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これまでの挫折、これからの挫折

今でこそ多くの楽器(主に電源を必要とするモノばかりですが)に囲まれて生活していますが、興味を持ってやり始めたにも関わらず、覚えることができずに志し半ば…どころか半ばにも満たない感じのモノもありますが、結果挫折し、やめてしまった楽器も山程あったりします(いや、山は言い過ぎか…)。今日はそんな楽器たちに思いを馳せてみたいと思います。

コレは未知の領域に果敢に挑み、見事に散った私自身の記録である(スタトレ風)。

あるある

非常にわかりきってる事ですが、楽器ってちゃんと「習わないと」ちゃんと「演奏」できないものです。音は習わなくても出ます。そりゃそうです、鍵盤楽器や打楽器、笛などはとりあえず叩いたり指を置いたり、息を吹けば鳴る構造になっています。
しかし「鳴る(音が出る)」と「奏でる」は全く違うもの。楽器を始めるまでの「エア」期間では、人は頭の中で綺麗、かつ超絶技巧から繰り出される音を自分の演奏姿に重ね(補完して)「こういうふうに私は弾くんだ・弾けるんだ」と、妄想と言う名の錯覚を楽しみます。弾ける自分を想像して、その後の展開も妄想したりします(バンド組むとか異性にモテる自分とか)。そして意気揚々と楽器や周辺物を揃えるわけです。いろんな事(メーカーや値段)にこだわり悩みながら(この行為自体は結構楽しい)、いっちょ前のツールを揃えるわけです。そしていざ始めると…程なく我を知るわけです(笑)。

これらは楽器に限らず、運動や他のことでも共通ですね。そして、そこからちゃんと教本なり教室なりで技術を習得し、根気よく続けた者だけが最終的な勝利者となります。この場合の勝利とは「奏でられた」ということです。(あ、この場合「うまいヘタ」は、とりあえず脇に置いておきますw)

たてぶえ(ソプラノリコーダー)

まずは、誰もが通るだろう楽器。義務教育を受けていればもう、ほぼ100%の人が体験しているでありましょう、「たてぶえ(リコーダー)」です。

小学校で習う(習わされる)リコーダーは、たいていソプラノリコーダーです。他の楽器(サックスやフルート)などに比べて、音の出しかたも運指も比較的カンタンなのですが、やってみると、なぜか上手くいかない。
…なぜか。

推測ですが、上手くいかなかった人の大多数は多分「穴の指抑えが上手くない・覚えられない」からだと思っています。しっかり穴を塞げる人は、少し練習し慣れれば、結構いいトコまでイケるんです。しかし、なにが人を挫折させるかって、運指がヘタで穴をしっかり塞げなかった(半分開いてたりする)時に出る「ぴひょょ~ぅろぉぉぉぅぅ」みたいな、文字化も難しいアノ超情けない音…。アレを何回も他人に聴かれると思うと、そりゃもう恥ずかしくて、そこで演奏することがイヤになります。自分の前後に上手い子がいたら、もう尚更です。

合奏という行為も、コレに拍車をかけます。小学校の音楽の授業では、よく課題曲を全員合奏させます。演奏レベルも一定ではないのにです。上手くない子は、先のヘタレ音を出さないよう必死ですが、…まぁ、出ちゃいますよね(笑)。少し気の弱い子供はソレで萎縮してしまう。そして一気にリコーダーが嫌いになる。
それは練習すれば(多少)解消されるんだろうけど、小学校の授業って最初は「コレがド、コレがミ」という基礎的な知識は最初に一通り教えてくれますが、それを継続的に何度も教えてくれる所ってあんまりないですよね(教師によりますけど)。基本「あとは自分で(教科書見て)練習してね」と丸投げ気味なのが実際で大多数でしょう。そうなると独学に近い。
独学ってね、まぐれで上手く行けばいいけど、たいてい上手くいかないんですよ。ソコからはもう一気に諦めの境地です。

