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人生が100秒だったら

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私に起きたことを100秒くらいに縮めてみよう。人生最期の瞬間、まぶたにフラッシュバックされるっていう、あんなふうに。
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#家族

二重まぶたスプーン作戦

朝、学校へ行く支度をしている時、母から渡されるものがあった。それは「スプーン」。お砂糖を入れたり、紅茶をかき混ぜたりするあの小さなスプーン。 私はそのスプーンを使って、左右のまぶたを変わりばんこに押し上げ押し付け、無理やり二重を作るのである。無理やりだから、スプーンをまぶたから離すとすぐもとに戻る。 当たり前だ。 遅刻しそうになると、食べかけのパンを口にくわえながら、ランドセルを肩に担ぎながら、片手に持ったスプーンでまぶたを抑えながら、走る。 思い出すだけで、冷や汗が出る

犬の話だけど犬の話じゃない話

一度だけ、短い間だったけど犬を飼ったことがある。子犬の時もらってきて、子犬のまま手放したから、記憶の中は今でも子犬のままだ。 名前はポンゴ。 ディズニー映画「101匹わんちゃん」の主人公の名前そのまんま。犬種もダルメシアン(もどきの雑種)。ねだってねだってねだり倒して飼ってもらった。あれほど何かが欲しかったことはなかったし、これからもないのではないか。心が震えるくらい、欲しかった子犬だった。 ポンゴがはじめて家にやってきた日の翌朝のことを覚えている。夜が明けるよりも、家族

お雛様

母の手は、いつも何かを作っていた。 子供の頃、私たち姉妹のお出かけ服は全て母の手作りだったし、夢中になって遊んだリカちゃん人形の服、新聞紙入れや小物入れなど木切れで作る工作、毎年デザインを決めて200枚ほど作る手作りクリスマスカード、季節の梅仕事(梅干し、梅酒、梅シロップなど)やラッキョウ漬け、、 家族のために作る毎日の料理やヌカ漬けはもちろん、母の手はずっと休まず何かを作っていた。 中でも折り紙は母が特に根を詰めていたもののひとつだった。少女時代からの「千代紙コ

脳内8ミリ

6歳から9歳まで暮らしたブラジル・サントスの記憶は、アルバム2冊の白黒写真に残っている。これはそのアルバムの中には残っていない出来事の話だ。写真という形で残されていないのに、いや、だからこそ脳内で再生される時、鮮烈になる。昔の8ミリ映写機の音までカタカタ聞こえてくるような気がする。 それは両親と一緒に映画のロードショウを見に行った、その帰りの出来事。その日、どうしても見たい映画があったのだろう。(たぶん1962年公開「史上最大の作戦」The Longest Day)3歳の妹

影の無いお友だち

ブラジルに行ったばかりのころ、私には友だちがいなかった。近所の子と遊ぶためのポルトガル語も、アメリカンスクールで勉強することになる英語もつたなかったからだ。 そんな私にまもなく特別な友だちができることになる。彼らはみんな架空のお友だちだったけど、6歳だった私は彼らのつくり出す世界にどんどん引き込まれていった。 それはDick and Jane、そして末っ子のSally。アメリカンスクールで渡された教科書の中に彼らは住んでいた。 驚天動地。 想像して欲しい。 1960年代

おじいちゃんが写したかったもの

祖父は写真に凝っていた。 昭和の初め、日本ではまだ珍しかったライカで撮った写真を自宅の暗室で現像するほどだった。唯一の趣味だったと思う。 決して饒舌とは言えなかったが、真面目で仕事一筋。そして筋金入りのマイホームパパだったと母から聞いている。毎日会社から一直線に帰宅。判で押したように定時に帰って、家族で食卓を囲んでいた。休日には当時庶民の憧れの的だったデパート、帰りは家族全員でお食事という「お出かけ」も欠かさなかったと。 祖父母にとって私の母は、結婚して10年以上待ち

マイ クリスマスツリー

「山にクリスマスツリーを切りに行くから一緒に行かない?」と誘われた。え、どこ? どうしてお店で買わないの? なんで山なの?  プラスチックでできた折りたたみのクリスマスツリーしか知らなかった私はたくさんの質問をしてたくさん答えてもらったけど実感のわかないまま、3時間かけてクリスマスツリーを切りに行くトールキンさんの小型トラックに乗せてもらった。行く先はオレゴン州ユージーンの山。 トールキン家伝統のクリスマスツリーは本物の生の木で、飾りも電飾なんかじゃない、蝋燭で1つ1

地平線

見たことのある景色には、記憶の道を辿っていくとまた着けるのだろうか。 1962年の8月、その道は地平線まで続いていた。私は後部座席から、車が通って来た道を見ていた。 なんだこれは。 走っても走っても、後から後から車の下から湧き出て来る道に終わりがあるようには見えなかった。私は、途切れることなく伸びていくその一本道から目を離すことができなかった。 こんなの見たことない。 前の座席の両親の向こうに見えるこれから行く景色も、どこかに近づいて行っているようには見えないし。近