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【神野三鈴&小曽根真&綾田俊樹】神野三鈴ライブ「とちゅう」 2002年6月16日 南青山Body&Soul

神野三鈴ライブ「とちゅう」ライブレポート
2002年6月16日 南青山Body&Soul

出演
歌と朗読:神野三鈴
ピアノ:小曽根真(こそねしん)
司会:綾田俊樹

2002年6月16日は、FIFAワールドカップ決勝トーナメント一回戦で、PK戦の果てにスペインがアイルランドを辛くも破った日である。しかし、ここ南青山Body & Soulに集まった私たちにとって、この日は、女優神野三鈴のシンガーとしてのデビューライブが行われた日として永遠に記憶されることとなる。世をあげてのサッカーへの熱狂の中、私たちは静かにステージが始まるのを待っていた。なにしろ今回のライブは、二週間前に小曽根フォーラムで告知され、60席だけ準備されたいわばプラチナチケットである。よほど運が良くなければ、ここに居合わせることはできない。つめかけたゲストの方々も含めて、既に満員のBody & Soulなのである。

午後7時10分、定刻より少し遅れて、タキシード姿の綾田俊樹さんが登場。やんややんやの大喝采。おもむろに綾田さん、「金波銀波の人の波…」と声高らかに古典的な切り口上。さすが喜劇役者とばかりに、会場の緊張感をサッと解いた。左手にピアノ、中央にスツールがふたつ。その後ろには、綾田さんの奥さんの手になるというかわいらしいオブジェが飾り付けられている。綾田さんのトークが冴える。「私はただのおじん役者、死にぞこない役者、最近競演の多い藤山直美さんからは死体役者と呼ばれています。」「私は昔からジャズを聴いてきた。持っているジャズのレコードが三枚…。中学の時は、放送部長。校内放送でとんでもない曲をかけて先生にしかられました。私が最初に出したのはソノシート。そう向こうが透けて見えるやつです。伴奏は坂本龍一。競演は吉田日出子。すごいメンバーでしょ?この人女優ですが歌がめっぽう上手かった。さて、さて、今日の女優は歌が上手いか、どうか」。会場は爆笑の渦。「ここで、今日の伴奏を紹介します。ピアニストのこそねしんさんで~す。」満を持してこそねしんさんが登場。もちろん、小曽根真氏にうりひとつである。「あ~、小曽根さんによく似ているんですね」「よく、そう言われるんです。小曽根さんから急に電話かかってきまして…」「ほんとに似てる。大阪弁で言うと『めっさ似てる』。ほんとによく似てます」「小曽根さん、今度新譜だされるそうで、マイケル・ブレッカーとか、ジョン・ヘンドリックスとかといっしょにレコーディングしたらしい」「よう、知ってますねえ」「ええ、直接電話で聞いたもんですから。この不況の世の中に、不況(不協)和音のCDを出すとか…」こそねさんも、負けじとジョークを飛ばす。こそねさんがピアノの前に座り、いよいよライブが始まる。

袖のカーテンをバッと開けて三鈴さん登場か、と思ったら、一瞬顔を出してまたカーテンをバッと引く。満員の会場に気圧された…という雰囲気。演出ではなく、三鈴さん、本当に緊張している。

①『ようこそ』
「♪ようこそ!ようこそ!きょうは来てくれてありがとう♪」
オープニングはアカペラで。三鈴さんが、思いをふっきるようにゆっくりとステージに向かう。緊張で声が震えているが朗々と歌う。さすが女優、堂々たる出である。白いドレスが美しく映える。ピアノのBGMで、トークが始まる。
「私が覚えている私の最初の感情は『はやく探しに行かなくちゃ』でした。お父さんもいて、お母さんもいて、家族もいて、とって満ち足りて幸せなのに、でも『はやく探しに行かなくちゃ』。きっと何かが待っているから…。それは…」
このトークで、今日のライブの主題が端的に語られた。出逢いの前の長い長い時間、出会って後の長い長い時間。しかし、いったい誰に、何に出逢うのか?それは、女優神野三鈴にとっては、小曽根真に…なのか?女優という仕事に…なのか?今日のライブのタイトル「とちゅう」は極めて意味深長だが、それに対する答えを、三鈴さん自身がゆっくりと解き明かし始める。

