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【中村健吾&後藤浩二&伊藤君子】中村健吾(b)~後藤浩二(p)DUO Special Guest 伊藤君子(vo) ライブレポート  2003年2月7日(土) 赤坂B♭

中村健吾(b)~後藤浩二(p)DUO Special Guest 伊藤君子(vo)
2003年2月7日(土) 赤坂B♭

First Set
01 Divine
02 OP-OZ
03 Serenade
04 Black Coffee
05 Nobody Knows The Trouble I’ve Seen
06 Sometimes I Feel Like a Motherless Child
07 September in the Rain
08 Imagine
09 Going Home

Second Set
01 Brother Nutman
02 Hope
03 Time After Time
04 MI・YO・TA
05 My Funny Valentine
06 Just in Time
07 Everything Has Changed
Encore My Foolish Heart

これは確かにひとつの事件である。

2月7日赤坂B♭で行われた中村健吾・後藤浩二のデュオライブに集まったオーディエンスたちは、誰もがそう思ったはずだ。スペシャルゲストとしてヴォーカルの伊藤君子が加わるこのライブは、中村の、2003年冬のジャパンツアーの最終日に企画された、たった一夜だけの特別なコラボレーションであるが、今後長くファンたちの間で「伝説」として語り継がれる珠玉のパフォーマンスであったことだけは間違いない。三人のアーティストの極めて高い音楽性については追々語るとしても、まず、今回のライブを企画した中村健吾の卓越したプロデュースの力に対して、限りない賞賛と感謝の言葉を贈りたい。中村のジャズに対する深い愛情と、音楽への敬虔な祈りが通じて、今まさに神は、彼にもうひとつの才能を開花させよと命じているようである。中村の細身の肉体に宿る精神性の高さについては、つとに知られていることではあるが、来日するたびに贅肉をそぎ落とし、反面音楽家として一回りも二回りも大きくなって行く中村健吾に出会うにつけ、このジャズベーシストの内面で起きている化学変化のありようをつぶさに見てみたくなるのが人情であろう。中村は、この夜の後藤浩二・伊藤君子とのコラボレーションを通じて、彼自身の今を、あますところなく僕たちファンに語ってくれた。MCはいつになく少なかったが、逆にとても饒舌な、豊穣のライブであった。以下そのライブレポートをおおくりする。

午後7時38分、ステージに健吾さんと後藤さんが登場。健吾さんは、いつもと変わらない満面の笑みである。オーディエンスに手をあげて挨拶をしたあと、健吾さんは「では、恒例の『Divine』から聴いて下さい」とベースを抱き上げた。今年三十歳のピアニスト後藤浩二さんが静かに鍵盤に指を落とす。いままで聴いたことのないスローなテンポで『Divine』の演奏が始まった。後藤さんのピアノはひとつひとつの音が粒だって聞こえつつ、それぞれが見事にハーモナイズして極めて美しい。最初の一小節でオーディエンスの心をとらえ、二小節目で涙腺をゆるませてしまう。重さと軽みとを絶妙のバランスで併せ持つ魔法の靴である。僕たちは、あっという間に、その音色の美しさとフレージングに引き込まれてしまった。僕の前に坐っていた轟会長が語る。「ピアノの音を聞くだけで涙が出てきたのは、小曽根さんに続いて二人目だ」と。恐るべき名古屋の逸材の登場である。この日のためにリ・アレンジしたのであろうか、後藤さんは健吾さんの名曲を完全に自家薬籠中のものとした上で、リリカルな音色を産み出す。そこに、健吾さんのベースが加わり、深遠なこの夜だけの物語を紡ぎ出すのである。純粋なふたつの魂が、真正直に向かい合うことでしか生まれないリリシズムとロマンティシズムにあふれているのだ。僕は、一曲目から深くため息をついた。二曲目もデュオで、「OP-OZ」。(不覚にも僕はタイトルを失念。三鈴さんに御教示いただいた。)ファンキーなこの曲を、ふたりはしきりにアイコンタクトをとりながら楽しそうに演奏する。後藤さんのピアノは、鍵盤の広いレンジを多彩な音色で使うものだが、この曲ではとりわけ高音部を執拗に攻める。不協和音を用いたコンテンポラリーな味付けは後藤さんならではだが、しかしあくまでもスインギーでソウルフル。身体がひとりでに揺れ始める。ソロがベースに移ると、負けじと健吾さん、いつものように身体をしならせ、鼻歌でメロディーを追いながら弦を爪弾く。健吾さんの入魂の表情がとてもいい。この人もまたジャズの精なのである。再びピアノがソロをとったかと思うと、すぐにベースが割り込み、完全なチャットとなる。健吾さんは、ベースの正面をピアノのほうに向けて豊かな会話を楽しんでいるかのようだ。こうした局面では、ジャズはまさに格闘技である。二人とも渾身の力を振り絞ってフィニッシュ。沸き上がる拍手の中、健吾さん自身も感極まって声にならない声を上げる。雄叫びのようだ。一方、後藤さんは、眼鏡を外してハンカチで汗をぬぐっている。と、健吾さんは、合掌して後藤さんに深々とお辞儀をする。後藤さんも、深く一礼。すばらしいセッションの後、二人のミュージシャンがレスペクトの気持ちをとても素直にあらわしていることに、僕たちは深く感動していた。

