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【小曽根真】やまがた芸術の森音楽祭2020~映画の森~ オーケストラ・コンサートA 「山形ゆかりの音楽と“もがみ”」 2020年10月10日(土) やまぎん県民ホール

やまがた芸術の森音楽祭2020~映画の森~
オーケストラ・コンサートA
「山形ゆかりの音楽と“もがみ”」
2020年10月10日(土)
13時
やまぎん県民ホール(山形県山形市)
ピアノ 小曽根真
指揮 太田弦
管弦楽 山形交響楽団
民謡 遠藤憲一
尺八 髙橋兼一


やまぎん県民ホールは、山形駅周辺再開発の中心的な存在として、山形駅西口に建築された木を多用した美しいコンサートホールである。2020年3月グランドオープンを迎える予定であったが、新型コロナウイルス感染症の拡大によってこけらおとし公演が中止になり、開館が5月にずれこんだ。その中止になったこけらおとし公演で演奏される予定だったのが、小曽根真作曲のピアノ協奏曲「もがみ」である。リハーサル中、公演自体が中止となる決定が伝えられたときの、小曽根をはじめ、音楽家や関係者たちの驚きと落胆の表情がYouTubeに残されている。山形を代表するコンサートホールのこけらおとしで、山形の風土と人々の生活からインスピレーションを得た「もがみ」を、山形交響楽団と作曲者小曽根真との共演で聴くことができる。こんな贅沢な経験はそうそうできるものではない。それだけに、その機会を失った山形の人々の喪失感はたいへんなものであったと思われる。


その「もがみ」が、やまがた芸術の森音楽祭2020のプログラムのひとつとして公演されることになった。すでに小曽根は、7月に、"Jazz mssts Clasiic"として新日本フィルハーモニー交響楽団と、二度「もがみ」の公演を行い大成功をおさめているが、楽曲や演奏のすばらしさはもちろんのこと、新型コロナウイルス感染症パンデミック状況からライブ音楽が復活することのアイコンとしても記憶されることとなった。それは、小曽根真の音楽への愛と献身から導かれた必然であり、山形出身の作家井上ひさしによって委嘱された「もがみ」の運命であったともいえる。私自身は、東京での二公演を聴いて魂が揺すぶられる経験をしたが、やはり山形の空気の中で聴く「もがみ」は特別である。そう確信するといてもたってもいられなくなって、往復900キロのロングドライブに臨んだのである。


演奏の冒頭、民謡の遠藤憲一と尺八の髙橋兼一がステージ袖に呼び込まれ、朗々と「最上川舟唄」を歌いあげる。私はこの民謡をライブで聴くのははじめてだったが、これが現在望みうる最高の「最上川舟唄」であることはすぐにわかった。それだけ圧倒的な説得力を持つ歌であったといえる。この歌が、小曽根や指揮の太田弦、そして山形交響楽団のメンバーを強くインスパイアしないはずはない。第一楽章冒頭の水音を表現する鍵盤の連打は繊細でありながら力強く、一音一音が粒だって聞こえる。やがてそれは美しい管弦楽と一体となって、より広く雄大なパースペクティブを獲得、やがて壮大な叙事詩が全体像を示しはじめた。冒頭で「最上川舟唄」を聴いたせいか、「もがみ」の隅々に「最上川舟唄」のモチーフが聞きとることができ、小曽根がどれほど深く「最上川舟唄」に敬意を払いながら、クラシックとジャズといわず音楽のあらゆる語法を組合せ、緻密に「もがみ」を構築していったかが、私にもつぶさに理解することができた。山形交響楽団の渾身の演奏もすばらしく、曲想にあわせて感情をコントロールしながらも、この曲を演奏するよろこびに溢れていたように思う。小曽根のジャズの機知にあふれたカデンツアのすばらしさは言うまでもない。


第二楽章は木管三重奏が中心の暗く思索的な曲だが、オーボエ首席柴田祐太が持ち替えて吹くオーボエ・ダモーレをはじめとして、木管アンサンブルがみごとに静謐な対話をつくりあげて、一音一音を美しく丁寧に聴かせてくれた。小曽根のカデンツアも、同じように一音一音のインスピレーションがおりてくるのを待ちながら、しかしそれらを織り上げて物語にしてゆくという神業ともいえる演奏で、聴衆の心を揺さぶった。


