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【小曽根真】第18回国民文化祭・やまがた2003オープニングフェスティバル 2003年10月4日(土)山形市総合スポーツセンター

第18回 国民文化祭・やまがた2003 オープニングフェスティバル
2003年10月4日(土) 山形市総合スポーツセンター

小曽根真作曲 ピアノ協奏曲「もがみ」(世界初演)
指揮・ピアノ 小曽根真
管弦楽    山形交響楽団
合唱     国文祭やまがた合唱団

2003年10月4日、山形市総合スポーツセンターで「第18回 国民文化祭・やまがた2003 開会式・オープニングフェスティバル」が開かれた。このなかで、我らが小曽根真(敬称略)の作曲したピアノ協奏曲「もがみ」が初演される。これは、フェスティバルの特別プロデューサー井上ひさしが、特に望んで小曽根に作曲を委嘱したもので、ワールドプレミアである。二年前の三月、山形市内の文翔館で小曽根真のコンサートが行われたときに、井上によって企画が発表され、私たちファンはこの日がくることを待望していた。その日がついに来たのである。山形の天候は曇り時々雨。上空には北風が入って、高い山では初冠雪が予想されていた。本格的な秋を迎えた山形である。


この曲を聴くために、全国から、いや世界中からファンが集まってくる。日本ツアーがはじまったばかりのベーシスト中村健吾夫妻はNYから駆けつけたのだし、ピアニストの塩谷哲の顔も見える。小曽根ファンは、福島、東京、名古屋、そして大阪から、この瞬間を味わうために駆けつけた、総勢30数名。小曽根真同様、熱い集団である。そこには、事情があって来訪の望みがかなわなかったファンの思いも、ともにあった。そんな友人たちのために、公演のレポートをお届けする。

午後4時、燕尾服姿の小曽根真がさっそうとステージの上に現れると、会場から大きな拍手が起こった。小曽根は深々と一礼した後、踵を返してグランドピアノに向かい、長いテールをひらりと跳ね上げてエレガントに椅子に腰掛ける。小曽根と楽団員が呼吸を合わせるための、緊張感に満ちた静寂が訪れたあと、それを意志の力で破るように、静かに鍵盤の上に指が下ろされた。

第一楽章は、清冽なピアノの音色からはじまる。タイトルに示されているように、この曲は山形県を貫流する最上川の美しく悠々たる流れそのものをモチーフにしたものなのだが、私たちは導入部の一小節を聴いただけで、光を乱反射しながら流れるせせらぎの表情が音によって見事に形象化されていることを、そして、この曲が一本の川をめぐる音楽による壮大な叙情詩・詩編となり得ていることを、完全に理解した。川の水は一瞬たりとも同じ表情を見せることはない。偉大な川は、川の流れそのものが物語である。小曽根は、そのことを私たちのように言葉にして解釈するのではなく、むしろ、彼の五感を総動員して得たイメージを、音楽によって認識・入力し、脳から直接音楽によって出力してゆく。ピアノの音色が水のきらめきなら、それにからんでくる木管楽器の音色は、川の流れる悠久の時間を示しているように思われた。その、音の複合によって、確かに偉大な生命の川が、厳かに豊かに流れ始めるのだ。