三曲目は美しくセンチメンタルな曲『Serenade』。以上三曲は、すべて健吾さんのオリジナルである。後藤さんのピアノは、ピアニッシモの小さな装飾音もきちんと聴かせてくれる。インプロヴィゼーションにおけるスピードのコントロールや音の強弱のつけかたにも、さまざまな挑戦があって、たとえ一音たりともも聞き逃すことができない感じ。健吾さんのベースも、デュオライブならではの奔放な歌い方で挑発するから、二つの楽器のからみあいが爽やかにセクシーですらあるのだ。

四曲目から、ペコさんが登場。今夜のペコさんは黒のパンツに白のシャツを着こなし、黒のオーガンジーのストールを羽織っている。ボーイッシュにしてかつスタイリッシュ。とても都会的なイメージだ。ブルージーなスタンダード『Black Coffee』で、一気にオーディエンスの心を鷲掴みにし、存在感を示す。ペコさんの小さな身体からパンチの効いたジャズボーカルがあふれるように湧き出てくるが、それに少しもひるむことなく後藤さんと健吾さんのバッキングが絡んでゆく。とてもはじめて組むトリオとは思えない見事さだ。お互いがお互いを上手に挑発するので、否が応でも曲は盛り上がってゆく。ソロパートが、ピアノそしてベースとまわったところで、ペコさんが健吾さんの前に顔を差し出して「今度は私?」と自分を指さす。健吾さんが「そうだよ」と目で合図して、ふたりのバトルがはじまった。ペコさんは超絶技巧ともいえるスキャットで、自分を楽器に見立てる。このペコさんが、その昔、先輩ミュージシャンから、音程が外れるから、生意気にスキャットなんかするんじゃないと忠告を受けたことがあると聞いた。それからの修練の凄まじさ…。僕たちはこんなすばらしいスキャットが聴けることに心からの幸福を感じずにはおられない。健吾さんも、渾身の力を振り絞りながら応戦。アイコンタクトをしきりにとりながら、とてもセクシーなエンディングまで曲を導いていったのである。

「こんばんは!」とペコさん。オーディエンスも「こんばんは」と応える。後藤さんの方を手で指し示しながら「どえりゃー、うみゃーでしょう?」といきなり名古屋弁。もう会場は爆笑の渦である。もちろん後藤浩二さんが、名古屋出身のピアニストであることにちなんでの愛情に満ちた発言。後藤さんの肩が揺れている。実に豪快な先輩からのウエルカム・メッセージなのである。「でりうま!」。僕の調査によると、「でり」は「どえらい」の縮約形で、若者の使う言葉らしい。ペコさんは「でりうま!」ともう一度。オーディエンスはやんやの喝采である。「後藤さん、これでまだ三十歳なんですって。もう私の息子って感じでねえ…」とペコさんが目を細める。今度は健吾さんの方を向いて、「こちらはニューヨークから帰ってきた…」と紹介しようとしたら、すかさず健吾さんは「日本語、少シ ハナセル…」と謎の東洋人のまねでツッコミを入れる。また会場は爆笑の渦となった。こういう局面では、このトリオまさに関西系コミックバンドなのである。「なんだか同窓会みたいね」とペコさん。はじめてのピアニストがいても、同窓会。はじめから、同窓会。ステージに笑みが広がる。そして会場に笑顔が伝染する。会場がひとつになった