②『雨の街を』
「♪夜明けの雨はミルク色静かな街に
 ささやきながら降りてくる妖精たちよ
  誰かやさしくわたしの肩を抱いてくれたら
 どこまでも遠いところへ歩いてゆけそう♪」
荒井由美の名曲をとてもチャーミングに歌う。そして、再びトーク。「私は十五歳くらいで、すべて終わったと思った。」怖い言葉。美しい少女に前に立ちはだかる残酷さ。そして、美しい少女の内部に潜む残酷さ。残酷な仕方でのイノセントへの決別。女優神野三鈴という存在には、常に少女のきらめきが感じられるだけに、その輝きが自らを傷つける両刃の剣となるのだろう。底抜けの明るさの中に透けて見える暗闇への傾斜。その精神のゆらめきこそが、この女優の心身を支えているように見える。ひとつが終わり、ひとつが始まる。神野三鈴の旅のはじまりである。

③『愛して愛して愛しちゃったのよ』
「♪愛しちゃったのよ 愛しちゃったのよ あなただけを 死ぬほどに
 愛しちゃったのよ 愛しちゃったのよ ねてもさめても ただあなただけ♪」
神戸出身の浜口庫之助作詞・作曲、マヒナスターズ大ヒット曲を最初のフレーズだけ。創り上げた健康なお色気でコケティッシュな印象を醸し出す。大人へと背伸びする少女のときめき。恋に恋する神野三鈴。


 一転して、ステージは詩の朗読となる。綾田さんとの交読である。おそらくは、はがきほどのカードに三鈴さん手書きとおぼしき詩が十数編。三鈴さんは壁際から、綾田さんは胸のポケットから、それぞれ手に持ってスツールに腰掛ける。まずは、谷川俊太郎さんの作品から。少年と少女が、将来決定的な誰かに出会う予感に胸を焦がす。畏怖、焦燥、希望、苦悩、快楽……。さまざまな思いの交錯するマイクロコスモスを、見事に言葉ですくい取る谷川さんの詩。そして、それを具象化する俳優の肉体と声。そして、低く奏でられるピアノの音色が加わって、朗読がドラマに転換する瞬間に、私たち聴衆は立ち会う。


朗読が終わると、今度は二人芝居。三鈴さんはおもむろに赤い頭巾を、綾田さんはオオカミの顔の書いたかぶり物をかぶる。思いがけない「赤頭巾ちゃん」の登場に、最前列の子供達は大喜びである。綾田さんのオオカミは、あくまでも饒舌で、明るくポップな悪漢。口先だけでは信用ならぬ。三鈴さんの赤頭巾ちゃんは生意気ざかり。オオカミもへいちゃらとばかり言い返す。息のあった抱腹絶倒の掛け合い。ふとピアノのこそねさんに気付いて、「あっ、こんなところに森のしいたけが!」「いえいえ、それは森のかかし」。赤頭巾ちゃんのあまりの破天荒に、オオカミから「わりとフランクな赤ずきんちゃんだね」と感心されもする。ピアニストのこそねさんも、付け鼻をつけて「ヤマネズミ ロッキー・チャック」に変身。これがもう、はまり役なのである。ね、簡単に想像できるでしょう?

④『ベルベット・イースター』
「♪ベルベット・イースター 小雨の朝 光るしずく 窓にいっぱい
  ベルベット・イースター むかえに来て まだ眠いけどドアをたたいて
空がとってもひくい 天使が降りて来そうなほど
いちばん好きな季節 いつもと違う日曜日なの♪」
三鈴さん、再びユーミン初期の名曲を熱唱する。いよいよ恋の成就の予感。とびちるような少女の笑みである。谷川さんの詩も男女の運命的な出会いへと展開してゆく。赤頭巾ちゃんは、なかなか来ない。それもそのはず。赤ずきんちゃんは、男の子と恋に落ちたのである。いくら待ってもくるわけなどない。待ちかねたオオカミは、おばちゃんを食べてしまった。綾田さんのオオカミの、微にいり細かい描写に会場爆笑。実におばあちゃんはマズそうなのだ。

⑤『ろくでなし』
「♪古いこの酒場でたくさん飲んだから 古い思い出はボヤけてきたらしい
 あたしは恋人に捨てられてしまった ひとはこのあたしを 札つきと言うから
  ろくでなし ろくでなし なんてヒドイ アーウィ 言いかた♪」
越路吹雪の歌った名曲を、神野三鈴流に味付け。晩年のコウちゃんの、その存在自体が妖艶な悪女という雰囲気と異なって、女性誰もが持つ一側面ととらえかえすのが三鈴流なのであろう。存在のかわいらしさが、かえってふてぶてしさを増長させている。舞台の上でも、本格的な悪女役をはやく見てみたい気がする。それもフケ役で…。三鈴さんは、赤ずきんちゃんのバスケットに入った赤ワインをラッパ飲みする。もちろん、本物のお酒である。