後年になっても「楽器は苦手」「(きっと)できない」という人は、大抵この頃のコレらがトラウマになってるんじゃないかなと思うんですが、どうでしょう。まぁ具体的な失敗の例はさておき、幼い頃の成功体験って失敗体験より大切だと思うんです。小さい頃の不用意な挫折体験は、後の心理面考えると、どうすっ転んでも利点がない。ロクな事がない。その点から(個人的に)言わせてもらえば、小学校の頃は音楽とか体育には、点数(絶対評価)を付けちゃダメだと思うんですけどね…。挫折してもサポートがしっかりあれば別ですが。

ピアニカ

豆知識ですがピアニカって登録商標らしいですね。汎用的な名前は「鍵盤ハーモニカ」。鈴木楽器の製造だと「メロディオン」だとか。でもみんな、メーカー関係なく「ピアニカ」って言ってますよね(笑)。コレも、ほぼ100%の人が小学校で体験する楽器なんじゃないでしょうか。

細かい挫折点はリコーダーと一緒ですが、テクニカルの点で言えば、「鍵盤を同時に2つ押しちゃう不器用」とか「(子供故の手の小ささで)指が届かない」とか「黒鍵の存在価値に納得できず、ただただ惑わされる」とかで挫折を感じる事が多いのではないでしょうか。それにコレも不協和音を出しちゃうと、対外的にも内心的にも、もう心がいたたまらない感じになる。あとね、手入れがすごく手間ですよね、ピアニカって。パイプとか内部に溜まった唾液の処理とか。(この辺は単なるズボラ故か)

今でも音楽を作る際に、鍵盤は100%必須アイテムなので、子供の頃にピアニカで鍵盤モノは挫折はしたけど、鍵盤は今でも側にあり、かつ使用頻度は高いのです。なので、正確に言うと(ピアニカを広義に解釈した鍵盤楽器としていえば)コレは挫折して、以降諦めたモノ…という存在ではない。でも心のなかでは「理解・克服できていないまま使っている楽器」という感覚に近い。負け感覚を背負ったまま使っている。コレは挫折よりイイのか悪いのか、個人的には正直微妙なトコです。

「ピアニカのトラウマ」を克服すべく、今、猛烈にピアノ教室に通いたい私がいます。どこかにいいトコないっすかねぇ??

ハーモニカ

コレは大人になってから衝動で買ってみました案件。買ったのは、キーがBbでとかブルースハープがーとか、そういう小難しいこと言わずに、小学生が使うようなメッチャ初心者向けの普通のやつ。コレはテクニカル云々いうより、演奏イメージが買う前と試した後に「なんとなく」違った、という感じでした。挫折というよりはフェードアウトかな。なんともいい加減ですが、衝動買いってこんな感じ、こんな末路ですよね。それにしても何を見てコレを買うキッカケになったんだろう。嗚呼、それすらも思い出せない(やはりいい加減)。

ギター

ギターは「(ミニ)フォークギターとクラシックギター」。メーカーはわかりません。
なんで二種類一緒?お金持ちかな?と思われるかもしれませんが違います。親戚のおねぇちゃんズのお下がりというオチです(笑)。

コレはもう小学生とか中学生…にはなってないか?という頃のお話。母方の実家にいたお姉ちゃんズ(いとこ?)がまだ学生で、上のお姉ちゃんがクラシックギター、下のお姉ちゃんがミニフォークギターを持っていました。しかし(多分)その頃には、お姉ちゃんズのギターに関する興味が失せていたのかもしれません。ちょっと興味を持った私に、二人は安々とギターを譲ってくれたのです(今考えると)。

その頃の私には、ギターに関するヒーローはいませんでした。人がギターを始める動機なんてのは、多くの場合、拓郎、長渕、B'zや、洋楽ならビートルズ、ストーンズ、ジミヘンとか、その個人が憧れているプレイヤーがまずいて、「カッコいい!よし!自分もギターを…」というパターンが大半なんだと思いますが、多分(当時の)私は、単純に「音が出て面白い」だけだったんじゃないかと思うんです(安直)。