やがて、ロマンチックな美しい主題が提示される。小曽根は、ピアノの前に座ったまま、高く手を掲げて若々しく快活に指揮し、山形交響楽団は、そのコンポーザー=指揮者の意図を十二分に理解して、それぞれの楽器で高らかに歌い上げる。絶妙のコンビネーションによって、世界初演のこの曲を美しく構築し彫啄してゆくのである。オーケストラによって深まる音の深度と、可変的な音像は、まさに川をとりまくランドスケープ全体の表現であり、むしろ音楽による世界観の提示であるといってよい。音が、全方向から私たちを包み込むのである。変わり行く川の表情は、小曽根の持つ多様な音楽的なボキャブラリー(それは全世界的なものだが)によって表現され、ひとつのピアノコンチェルトとして統合されるのだ。最初に、この曲の重要なテーマのひとつでもある民謡「最上川舟唄」のモチーフが取り込まれる。重厚なパーカッションによって日本の伝統的なリズムが、そして哀調を帯びて琴線に訴えかけてくる音階が、小曽根の見事なオーケストレーションによって生まれ変わっているのだった。しかし、これがもう小曽根の才能と感性という以外はないのだが、日本人の民族的なエートスだけに訴えかけるような引用のしかたではない。ピアノコンチェルトという伝統的な西洋音楽の形式の中で、日本の伝統的なリズムとメロディを自由に羽ばたかせることで、それを普遍的なまなざしを持つグローバルミュージックとして回収することに見事に成功したといえる。つまり、「最上川舟唄」は、人が自然と対峙するときのありかた、世界中の誰もが故郷の差山河と川とを思い出す際の認識の具となったのである。もちろん、この山形の人々には「最上川」の美しい情景が想起するに違いないが、その日会場にいた世界からのゲストが、それぞれの母なる川を思い起こす。ナショナルなものに簡単に回収されない、普遍的な郷土愛(パトリ)の腰の強さを感じさせるが、それは世界への愛へ繋がっているといってよい。

ピアノと管弦楽は、対話を続ける。繰り返し現れ変奏される主題は息を飲むほど美しいが、不安感を喚起するブルージーな曲調から、やがてジャズのリズムが導入される。小曽根のオリジンであり、また現在もアドレスをそこに置くジャズミュージックをフィーチャーするのだから、小曽根はあくまでも自由だ。譜面に落としてあるには違いないが、インプロヴィゼーションとしか思えないパッセージがあらわれ、このままジャズの世界に突き進むのではないかと思っていると、さっとオーケストラにバトンタッチ。オーケストラはトランペットをフィーチャーして、やはり哀愁を帯びたメロディで応える。金管が極めて美しい。フルオーケストラとなり最上川舟唄のモチーフが再度登場する。驚いたのは、終盤のラテン風のピアノソロだ。ラテン音楽は、小曽根のもうひとつの故郷であり、とりわけタンゴは、とても饒舌で情熱的、ドラマチックな展開に魅力がある。しかし、この曲で小曽根はタンゴ風なメロディを情熱的に弾きながら、物語の重みを少しも感じさせなかったのである。全力で演奏しながら、一方で抑制的であり、非常に構築的な楽曲と演奏だと感じた。これは、この曲で、あくまでもリリカルに最上川のランドスケープを描写しようとしたコンポーザー小曽根の意志の表れであり、とりもなおさず、三楽章から構成されるピアノコンチェルトという形式を選び、伝統形式を自家薬籠中のものとして、その中で自由になろうとする、音楽家小曽根真の新境地といえるのではないか。譜面の中で自由になることを知ってしまったジャズピアニストの、凄まじい才能のほとばしりと情熱とを感じた。

やがて、ピアノとオーケストラが大音響できらびやかに結びついて、高揚感のうちに美しいンディングを迎えた。感動を抑えきれない聴衆が、一楽章の終わりにもかかわらず拍手をしてしまったのだが、それもしかたがないことだった。約十五分の壮大な叙情詩を、私たちは堪能していた。

