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日記未満 / 2024.05.17


突然死にたくなるときがある。わりとある。どれだけ楽しい一日を過ごしても、部屋がきれいでも、自分のことが嫌いじゃなくても、ちょっとしたきっかけで涙が溢れ出たり、はやく死ななきゃだめなんじゃないかと、かなしい気持ちが襲ってくる。
こういうとき「どんなに人間のふりをして暮らしていても、オマエは人間未満😅👊」と、過去の自分から突きつけられているような気持ちになる。わたしのだめな部分をわたしに晒しあげられることに耐えられない。

わたしは他人を騙すために自分を騙して生きてきたような感じがする。だから、本当のことが、ずいぶん前からわからなくなっていた。だれとも話したくなくて、家でずっと泣いているような時期でも、いざ人に会えば、笑顔で話せることに気づいてから、自分のことが信用できなくなってしまった。
日記を読んでも、当時の気持ちが思い出せない。他人にこう思われるために書いたんじゃないの、とか、いろいろ考えてしまう。日記ってそういうもんじゃないはずなのにね。いま書いている言葉だって、自分の言葉と言い切っていいのかわからない。この瞬間、感じていることを書いているはずなのに、本当はなにも合ってなかったらどうしよう、とか思ってる。
なにを信じて暮らせばいいのかわからない。だからなにも信じない。なにも信じないことは、ひとりで氷山を歩き回るような、つめたさがある。つまり、かなしいことなんだと思う。
さいきんは、自分の人生に他人を巻き込みたくない気持ちが、とても強かったし、もはや自分の人生に自分を巻き込むこともいやになってきた。わたしが生きているだけで、なにかに干渉してしまうことが、世界にとってよくないような、そういう気持ちになる。だれとも仲良くならずに、だれのことも好きにならずに、ひとりで生きて、ひとりで死ねたら、いちばんいいのかもしれないけど、できればひとりで死にたくないから、生きることは難しいなと思う。ひとりで生きることを願う自分と、願いたくない自分がいるのだ。こころがふたつある〜。
まあ自意識過剰なんだろうな。だいたいわたしが苦しいときは自意識が大きくなっているときだと思う。もともと自意識大きいほうだし。わかっちゃいるけどつらいもんはつらいんですよね。
つらい時は、話のテーマをでかくしよう。そうだな、地球単位で考えれば大丈夫になる。地球から見たら人間は等しくゴミくらい小さいから、わたしがどれだけだめな生き物だったとしても、地球的には生きててもいいと思う。ゴミが生きてても死んでても、まあいいだろう。ていうか生まれた時点で生きててもしょうがないってことだもんね。わたしが生きてても死んでても、世界になんの影響もないのだ。だからなにも考えずに暮らしたほうがいい。生きる意味とかについて考えると、どうしても死がつきまとってくるから、そんなことは無視していけばいいんだと思う。ちいさい命だから、ちいさく暮らしてゆけばいいのだ。こうやって自分で自分を元気づけるしかない。他人を巻き込みたくないから。文字にすることで、間接的に巻き込まれる人がいることは、読むほうが悪いので気にしない。自分勝手ですみませんえん……(涙)

なにも考えてないときの、健康みたいな顔の写真を見出しにつけた。今日顔かわいい☺️って思いながら撮った。毎日そんな感じがいいな。

ここに投げられたお金を、酒代に使ってしまうような私で、申し訳ありません