 再び詩の朗読。谷川さんの詩は、やはり男女の運命的な出会いがモチーフである。大人の恋はただのロマンスではない。強く引かれあうがゆえに、周囲と孤絶し、ときにはお互いを傷つけあったりもする。もちろん、セックスも描写される。幸福であるが故に、時が永遠でないことを知ってしまう人間の悲哀。生きながらの別れはむしろ心配ないけれど、老いと死とがふたりを分かつ予感。そんな詩がつぎつぎと交読されるのである。読まれた詩をひとつ、ふたつ。1991年の詩集「女に」から。

   川
 マンガを買って私はあなたと笑いにいく
 西瓜を買って私はあなたと食べにいく
 詩を書いて私はあなたに見せにいく
 何ももたずに私はあなたとぼんやりしにいく
 川を渡って私はあなたに会いにいく

   ……
 砂に血を吸うにまかせ
 死んでゆく兵士たちがいて
 ここでこうして私たちは抱きあう
 たとえ今めくるめく光に灼かれ
 一瞬にして白骨になろうとも悔いはない
 正義からこんなに遠く私たちは愛しあう

一行目は三鈴さん、二行目は綾田さん、三行目は声をあわせて…というように。まるで聖書詩編の交読のようだ。ラブレターなのだろう。ラブレターなのだ。夫小曽根真への想いのいっぱいつまった…。

⑦ピアノソロ『パンドラ』
ここで、こそねしんさんのピアノソロ。ザ・トリオのアルバム『パンドラ』からタイトル曲。不協和音を多用したブルージーで自省的な曲である。静かに、パンドラの箱が開かれる…という寓意なのであろう。それは、シンガー神野三鈴の誕生を高らかに宣言するだけではなく、封印されていた人生の途上の記憶が蘇り、肉体化し、女優の身体のすみずみにまでみなぎって、新たな出発をするという意味も込められているような気がした。

曲が終わると、再び詩の朗読。今度は三鈴さんのオリジナル『おかあさんの詩』である。三鈴さんが介護をなさっているという最愛の母上へ捧げられたふたつの詩。おそらく、三鈴さんが表現者として、おかあさんへの愛を語るのははじめての経験ではないだろうか。ひとりで動くことのできなくなったおかあさんへの愛惜がせつせつと、しかしたんたんと語られる。この詩の朗読は、今夜のライブの山場であった。オリジナル作品ゆえ、私はここにこの詩を再現する術を持たない。とても残念なことだ。心から三鈴さんの再演を期待するものである。どうぞ、より多くの人に、この詩を…。私の書き留めたメモから、言葉の断片のみ記すことを許していただきたい。
「愛する人の名を話したり」「巨大な肉の塊」「わたしのおかあさん」

⑧『おやすみ、こどもたち』
「♪おやすみこどもたち……Good Night Children, Everywhere ♪」
昨年夏に三鈴さんが出演したシアター21の公演『おやすみ、こどもたち』から、小曽根さんの書いた主題歌を。劇中では、お友達の白木美貴子さんが歌っていらっしゃった。忘れもしないが、渋谷パルコ劇場での公演中、六本木のアルフィーで白木さんのジャズデビューライブがあり、小曽根さんの伴奏で白木さんがこの歌を歌った。そのとき、三鈴さんは、客席で涙を流していたのだった。今日は、自分が歌う番である。心をこめて、せつせつと歌い上げる。最前列のこどもたちが、じっと耳を傾ける。小曽根さん、いや、こそねさんの伴奏もメロディアスに…。会場全体が優しい雰囲気に包まれる。

 いよいよ、抱腹絶倒の赤ずきんちゃんも最終章。私は笑い転げていて、メモが残っていない。かすかな記憶をたどると、綾田さんの下ネタがよみがえってきた。消化不良のオオカミは、ついにおばあさんを下してしまうという、それは、それは汚いおはなし。しかし、こどもたちには大受けである。結局、賢い赤ずきんちゃんは、オオカミに食べられずにすんだのであった。さて、大人になったちょっと酔っぱらいの赤ずきんちゃんは、これからどこへ行くのか?まだ道の「とちゅう」で迷っているのである。