第二楽章は、静かな曲想を持つ。短かくも、とても重要な楽章である。オーボエのソロではじまり、より低音のファゴットが加わる。その二重奏を、小曽根は指揮をしないで聴いている。美しい木管の対話が終わり、小曽根が手をあげて指揮をすると、管弦楽とピアノが加わって厳かに曲が動き始める。私は、この楽章につけられたタイトルを知らないが、おそらくは山形の長く厳しい冬と大量に降ると雪を形象したものであろう。ピアノは、高音まで上昇し、そして下降を繰り返す。雪の結晶のような、透明な音の連なりが続く。やがて、主題が提示されるが、弦楽器の奏でる美しい旋律に対峙するかのような、複雑な不協和音でピアノが応じるのである。あえて伝統的な和声を崩すことで音と音とのテンションを強く意識し、空間を凍らせてゆく。そしてその静寂をティンパニの大音響が破ってゆくという構成である。不協和音を多用しているから音が無限に散乱し、その上でひとつひとつの音が、われがちにペアとなる音を探し始めると、音があちらこちらで乱気流を作り出す。そして、そうしたいくつもの音の渦を俯瞰的にみたときに、現代音楽の最も先端的な作品が現前しているというわけなのだ。おそらくは、ジャズで多用される和音を多用し、そして12音階音楽の遺産も抱え込んで構築されたこの楽曲が、やはり、それぞれの来歴とは無縁になって、音と音との新しい、緊張を伴う調和点を見つけていることを知るとき、私は、小曽根真が現代音楽の世界に一歩踏みだし、新しい貢献をしていることに気づいて、心から感動した。日本人の書く現代音楽というと、どうしても武満徹を思い出し、もちろん武満は偉大だが、その引用や模写からなかなか離れられないでいるこの国の作曲家たちにしばしば失望していた私にとって、リズム感があり、必要以上の質量を持たない小曽根の音楽は新鮮に聞こえてきたのだった。厳冬の最上川河畔にたたずむ小曽根真の姿を、α波が導かれる美しい音の散乱の中から見いだすのは、容易なことである。

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第二楽章が終わると、間髪を入れず第三楽章がはじまった。冒頭は、バッハのインヴェンションのような端正な旋律で、透明な明るさを持つ。ユーモラスでチャーミングな音の対話によって、春の到来の喜びを歌いあげるのだ。この楽章では、ジャズのリズムとフレーズの侵犯がたびたび起こる。とりわけ、パーカッションの打ち出す音は、ジャズドラムスのそれで、私はステージ上ドラムスのセットを探したぐらいである。小曽根の指揮も、若々しく踊るようなそれで、オーケストラもその力を出し尽くして、しかし、いかにも楽しそうに演奏を続けるのだ。この楽章で効果的に使われるジャズのフレーズは、曲に都会的なテクスチャを与え、自然の中に生活する人々の姿を出現させることに成功した。そこには人々の交わす日々の挨拶、笑い声、親密な心のふれあいが表現され、季節の移り変わりのダイナミズムを感じるもうひとつの主体が、人間そのものにあることを知らせてくれるのである。鍵盤全体を縦横に用いる快活なピアノソロののち、フルオーケストラで歌って一気にスローダウン。一旦曲を終息させてから、指揮の小曽根に導かれるようにして再びトラディショナルな民謡のモチーフが提示される。フルートが旋律を担い、弦楽器が続く。静かな夜のイメージである。やがて夜明けが訪れ、噴出する命のエネルギーの中に私たち聴衆が身を委ねていると、驚いたことに闇の中から人の声が湧き上がるように聞こえてきた。聴衆に対しては事前に全く告知されていなかったのだが、左右の階段状の客席の前方には山形県民から選ばれた合唱団がひかえており、このピアノコンチェルトの末尾を美しい人の声のハーモニーで彩るという趣向だったのである。私たちは虚を突かれ、驚き、そしてあまりの人の声の美しさに魂をゆさぶられた。祈りの言葉こそ与えられていないが、フォーレのレクイエムを想起させる美しい旋律にのって、天からの声が地上にもたらされる。そして、それを契機に、小曽根のピアノと管弦楽は再び統合され、ラストノートに向けて突き進んでいった。それは明らかに、自然の懐に深く抱かれることによって生命の神秘に目覚め、川の蕩々とした流れによって悠久の時の時を知った、ひとりひとりの人間に捧げられた讃歌なのだった。両腕を広げ鍵盤を自在に叩く小曽根はエネルギッシュで、それに応えるようにオーケストラも全身全霊を傾けて演奏に集中してゆく。そして、小曽根が鍵盤からぱっと手を離し、ふりかえりざまに左右の合唱団に指示を迎えると、再び美しい女声合唱が湧き上がり、美しく壮麗なエンディングを迎えたのだった。