「次の二曲は、健吾さんが私のために選んでくださった曲で、私にとってははじめての曲です。いわゆるスタンダードではないんですが…どちらも重い曲ですよね。」とペコさんが健吾さんのほうを見る。健吾さんが深くうなずいた。今回のライブでは、健吾さんがペコさんに、新しい曲を提案したり、ペコさんが健吾さんに新たにアレンジを依頼したりしている。新しいコレボレーションに挑戦するなら、新しい曲にも挑戦しようという意図が見て取れる。五曲目は、ネグロ・スピリチュアルズの名曲『Nobody Knows The Trouble I’ve Seen』。ベースのソロで入って、比較的早いテンポで演奏される。素朴なアレンジであくまでもシンプルに…そのことが見事にこの歌の魅力を引き出し、またペコさんの歌のうまさを際だたせる。健吾さんはアルコ奏法で歌いおさめる。”glory, glory, hallelujah!”
六曲目は、健吾さんが指でタクトを振って後藤さんのピアノソロで入る、『Sometimes I Feel Like a Motherless Child』。健吾さんのライブではおなじみのブルースである。ペコさんはこの哀愁漂う名曲を切々と歌い上げる。ピアノとベースの伴奏が、ペコさんの歌を見事に輝かせている。健吾さん、これがやりたかったんだ!

七曲目は、ぐっとスインギーな『September in the Rain』。このトリオは百面相である。スキャットとベース、ベースとピアノの掛け合いがエキサイティング。健吾さんは、ずっと歌いっぱなしである。その目を閉じて演奏に入り込んだ表情をペコさんは愛おしそうにのぞき込んで、また渾身の力で歌い出す。これで楽しいわけがない。後藤さんも、彼のもつ多彩な音楽的ボキャブラリーを駆使して自由闊達なチャット。いやはや…人生観がかわってしまいそうだ。

ついにファーストセットも8曲目に突入する。ジョン・レノンの『Imagine』である。ベースのソロで入って、静かに歌が乗ってくる。いつもながら…すばらしい楽曲と、それにふさわしい演奏である。ご存じのように、この曲は2001年9月11日の同時多発テロが起きてからしばらくの間、アメリカのマスコミでは実質上の放送禁止になっていた曲である。その曲がつい先日、感動的に全米・全世界に流された。スペースシャトル・コロンビアの乗員のひとりが、この曲を自らのモーニングコールに選んだからだ。彼は、スペースシャトルの窓から青い地球を眺めながら、『Imagine』を聴いていた。彼はアメリカ人であったけれど、恐らく平和を心から希求していたに違いない。戦争について何も語らなかったけれど、この曲を選んだことが、彼の雄弁なメッセージになりえていたと思う。僕と同年代の宇宙飛行士だった。その彼が、今はもういない。ダコタ・ハウス、ワールド・トレードセンター、そしてスペースシャトル・コロンビア。常に悲劇とともにあるこの歌だが、しかしその度に、人々はこの歌を歌う。僕たちはこの曲を聴く。ペコさんの思い、健吾さんの思い、後藤さんの思いがひとつになって、僕たちの魂を浄化していった。この曲に関するMCはひとこともなかったけれど、すべてが僕たちに伝わったのである。

九曲目はファーストセットの最終曲。『Going Home』(邦題『家路』)である。ノスタルジックでリリカルなメロディー、そして美しい歌詞。ベースとピアノのデュオで入る。ベースはずっとアルコ弾きで、そこに、ペコさんの歌が乗る。今夜は「遠き山に日は落ちて…」というおなじみの日本語の歌詞より、 Going Home, Going Home,と歌い出す英語の歌詞のほうがずっとシンプルで心に響く。僕は、何度目かの涙を流していた。歌の力を、音楽の力を感じたからだ。集まったオーディエンスの誰もがそう実感していたに違いなかった。すばらしいテクニックを持ち、高い音楽性をもったミュージシャンたちが心をひとつにして、とてもシンプルな曲を演奏する。そこからあふれ出すセンチメント、リリシズムは究極の美しさである。誰もが圧倒され、説得され、自分の内面を、記憶をたどりはじめる。静寂の中で、音楽は演奏されてゆく。曲が終わって、残響が消え、一瞬の静寂ののち、拍手が沸き上がる。こうして、感動のファーストセットは終わった。健吾さんの祈り(『Divine』)は、確実にオーディエンスに届いていた。