家に持ち帰って面白がって弾いてはみましたが、その頃の私には教本を買う財力もなく、周りにギターができる知人もおらず、ひたすら独学で弾いていました(月刊歌謡曲とかを買った覚えはあります)。
「コードを覚えることが必要」という知識も脳内に仕入れましたが、コレも世間の皆様と(多分)同じく「F」のコードの地雷を踏み、つまづきます。あと、今思うに、ストロークも絶望的に上手くできてなかったと思います。余計なとこまで弾いてしまう、超絶ヘタパターンのアレです。

…もうおわかりですよね。案の定、程なく破綻は訪れます。ただ音が鳴るだけの存在に愛着は長く湧きません。加えて、弦が切れても買うお小遣いは無い。そもそも楽器店も近所には無い、チューナーも無い。「オラこんな村ヤダ」ではないですが、そこからは崩れ落ちるように興味が失せていきます。しかし正直ギターに関しては、挫折と言うほどのショックは受けませんでした。子供の興味とはこんな感じで流れ、過ぎていくのかもしれません。二本のギターは昔の実家の押し入れで、砂漠に朽ち果てるコンバットアーマー・ダグラムが如く風雪に晒され風化し、以後、それが手にされることはありませんでした。

…ギターよ、すまんかった、成仏してな (;´Д`)。

ベース・ギター

今でもベース・ギターの音は大好きです。特にチョッパー(スラップ)奏法は大好物です。神様は後藤次利氏です(いやマジで)。

といったミーハー(死語)な私ですが、ベース・ギターにも手を出したことがあります。コレはもう大人になってからで、買ったモノもメジャーメーカーの銘機ではなく、楽器屋さんオリジナルという、よくある廉価版(1万円弱、ソフトケース、ピック付き)というヤツ。ボディカラーはブラックのジャズベースでした。
ゴッキーだいすっきーな身としては、SPECTER社のプレシジョンベースNS-2揃えなきゃ!といきたいトコですが、いや、何いってんのバカバカバカ、中古単体でも100万超えるわ!という代物ですので、んなものは当然買えません。

これを諦めた理由を思い返して見ると、技術的なこともありましたが、当時の経済状況もあったかと思います。この当時は通帳残高が2桁ということもザラにあったので、やむなく売ったというのがホントのトコです。多分。

こういう理由が一番虚しいですよね。いやホント。

サクソフォン

アルトサックスです。コレもまた廉価版の(確か)三万円しなかったヤツ(ハードケース、リード、クロスなど諸々付属するお得セット)。購入時期は上記のベース・ギターと大体かぶってます。ということは、どういうことか…もう察しが付きますね。みんな貧乏が悪いんや!というオチ。

でもコレの場合は理由がもう一つあって、「練習の場所がなかった・家でできなかった」という面も大きいと…。
サックスは木管楽器です。電子楽器のようにボリュームはありません。リードから出る音はそりゃあもう爆音です。当時の住処は街中の普通のアパート。こんな場所でフル音量で練習できるわけもない。大きな公園や広い屋外ではかろうじてできましたが、毎回ソコでやるというのも無理があります。故に練習頻度も下がっていきます。
今は「サックスをまるっと包み込む形のケースで、そのまま収納した状態で吹けて、音も大幅に遮断できるという専用密閉型ケース」というグッズがあって、アノ当時にそれがあれば自宅でも練習が捗って、もしかしたらまだ続けていたかもしれません。いや、知らんけど。

そう言うのがあって、保有の優先順位が自然と下がっていったのでしょう。結果、ドナドナよろしく売られていきました(前述通り、貧乏だったし)。
音は出せたし、フレーズも多少は吹けるまでいったのですが、もうブランク長いので、多分、今吹いても技術的にもうダメダメで、ステータスもレベル1になってると思いますね。うーん、悲しい。