続く第三楽章は、春のよろこびをためらいなく歌いあげた美しい曲。今回の「もがみ」には、パンデミックによってよろこびの春を迎えられなかった今年特有の思いがこもる。秋の清涼な空気の中で歌いあげる春のよろこびであるが、そこになんの矛盾もない。交響楽団のメンバーの公演再開のよろこびの思いも加わっていた違いない。聴衆も笑顔で渾身の演奏に応えるのだった。私の席からは、小曽根の向こうにコンサートマスターの髙橋和貴の顔がのぞめたのだが、ふたりが同じ時に笑顔になり、同じときに顔をしかめるのが実に興味深かった。それほど、ソリストとオケが息があっていたということだろう。「もがみ」の指揮にすでに熟練した太田弦の飛び上がるようなコンダクトもすばらしかった。それにしても、今回の三楽章の小曽根のカデンツアはとても長かった。前回の読売交響楽団とのモーツアルトで、むしろモーツアルトに寄り添うように演奏した小曽根が、今度はコンポーザーとして自由闊達にカデンツアを弾きこなす。結局、この直近のふたつの演奏はひとつの音楽的態度でしかないのではなかろうか。そうモーツアルトのように弾くことは小曽根真らしく弾くことなのだ。そう確信して、わたしは深く納得し、さらに深く感動したのだった。そして、フィーナーレの武本和大のハモンドオルガンが、この美しいホールを、音楽への祈りでいっぱいにしたのである。


鳴り止まない拍手。「BRAVO」のタオルを掲げる者もいる。そしてスタンディングオベーション。山形の聴衆たちのこの曲への渇望にも似た思いに、私は胸がいっぱいになった。ほんとうにここまで来てよかったと思える瞬間だった。アンコールは、小曽根の"Mo's Nap"。これをオーケストラと一緒に。ソロスとアンコールとして何度もデュオで聴いたが、協奏曲としてのアンコールははじめてである。山形交響楽団と小曽根真との相思相愛は、これからも続くであろう。山形へ足を運ぶ機会も多くなりそうだ。


実は、今回の山形へのドライブは、12年間つきあった愛車との最後のロングツーリングにするつもりだった。しかし、直前にトランスミッションが壊れ突然の廃車。その夢は潰えてしまった。人生は思い通りにいかないものだ。しかし、わたしは新しいクルマで山形へやってきた。いきなりのロングツーリングに驚いたことだろう。しかしその記念として、私はこのクルマに「もがみ」という名前をつけることとした。それを小曽根さんは許してくださるだろうか。この「もがみ」に乗って全国のコンサートやライブに駆けつけたい。そんな思いにさせられた、山形の「もがみ」だった。(了)



【小曽根真さんからのメッセージ】

中西さん、ありがとうございます!!

おっしゃる通り山響の皆さんはこの何年もに渡って「もがみ」の再演を唱えてくださっていました。音楽家としてこんなに幸せなことはありません。ただ僕はオーケストレーションをやり直したくて、時間が随分掛かってしまいました。それを辛抱強く待ってくださった、そして僕のわがままを許してくれた山響の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

7月に東京で素晴らしい演奏をしてくださったのは新日本フィルハーモニーの皆さんですが、実は2003年の初演の時、僕一人では力不足なので東京から何人か力強い助っ人に来て頂いたのですが、そのお一人がその当時新日本フィルの第二バイオリンの主席奏者だった戸松智美さんでした。戸松さんはもう現役からは引退されていたのに、この7月のコンサートで「もがみ」に載ってくださっていたので、初演からのご縁はしっかりと繋がっている思いで弾かせて頂いてました。おとまさん、本当にありがとう!

こんな素晴らしい評を頂いて胸がいっぱいです。

本当に遠いところをありがとうございました。

しかも新車が「もがみ号」とのこと…

どないしょ〜! もっとちゃんとします!

心からの感謝をこめて…🙏

小曽根 真

小曽根真さんのFacebookから


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