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セカンドセットは、9時27分に始まった。ステージに、健吾さんと後藤さんが登場。「まずは僕のオリジナル聴いて下さい。タイトルはなんでしょうか??なんでその曲をやるかというと、このB♭の壁にたくさんのアメリカ人のミュージシャンがサインを残してますけど、その中にこの名を見つけました。」と指を指す。オーディエンスが「見えへん?」(ちなみに、このライブの共通語は大阪弁である…)と応じると、健吾さん「見えへんね!ナットマン!そのサイラス・チェスナットさんに捧げた書いた曲です。『Brother Nutman』おおくりします」。ピアノのイントロがはじまると、健吾さんがオーディエンスにクラッピングを求める。拍手がわき起こると、健吾さんは親指でOKサイン。さあ、いくぞ。健吾さんのベースが主旋律を奏で始める。後藤さんのピアノソロになると、健吾さんはピチカットにスラッピングを混ぜて、このブルージーでかつファンキーな曲を盛り上げる。それに反応して、まあ後藤さんのインプロヴィゼーションのすごいこと。正直息がとまりそうだった。鍵盤を隅から隅まで広くつかって低音域からグルーブ感を増しつつ、高音域を果敢に攻めてくる。そして、高音域で闊達に遊ぶのである。そして、どんな小さな修飾音も聞こえてくるキーストロークの正確さ。音符のおたまじゃくしが、常に上に向かって泳いでいるような美しい音なのである。このピアニストただ者ではありえない。それに、負けじと健吾さんのインプロヴィゼーション。全身をバネのように使って低音域から高音域の間を往還する。ベース独特の間の取り方と息づかいが聞こえてくる。僕たちは、こういう健吾さんの演奏が聴きたかったんだ、そう思わせるすばらしい掛け合いとなった。二度目のトライでは、健吾さん名物可変スピード。健吾さんのはやいピチカットに後藤さんの早引きのピアノが絡む。これもすごい。エンディングのあと歓声が沸き上がった。「オン・ドラムス、みなさん!ありがとうございます。オン・ピアノ後藤浩二。トリオ!」健吾さんは、クラッピングで演奏に参加のオーディエンスをドラムスとして紹介、みんなでトリオだと言ってくれたのだった。優しくてハートフルな健吾さんの心遣いにただただ感謝。

「ミュージシャンは音楽で何かを人々に伝えなければならないと、僕の大好きな小曽根真さんがいつも僕に言ってくれる言葉なんですが、僕もいつも音楽で何を表現しどんな風に伝えるか考えています。実は僕のすごく近しい人が、今北朝鮮との交渉の最前線で頑張っています。僕はニューヨークでテレビを見て、ああおじさんが、どんな大変なことを、日本を代表してやっているのかと思って、僕は彼のことをすごく尊敬している(proud of him )んです。僕らが北朝鮮のことを理解して、なんとか仲良くできないかと思ったりしているんですが、僕は音楽で常に平和のメッセージをなげかけていたいと思っています。僕自身はニュースを見るたびに、自分はどうしたらいいんだろうと問いかけていますが、やはり小さいことを広げてゆくしかないだろうと思っています。いま世界はどうなるか予断をゆるさない情勢ですが、なんとか多くの人が死なないで生き延びてほしいと思っています。次の曲は、いつも演奏してるものなんですが、どうしても後藤君にやって欲しいと思って選びました。聴いてください」。恐らくこの夜一番長い健吾さんのMCであった。ファーストセットとセカンドセットを通じて貫かれる中村健吾のスピリチュアルなものが、今明らかに語られたのである。しかし、言葉よりも雄弁に音楽が語り出す。二曲目は『Hope』。後藤さんの非常に美しいピアノが、ゆったりとした速度で主旋律を奏でる。アルバムではベースのソロで、ライブではソプラノサックスで奏でられたこの美しいメロディを、今夜はピアノで聴くことができる。それも、とびっきり甘美でリリカルな演奏で…。後藤さんの、もうひとつの側面が引き出される。それにしても、改めて健吾さんのコンポーザーとしての才能に驚かざるをえない。あまりにも美しい旋律は、僕たちの涙腺を全開にする。この曲では後藤さんのソロを、健吾さんは慈しむように支え、途中、健吾さんのベースが主旋律を担ったときには、後藤さんがそこはかとないバッキングで応える。再びピアノがメインにもどって静かなエンディング。この曲もまたすばらしい演奏であった。