⑨『春のような』
「♪花のように冬のように美しくあれ……春のようにさわやかに♪」(聞き違いの可能性大)
最終曲はオリジナルとおぼしき美しい曲。神野三鈴らしい、優美で爽やかなエンディングである。来し方を振り返り、将来を見据えて、ふわりと現在の自分に立ち戻る。まだまだ道の「とちゅう」、人生の「とちゅう」。むしろ、シンガーとしては入り口。人生の伴侶小曽根真への愛、かけがえのない母上への愛、そして女優という仕事。それぞれ終わりのない旅路の、限りない深さへの「とちゅう」にある…と三鈴さんは言いたかったのだと思う。芸達者の綾田さんとの掛け合いは実に見事。詩の朗読と寸劇をコラージュにした構成も、三鈴さんの創意で、実に楽しめた。そして、歌である。いつものびのびとした爽やかな印象の三鈴さんだが、今回初めて開けたであろうさまざまな感性の引出しや、記憶の断片が、今後歌に陰影を刻印しゆらめきを与えるのは確実である。とりあえずは、『太鼓たたいて笛ふいて』での劇中歌に期待したいが、今後は是非ジャズのスタンダードやブルースにも挑戦していただきたい。なにしろ、今回は通奏低音に徹した世界的ジャズピアニストが伴侶なのだから…。愛する人からのすばらしいラブレターをもらったピアニストも、ますます本気になるに違いないのである。これから、厳しいレッスンになりそうだ。しかし、パンドラの箱を開けるとは、きっとそういうことなのだろう。

三鈴さん自身が、ゲストとオーディエンスへの感謝の言葉を述べて、ライブは8時15分に無事終了した。心地よい緊張感と笑顔の共存する、実に濃厚な65分の旅であった。激しい拍手と喝采によって、アンコールを求めるオーディエンスたち。三鈴さんはすぐに登場する。「みなさん、本当にありがとうございます。なにしろ、俳優ということで、アンコールの持ち合わせがございません。そこで、私にかわって真君がピアノを弾いてくれます」。

割れんばかりの拍手の中、小曽根さんが登場。「三鈴!アンコールの演奏料は別にもらうからね。ここからは小曽根真!」(爆笑)そして「才能はあるところにはある、ないところにはないということですね」と意味深長な言葉。「今回のライブのリハーサル、一回半しかできなかったんです。昨日、『訓練』いや練習して、そして今日一回あわせてやって。これからまた帰って、しっかり『訓練』しないとね」。公開の場でラブレターをもらった小曽根さんは、照れまくりである。そのシャイな感じが少年っぽくてまたチャーミング。愛を感じるふたりなのである。小曽根さんが続ける。「今回のアルバムは、僕がデビューしてからお世話になった方々に捧げるアルバムなんです。例えば、ここにいるBody&Soulのママ。東京で練習場所がなかったときに、昼間鍵を借りてこのピアノで練習させてもらいました。そういう人々への心から感謝が込められています。その中から、一曲おおくりします。昨年のNYのテロ、そして「オゾン(OZONE)層」の破壊の問題など、僕たちの社会はいっぱい問題を抱えてるんですけど、僕たちはどこへ行くのか、どこへ行ったらいいのかという想いでこの曲を書きました。聴いてください。」

⑩ピアノソロ Where Do We Go From Here? (アンコール)
四月に、横浜Motion Blueのファーストセットで演奏されたこの曲を、再びソロで。今夜のしめくくりにふさわしく、愛とテンダネスに満ちた美しいバラードであった。静まりかえりピアノの奏でるひとつひとつのノートに耳を傾ける聴衆たち。ラストノートの余韻が消え去るまで聞き終えて、激しい拍手と歓声がわきあがった。三鈴さん「なんか、真君のライブみたいだね」。(笑)小曽根さん「これからもお芝居に精進して、行こうね。精進。いい言葉だなあ!」(爆笑)でも、どうやら三鈴さんがお芝居だけに専念するのは無理のようである。もうすでに、このフォーラムで再演の予告をしていらっしゃるのだから。そう、パンドラの箱は開けられてしまったのだ。アーティストであるなら、いやアーティストでなくても、私たちの人生は「とちゅう」なのである。完成を実感して人生を終える人などいないし、もしそうだとしても、決してそれが幸福だとはいえまい。愛も「とちゅう」、仕事も「とちゅう」、でも新たなパンドラの箱を開けてしまうのが人間なのだ。神野三鈴は、表現者として、僕たちの前でそれをやって見せたのである。その爽やかなメッセージに、僕たちがどんなにか勇気づけられたか。感謝の言葉もない。

 三鈴さん、綾田さん、こそねさん&小曽根さん、Body & Soulの京子ママをはじめスタッフのみなさん、本当に暖かいライブをありがとうございました。三鈴さんにとって、おそらく人生のエポックになる大切な夜を共有できて私たちオーディエンスは幸せです。そして、近いうちに是非再演を!ペコさんにも、ファンの皆さんにも見せてあげたいですものね。とりあえず、来月に迫った『太鼓たたいて笛ふいて』の脚本があがるかどうか、もう井上ひさしさんに次第だと思いますが、是非公演にうかがえることを楽しみにしています。

注:こそねしん 当時J-WAVEで放送されていたプログラム"Oz Meets Jazz"の中でコーナーを担当するキャラクター。ピアニストらしい。

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