絵で「刺さる」真に迫る感情や表情を描く方法〜「脳内イメージ」を育てる

この文章は敬称略です。
また、ここで比較しているのは作品の出来の良し悪しではありません。
作品で描かれた表情または感情の濃淡についてのみ書いていることをご承知願います。

ずっと「脳内イメージ」から生まれた絵の話をしている私だが、単に私の好みである。
「脳内イメージ」発ではないある種の計算に基づいた感動話が好みではないというのと表裏一体なのである。

関連note

自分の経験則と知見によれば「脳内イメージ」発の絵は表情が豊かだと思う。
もちろんテンプレの喜怒哀楽ではない。
しかしただ表情が豊かというだけでもない。
表情のバリエーションが多いだけ、というのでもない。
描かれた表情には読み手にグッと迫るものがある。
(ただし、読み手の好みや経験値、アンテナの感度にもよるので一概に測れるものではない)

一方描き手の「脳内イメージ」を育てるのもまた好みや経験値、アンテナの感度であると思う。
何を好んで何を摂取して何を選択して何を感じて溜め込んで来たか、という個人の感情の来歴が「脳内イメージ」と言えるのかもしれない。

テンプレではないとても強い表情や感情の発露を描く漫画家として思い浮かぶ一人としては塀内夏子がいる。
例えば初期の出世作「フィフティーン・ラブ」でロビンが正気を失う描写は本当に鬼気迫っていた。
このシーンは今読んでも非常にインパクトがあると思う。

他にも記憶にあるものを挙げると「Jドリーム」の序盤だろうか。
「オフサイド」ももちろん良いのだが、単発で表情にインパクトというとこちらが思い浮かぶ。
例えば序盤で再起不能になった本橋譲二が、繰り返し描かれたユズリハ(だったかな)の描写と共に怪我で主人公の鷹と交代する時の表情。
また例えば北村大地のトラウマの元になった実家の豚舎の火事を語る時の表情など。
(と言いつつ昔読んだ時の印象しかないのでシーンやシチュは不正確かもしれない)
これらはこんな表情漫画で描かれてるの他で見たことないよ、という第一印象と共に覚えている。

元々塀内夏子は何らかの強い感情の吐露が描きたくて漫画を描いているのではないかと推測される。
というのは何かの単行本の巻末で少女漫画誌に応募して落選したデビュー前の作品を読んでみた時にそう思ったのだ。
確かタイトルが「ボロクズ」で、貧乏とかネグレクトとかそういった環境下の友達に親切にしてあげられなかった主人公の後悔や心の痛みなどを描いた作品だった気する。
その「心の痛み」の描写は現在のベテラン故の練られた描写力とはまた違った、手の届かない不器用さ故の爪痕を読後感として私に与えた。

でも現在塀内夏子が手掛けているシリアルキラーのシリーズの話は新たな複雑な表情や感情を描き切れているかと言うとまた別かも。
新しくて自分に馴染みのない感情を描くのは大変に難しいので。
ただそれに挑戦してることはわかる。
まあシリアルキラーの感情がわかる人の方が少ないのは間違いないのでそれはやむなしと思う(動機になる負の感情はともかくとして)

といった感じなので、絵で表す表情や感情というのは自分の経験値や想像力及び共感力の及ぶ範囲内、かつそれを自覚的に認知した場合に描けるものである。
と仮定できる。
塀内夏子はロビンにしても本橋譲二にしても北村大地にしても自己の経験や他者への共感による名状し難い感情を作品に昇華したものと推測できる。

そしてそのような自分の経験値や想像力及び共感力で体感した感情のストックの多さが「脳内イメージ」の感情のバリエーションを育てるのだと思う。

もちろん漫画はたくさんのコマがあるので全部が全部テンプレ以外の表情にすることはできない。
最重要なところ以外はテンプレで流すのがむしろメリハリとなるのでベターかと思う。

ただ、ストーリーの要所要所でそういった自己の経験、体感を伴う表情を「脳内イメージ」のストックから抽出して描けると、私のように昔読んだだけなのに未だに「あれインパクトあったな…」と思い出せるような、ある意味「刺さる」作品パターンの一つになるのではないかと思うのだ。

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