さて、二度目の歌姫の登場を僕はどう書けばいいのだろう。本当にすばらしかったあの夜のライブであるが、ペコさんの存在感の重さは、あらかじめ健吾さんも後藤さんも、そしてわれわれオーディエンスもみんなわかっていたはずだった。しかし、健吾さんや後藤さんがそうであったように、ペコさんも予想を大きく裏切って、素晴らしかった。今思い出しても震えがくるほど、素晴らしかった。


登場は『Time After Time』のイントロに乗って…。このジャズの化身は絶妙なスイング感で歌い始める。こうしたスタンダードの歌う安定感には定評があるペコさんだが、しかし、これがはじめてのように新鮮に全身全霊で歌うから人々の胸を打つのだ。ジャズソングが、シンガーの長い経験と修練の結果、かろうじて成り立つ芸術であることを知らない者はいないが、でもあのように、ペコさんのように歌えたらどんなに幸せだろうと思える瞬間を必ず与えてくれるのがペコさんの歌だ。あっという間に、ステージに、ライブ会場全体に磁場のようなものを作り上げてしまう。プレイヤーもオーディエンスも、その磁力に吸い寄せられてゆく。健吾さんのソロも、後藤さんのソロも秀逸。さあ、トリオで行くぞ!

「セカンドセットは、割と普段歌っている曲が多いんですが、次の曲については、今日は何も説明しないでおこうと思います。」とペコさん。僕はこの言葉にユーモラスなものを感じて笑ってしまったのだけれど、でも実は意味がよくわかっていなかった。曲は武満徹さんの『MI・YO・TA』で、しかもボサノヴァにアレンジしてあったのである。ペコさんは、この曲のための前口上をしないと言ったのだった。サプライズ!僕は、まず息をのみ、次に歌にのめり込んでいった。もともとこの曲は究極の悲しさ表した美しい曲だが、ボサノヴァのアレンジで、心地よい甘さが加わりますます美しさが際だつように感じられた。アレンジといい、演奏といいこれも見事なコラボレーションである。「中村健吾さんのアレンジで『MI・YO・TA』という曲をおおくりしました。この曲は、健吾ちゃんはどうしても「ミドヤ」と言っちゃうんです。(爆笑)だから、健吾さんが『僕このタイトルいいませんね』と……あっ、ばらしちゃった。でも、歌のタイトルって意味がわからないと覚えられませんよね。だからまた言っちゃうんですが、「御代田の「御(み)」は、おみおつけの「み」で、「おみおつけ」は「御・御・御・つけ」で、「み」が三つ入ってるからおみそ汁はえらいんですけど(笑)、その「おみおつけ」の真ん中の「御(み)」なの。で、君が代の「代」に、田んぼの「田」。武満徹さんが、仕事場として使ってらっしゃった別荘地の名前で、軽井沢の近所です。そこは、きっとこもれびが美しい場所なんでしょうね。谷川俊太郎さんがこの詞をお書きになったんですが、たぶん武満さんが出迎えてくださった。そして、そのおうちの中には暖炉があって、その中でいろいろなことを語り合ったんでしょう。そんなことを想像しながら歌っています。この健吾さんのアレンジも素敵でしょう。とてもモダンな感じになっていて…。武満さん、ジャズがお好きな方でしたからこのバーションも喜んでくださっていると思います」。やっと書き取れてほっとしている。「御代田」のペコさん流の説明がとてもおもしろかったからだ。motion blueでの謎が氷解。とてもユーモラスで素敵なMCであった。