でも機会があればまた吹いてみたい。今度はテナーサックスがイイな(懲りない)。

アルト・リコーダー

コレが一番最近の挫折楽器です。小学校の頃にソプラノで挫折を味わってるのに、今になって、なんで手ぇ出しちゃったかな?自分、アホかな?と自分でも思います。

やはりソプラノ同様のことで諦めました。結局、笛系は自分と相性合わないということなんですかね。今は多分、押し入れのドコかで眠っています(捨ててはいない)。コレに関しても、ごく普通の学校教育現場で生徒が使ってそうな普通の、お高くないやつを買いましたので、懐に激痛が走るまでは至りませんでした。もう、笛系は自分的鬼門に指定しちゃっても良いかもしれません。

自分、もうちょっと考えてから買おうよ、自分。(;´Д`)

「挫折」それは経験したくないもの

ふぅ、ココまで私の挫折遍歴に付き合っていただき、ありがとうございます。ふふ、ダメダメでしょう?私(笑)。

「(心が)折れ挫ける」と書いて「挫折」。できれば、それ自体しないにこした事はないモノですが、コレをしたことがない人がいるか?と言われれば、まぁいないでしょう。「私はしたことがない」という人がいても、それは多分、見栄か虚勢か、もしくはその自覚がないか、だと思います。「何かを諦め、挫ける」というというのは、生きて人の世にいれば、誰もが経験していることです。

とはいえ、挫折にネガティブなイメージがあるのは実際のところですし、できれば隠しておきたいと思うのが人情。誰もが墓場まで隠し持っていきたいと思っているでしょう。気持ちはわかります。別に隠しても何の弊害もないので、そこは各自の自由。私みたいに、こう開けっぴろげにしちゃうほうが特殊です。変わりモンです。間違っても参考にしちゃダメです(笑)。
隠すことには肯定的ですが、ただ、挫折したことから発生したネガティブ感情を「自分に見える形で持ち続ける」のはあまりいただけない事だと思っています。隠すなら、できれば心のタンスの引き出しの奥にでも閉まっておいたほうがイイと思うのです。

これまでの経験、これからの挑戦

悲しいことに、人生上で経験する「挫折」自体には「打ち止め」がありません。私やあなたは、残りの人生において、あと最低一回は挫折をする予定があります(大小・自覚有り無しの規模に関係なく)。多分、これは確実な事です。

でも、特別悲観することは無いと思います。どうせするんだから、挫折もサクッと受け入れる器量を持ったほうがいい。見方を変えれば、「自分の性に合わなかった」という事が分かるための経験だし、「次はコレと違ったアレを選んでみよう」という行動や挑戦の指針にもなります。いわば、データベースにおける、1カード項目にすぎない。

そして一回挫折した事は、「未来にまた行ってもできなくて、再度必ず挫折する」と決まった事ではありません。単に「その時はダメだった」という事かもしれない。子供の時に食べられなかった物が、大人になってから好物になるって事、ありますでしょ?(私の場合は「酢の物」がそうでしたw)
「以前は経験値レベルが少なかったからああなったけど、別の事をやってその手の知識は前より増えたし、勉強の仕方を工夫する知恵もついた。ツールも昔より性能が向上した物がある」…こうなると、なんだかイケる気がする~と、なんとなく整うような気になりませんか?(笑)

もちろん「またダメ」という未来もあると思います。でもそうなったら、また心のタンスの奥にサクッと閉まっちゃえばいい話です。そして「三回目、四回目はやっちゃダメ」というルールもありません。またトライしても良い、反対に「絶対もうやらない!家訓にする!」というのも選択肢。

また分かりきったことを言っちゃいますが、要するに、挫折に過多な質量を持たせちゃダメってことです。ダメだったときの経験は活かしつつ、その時負ったダメージの重さはしばらくしたら忘れちゃう、ってのが一番イイんじゃないかなと思うのです。

ケース・バイ・ケースで、コレが当てはまらないものもあるかもしれませんが、多分そんな重大な事象は、人生に一回あるか無いかだと思います。その時は…うん、その時に考えましょう。
とにかく、日常で起こる「挫折」には、こんなふうに対処したらイイんじゃないですかね。

人生って、死ぬまでトライ・アンド・エラーの繰り返しが基本ですので。


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