ラストノートの残響が客席に消えてゆくのを待って、激しい拍手が会場を満たす。重なり合うように聞こえるブラボーの声声。国民文化祭のためにやってきたアメリカの高校の合唱隊のメンバーもブラボーをコールしている。小曽根真のピアノコンチェルト「もがみ」が、生まれながらにして、間違いなく世界的な、普遍の領域に到達していたことを如実に語るエピソードであろう。小曽根のこぼれるような笑顔がチャーミングだ。そして、日々最上川を目の当たりにしながら暮らしている山形交響楽団のメンバー、そして国文祭やまがた合唱団の人々からは、なすべきことをなしとげた安堵と誇らしげな表情がのぞく。楽曲の制作に携わった彼らの感動に思いを致すとき、また聴取である私たちも感動せざるをえないのであった。残念なことに、このオープニングフェスティバルはスケジュールがタイトで、カーテンコールの時間とてなかったのだが、演奏時間約35分のこのコンチェルトの初演は、すべての聴衆の記憶に一生涯焼き付けられるだろう。こうして、ワールドプレミアは、大成功のうちに、幕を閉じた。

 この曲で、小曽根真は、自己の来歴であるジャズミュージックやラテン音楽までも、ワールドミュージックのひとつ、そして自分の選ぶべき表現手段のひとつとして対象化し、冷静にその魅力を見つめ直したうえで、改めてコンチェルトの構成要素として選び直しているように見える。また小曽根は、日本の伝統音楽である民謡に、現代音楽と等価なものと見つつも、今回はじめて直接対峙し、西洋音楽(とりわけクラシック音楽)の伝統様式にのっとって新たな楽曲を創造し構成してゆくなかで、それを心ゆくまで咀嚼したのではなかったか。自らを白紙に戻し、音そのものの、リズムそのものの躍動感に耳を傾ける。小曽根にとって、よい音楽とわるい音楽、感動する音楽と感動しない音楽という、極めてシンプルな区別しか存在しないのだ。そのシンプルな感性のふるいに耐えたリズム・旋律によってのみ構成されているからこそ、私たちは自由で豊かな息吹を、この新しいコンチェルトから感じとることができるのだろう。

自らのジャズピアニスト=コンポーザーとしてのかがやかしい経歴を、一旦棚上げにして、音楽に直接向き合う。このようなやっかいで辛い作業を、与えられた仕事としてではなく、音楽家としてのウェイ・オブ・ライフとしてまさに生きてしまう……そのことが、小曽根真の天才と音楽家としての業だと思うが、私たちは、その動き続ける小曽根真の精神の動きを、目の当たりにしたのであった。

川の流れをモチーフとした名曲としては、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の中の「モルダウ」があまりにも有名である。もちろん、この曲の芸術作品としての価値は高く、私も愛聴してやまないのだが、また同時に、作曲家の民族復興の、ナショナルな意志を強く伝える曲想を我々が強く受け取らざるをないも事実であった。小曽根真のピアノコンチェルト「もがみ」は、同じく川の流れをモチーフにしながら、単純にナショナルな意志だけに回収されない強靱さを持つ。それは、もちろん私たちが生きる時代環境のせいもあるが、なによりも、作曲者小曽根真が、まずは彼の認識と表現の具である音楽において、極めて自由でフェアなまなざしを持っているからにほかならない。音楽においてコスモポリタンである彼の生み出す楽曲が、インターナショナルなパースペクティブを持ち、より普遍的な領域を目指していることは明らかで、だからこそ、この曲は生まれながらして世界音楽たりえているのである。私は、井上ひさしが小曽根真にこの曲を委嘱した意図がここにあり、またその意図はみごとに実現されたと思っている。だからこそ、今後この曲が世界中で演奏されることを、心から願わずにいられない。

小曽根は、札幌交響楽団とのモーツアルトの「ピアノ協奏曲9番、変ホ長調」の共演、そして京都交響楽団とのガーシュインの「ピアノ協奏曲ヘ調」の共演を間近に控えている。この二つの公演の予定が、小曽根の作曲家としての想像力をかきたてて、ピアノコンチェルト「もがみ」誕生のイニシエーターとなったことは間違いない。だからこそ、今「もがみ」の初演の成功を経て、ピアニスト小曽根真が、どんなモーツアルト、ガーシュインを披露するのか、その演奏が待たれてならないのである。

私は、小曽根真と同じ時代に生きていることを神に感謝したい。

text by midwest

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