んだ際、肩を抱きたいが、腕が相手の身体に触れるまで1時間ほどかかる、という話をしていた。
この1時間は、躊躇の1時間なのか、それとも緊張の1時間なのか。あるいは、そのどちらもなのか。
この過程は、男性陣においてあるあるなのか、東海オンエアは盛り上がる。
野郎ども、間違えやがって。
画面を睨む私をよそに、『間違えちゃうあるあるトーク』に花を咲かせる野郎ども。
でも、紳士イケメン脚長爽やかイタリア人、りょうくんならそんな間違いなんてしないよね?と淡い期待を寄せる私をよそに、彼はこの話題に対して、このような発言をしてトドメを刺すのだった。

でも思っちゃうんだよね、別にいいかなって

結局、彼はイタリア人でもなんでもなく、極々平凡の、お年頃の、男の子だった。

私は一気に、肩の力が抜けた。
男って、いや、そんな括り方をしたら、多様性警察に逮捕されてしまうから、言い直すと、私が出会った男の子って、間違えたいんだ。
そして、間違えちゃうことに対して、そこまで重きを置いていないんだ。

独身貴族りょうくんが、現在も間違えちゃうかはわからない。

そこそこに間違えて、女遊びをゆるく楽しんでいるのかもしれない。

しかし、別にいいかな、の時代はあったのだ。確実に。

なんであのとき、私のこと抱いたの?という、ありふれたトレンディすぎる発言をした暁には、トドメを刺されてしまう。

別にいいかなって。

だけど、女の子だって、別にいいかなって瞬間が、全くないわけではないだろう。

がっしりとした、ほかほかしたものに寄りかかりたくなるときは、人生において腐るほどある。

ぬいぐるみでも、お母さんでも、筋肉がまるでないフニフニした自分の二の腕でもない、男の子特有の、あたたかさを求めてしまうときがある。
それは、男の子ならとりあえず飛びつく人もいれば、優しい男の子に限る人もいるし、好きな人がそばにいれば、こんなチャンスはない、と目を光らせる人もいる。

なんだよ、全人類、『別にいいかな』系じゃないか。


別にいいかな。
彼女にしてくれるか、わかんないけど。
別にいいかな。
今が優しいなら。

別にいいけど、このあとどうするの?

そのときに直面するとき、別にいいかな、で済まなくなる。

私たちは間違える。
間違えながら、ちょっとずつ距離を縮めたり、離れてみたりして、距離の取り方すら間違えて、静かに泣く。

泣いても、ご飯は美味しいし、友達は優しいし、推しは動画内で輝く。
泣いても、欲しい服はどんどん増えるし、コンビニのアイスに陳列される、栗やらさつまいもやら、秋のフレーバーに心踊る。
泣いても、洗濯物は溜まるし、仕事に行かなきゃならないし、冷蔵庫の中身はすっからかんになる。

間違えるな、泣くな、しっかりしろ、とは言えた身分ではないから、上手くいかないときは、ここに来て欲しい。

私は、しゃべるのが苦手だから、もっと苦手な作文を書いて、気持ちを落ち着かせることにするよ。


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