選挙に思う

私の周りの人やSNSで繋がっている方々はおおむね現政権非支持の方なのです。
前に国会前のデモに行ったり山本太郎祭りに行ったりしても、熱い群衆がひしめきあっていました。
それである時期まで私は「こんなにみんなが反自民なのに野党が負けるのはおかしいだろ!」という気持ちになったりしていました(トランプが勝った時も同様)。
でもね、身近な与党支持の方々を見たり、会話したりすると、その行動力たるや、すごいんですよ。こりゃ俺たちもやり方を変えないとな。指先でポチポチ文字を打ったり愚痴ったりしてるだけじゃダメなんだな、と思い知りました。
それと、敵対視している対象を勝手に解釈してあーだこーだ呟くことがあるんだけど、実際に相対する思想の持ち主と対話をしないといろんなことが見えないままだと思った。文字だけじゃなくて会って話すこと。
人が言い争っている様を傍観するだけではダメなんだと肌身に感じました。
それを強烈に感じて、身近な人に語っていたのが5年前くらいでしょうか。
そして現在の私はそっち方面への興味が激減しているし、こういう話題を発信できるほど勉強していない。正面切って議論をする気力がない。歳なのか満たされているからか世の中への興味が減少しているのか。3年間公務員をやって思い知ったことも多いからか。
その辺を見極めるための、深く自分を探っていく作業を後回しにしている。
何が善なのか、それは各々ちがうのだ。そしてそれは人類始まって以来の永遠のテーマなのだ。
わたしはいま靄の中 いや一生靄の中だべよ いやいやそれじゃあ思考停止 いやいやいや…
みたいな状況。

息子が投票権を持つ歳になり、次の世代の動向も知りたいがそこは深く触れておりません。
不甲斐ない、という言葉が似合う大人になったのかもしれません。