なぜアニメ・漫画原作付き実写映画は、こうも嫌われるのか(前編)

「分かりきっているコト、分析しつくされているコトをあえて書くよシリーズ」今回はコレ。(もはや自己思考の覚書にしちゃってる感ある)

言う人(識者やいわゆる映画通)に言わせると「日本映画は斜陽」だそうです。作っても、そう大したヒットも飛ばせず、若い男女アイドルのPVと化してる、との発言も聞きます。多分「上級者」の目から見るとそうなのでしょう。
しかしデータ的には(興行収入は作品の売り方(宣伝)が上手い下手でも変わるトコありますが)、とりあえず人々が喜んで観て絶賛するヒット作はあります(ヒット=出来が良いという単純な基準は当てはまらない前提で)。少し前だと「踊る大捜査線THE MOVIEシリーズ」「ジブリ作品」とか、最近では「君の名は。」「シン・ゴジラ」も好評を博していました。

特殊な評論家メガネをかけてる人の語りだけだと、駄作ばかりでハイ終了となってしまいますが(ちゃんと絶賛する人もいますけど)、その邦画を見て、大勢の人が涙したり笑ったりすることは、ちゃんと現実にあるわけで、かつ「大ヒット御礼」と銘打っちゃっても大げさと言われないくらいの動員数と興行収入を弾き出してるという現実もある。その点から言うと、そのモノの評価や意見に関しては「評論家も人なり、一般人も人なり」という前提をいつも心に置いたうえで、評論家や映画通の意見は「参考意見」に留めておく心は持っておくべき、というのが私の雑感です。
これ、ごくアタリマエのことですが、それでも世間という広い海の中には、一個人の映画評をご宣託がごとく受け取っちゃう人が一定数います。それは紫外線はおろか、光も通さないサングラスをかけるようなもんで、無謀極まりないことです。ゆめゆめそうはならぬよう、気をつけたいものです。

そんな、流行ってるのか廃れてるのか分からない邦画界ですが、映画の製作発表がされるたび、決まって阿鼻叫喚が巻き起こってしまう、とある「ジャンル」があります。それが…

「原作付き実写映画」というジャンル

です(これは「原作付き実写TVドラマ化」にも言えます)。その原作(アニメ・漫画・小説)を愛好する人々からは「この世の終わり」を嘆く叫びが聞かれ、中には呪詛めいたことを放つ人もいます。個人的にはアニメや漫画が原作のモノだとその傾向が強く、小説原作にはあまりみられない?ように見えます。
たまーに「よかった!コレは神作品!」という声が出る作品もありますが、今パッと容易に思いつかないくらい、たまーにしか出ません(そんな印象)。それが何年も何十年も、結構な年数続いています。マイナスのスマッシュヒット連発と呼んでもいいでしょう。浜の真砂ではありませんが、その流れは尽きることはありません。なぜでしょう。

そんなリスクを犯してまで「実写映画化」に踏み切る。それはやはり、なんだかんだで「メリットがある」からだと思います。ここで今パッと思いつくメリットを少し挙げてみましょうか。

出版社・作者
・本来の読者層以外の層の取り込み、開拓が望める
・掲載メディア(雑誌、書籍、TV、ウエブなど)へ新規客を誘導し、あわよくば他作品への波及効果も望める
・二次的商品展開での収入
役者・出演者・所属事務所
・登竜門・お披露目的なPVとして
・話題性の獲得
・自己紹介・プロフィール欄的な所でハクがつき、次回の仕事に活かせるという枯れ木山思想。
読者・ファン層
・作品の人気・認知が高まり、コンテンツの長寿化・安定供給延長が望める
・スキな作品のアノ登場人物が「動いて喋る!」というエモーショナル体験
・自分のスキなタレント・役者・アイドルが(原作は知らんけど)活躍してる、見に行こう!で始まる(原作に寄らない)ファン活動の捗り

私の拙い脳ではこれくらいがせいぜいですが、これだけ見るとイイことだらけじゃないですか。なんで阿鼻叫喚が拡がるか分かりませんね。

成功例もあるんです、たしかに。過去にいわゆる「失敗作」が続いちゃった(ばかりが目立っちゃった)せいで、上映前なのに脊髄反射のように嘆く人も多いですが、神作か駄作かは本来「実際に見なけりゃわからない」もの。ワクワクして映画館に入ったはいいものの、映画館から出たときには「オレは(ワタシは)いったいナニを見せられたんだ…」とムンクの「叫び」ばりの顔になるまでが、駄作認定に至るまでの正しいお作法です(そんな作法はない)。では実際観た観客、まだ観てない観客…というより市井の消費者たちは何に失望するんでしょうか。

空想世界と現実世界で相反する「重力と浮遊力」

原作世界(アニメ、漫画、小説など)の空気感というのは、実は人によって千差万別で、その細かい所のディテールも読者・視聴者の裁量にほぼ任されています(視覚情報がほぼほぼ完パケで詰まってる状態のアニメも例外ではない)。同じ原作を嗜んだ人でも、ある人はその世界に埃と仄暗さを感じてるかも知れない。しかしある人は一片の曇り無き清涼な清浄な空間、陽の光に満ちたものを想像しているかもしれない。ここまでの極端はないでしょうけど、現実世界という自分が普段身を置く、リアリズム溢れた世界とは反対の世界たる空想の世界。もう自分の中では揺るぎない「あのアレはああだ」という認識が、ほぼ固まっているものです。そして基本、これらはあまり他人と共有されるものではありません。

そこに映画クリエイターが作り出した「その作品の個人的な世界観」が、劇場という場で多くの人間に披露されます。それが観客の世界観とドンピシャなら、その人にとってその映画は「神作品」でしょう。しかし、共通点はあれどピッタリ同じ世界観を、大勢の人間が保有しているわけではない。その世界観が観客の閾値以下だった場合、大抵の人はこう言い放ちます。

「ちげーよ、バカ!」と…

造り手はいつも必死、だけど気づかないコト

映画スタッフも、ポテチ食いながら鼻ほじほじして作っているわけではありません。いっぱい会議を重ねて、お膳立てをして、監督や脚本家は原作を読み考え、3D制作室は連日缶詰、皆イマジネーションをフルに回転させて、願わくば劇場を満員御礼にしたいと思って作っています。予算の規模だって一般人からしたら、年収相当額レベルの騒ぎではありません。これが個人の借金額だったら、遠洋漁船に放り込まれるか、臓器売るか、ドラム缶に詰められ湾に沈められるレベルです(大手映画会社作品レベルの話ね)。

でもそんな事、客は別に気に留めません。「自分の気に入るものを見たい」という思い、ソレだけです。オリジナル作品と違い、この場合映画人は「映画としてのトータル的な出来」に加え「原作ファンの強固な何層もの高い壁」にも挑むことを運命づけられます。コレは製作者側の誰一人として回避できない事柄です。原作付き作品は、「作品の原案から練らなくていいから楽だろう」「最初からファンが付いてるから動員数稼げるだろう」と思われてるかもしれませんが、実はオリジナル作品やるよりも枷が何個か増えているという、茨の道に水やりしながら通っているみたいな、なんとも因果な道を行ってるコトになっているのです。

例えば、その壁が崩せなかったとして、観客の目にはその作品がどう見えているのか。例えが妥当かどうか微妙ですが、多分これからお見せする引用画像の比較くらいの落差だと思うんですよ…。

(次回に続くよ!)



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