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経済活動とは

経済至上主義もそろそろ末期症状なのではないか、と薄々感じていた今日この頃。
先日この本について書いてみたのだが、「お金がすべてではないがやっぱりお金を貰えると嬉しいなぁ…」とウダウダしてとりあえず下書き保存していた。

そこへ今日は、Bar Bossa林くんの投稿と日経夕刊プロムナードでのロシア文学者 沼野恭子さんの経済にまつわるエッセイを読み、「みんな迷ったり答えを探しているんだ」と背中を押されて投稿します。

『大人は知らない・子どもは知りたい!お金さえあればいい? 子どもと考える経済のはなし』 浜 矩子 著

を読んで、全てにうんうん頷いてしまった。

「ひとをしあわせにできないなら、それは“ニセの経済活動”です。」

そうなんだよね。だけどもうずいぶん長いこと、お金が儲かるかどうかを第一に考えていますよね、我々。

この本にも書いてあったけど、原発が人を不幸にするのは周知の事実なのに、原発がないと今の生活が維持できないとかなんとか言う。

この前、ある人と話していたら、「虫歯にならない方法の研究をしたいと言うと潰されるんだよ。そんなことしたら歯医者が儲かんないから全力で阻止される」と言っていた。
人のためになることよりも、既存の利益を守ることに走る権力。

不幸な人をたくさん排出して、一部の人だけ「うわっはっは、越後屋お前も悪よのぅ」と笑っているとしたら、水戸黄門時代のまま。

「経済が成長していい時は、発展途上の時か、何もかもを失った戦後のような時であって、成長しきって成熟している日本のような国は、ただただ大きくなることだけを考える時ではない」とも書かれていた。
「これからは、後ろに続く発展途上の国のために、お手本となる国になること」とも。

高度経済成長とバブルを知っている我らアラフィフ・ポジフィフが、シュリンク社会にどう馴染んでいくのか。
つらいお仕事ではあるけれど、残された時間で、少しでも後世が活き活きできるように、地ならしせねばなるまいのぉ、越後屋。

#経済 #お金