「次の曲は…そろそろチョコレートの季節ですね。みんなチョコレート会社の作戦に乗せられたという…。そのもともとの曲をおおくります。あっ、あれだ!と思ってる方もいらっしゃると思いますが…。」とペコさん。もちろん曲は『My Funny Valentine』である。ベースのソロにブルージーなペコさんの声がのって語りかけるように歌われてゆく。そこにそっとピアノが添えられる。ファーストノートから、もう伊藤君子の『My Funny Valentine』。世界中のどこにもない、たったひとつの『My Funny Valentine』なのである。それがスタンダードを歌う意味とでもいうように、声を自在にコントロールしてゆく。ベースの健吾さんも、ピアノの後藤さんもあくまでもメロウでセンチメンタルな演奏で、豊穣の時を刻む。間奏のソロパートを、ペコさんは美しいハミングで応じ、ドラムスレスのこのトリオの魅力をかえって際だたせた後に、また歌詞に戻る。この曲がわずか数分で終わることが、その場にいる誰にとっても限りなく惜しいと思われるような、そんな切ない時間をプレゼントされたのであった。

間髪を入れず、アップテンポのベースが聞こえてくる。『Just in Time』である。ペコさんは健吾さんの顔をのぞき込んで、「ほんまにそのスピードで行くの?」という顔をしたが、すぐに歌いはじめる。ほんとうに息継ぎをどこでするのかという速さなのである。ベースにぐんぐんひっぱられてワンコーラスを歌いきった後、ピアノのソロ。自由に遊ぶ後藤さんは饒舌で明るく、それを受け継いだ健吾さんのベースも、小気味よく躍動する。ふたりとも楽しくてしかたがないという感じである。いやしかし、このリズムは、単純に技術では解決できない世界である。健吾さん、えらい仕込みしはったなあ!ブラボー!「ああ、びっくりした。ほんまにびっくりした。よかった、間に合った!こんなはやい『Just in Time』私見たことない。」とおどけてみせるペコさん。「『Just in Time』だけに、間に合ったんやねえ」と健吾さん。みんな笑っている。

「ほなら最後の曲です」とペコさん。オーディエンスから、「えーっ」という声があがる。「まあ、まあ、まあ、まあ、一応くぎりというのはつけなあかん」とたしなめる。会場は完全にひとつになっている。最後の曲はペコさんの歌から入るスローバラッド『Everything Has Changed』である。語りかけるように歌う都会的な曲だが、サビからエンディングにかけてのフレーズがとりわけ美しい。この曲は、ピアノとボーカルの掛け合いで高音部を存分に味わえた。このライブにふさわしい、大人っぽいエンディングであった。会場は、歓声と大きな拍手に包まれたのはいうまでもない。

メンバー紹介ののち、一端控え室に戻ったメンバーは、オーディエンスの大きな拍手に迎えられてステージに戻ってきた。すぐにピアノの演奏がはじまる。アンコールはヴァースから丁寧に歌われる『My Foolish Heart』である。ワンコーラス目はピアノとボーカルのデュオで、間奏からベースが加わりトリオ。後藤さんはスタンダードナンバーを見事に消化して、最後まで美しいピアノを奏でる。ああ、美しい。ただただ美しい。会場からブラボーの声が飛ぶ。オーディエンスのすべての記憶に残るライブはこうして熱く静かにエンディングを迎えたのである。

それにしても、なんとすばらしいライブだったのだろう。このレポートの最初に、僕は、これはひとつの事件であると書いた。しかし、あの夜、赤坂B♭にいたオーディエンスのすべてが、そう思ったに違いないのである。確かに、あの夜、何かが起き、何かが始まった。ひとつは、僕たち東京のオーディエンスにはほとんど初お目見えの後藤浩二というすばらしいピアニストに出会えたこと。繰り返しこのレポートで述べたように、小曽根さんも認めた彼の才能はすばらしい。その証拠に、彼は僕たちを、最初の一小節で虜にしてしまった。ほんとうに、この名古屋出身・三十歳のピアニストはため息がでるほど美しい音を奏でるのである。インストゥルメンタルの演奏も、歌の伴奏もリリカルにしてロマンチック。パンチも効いている。是非多くの方々に彼の演奏を聴いて頂きたいと思う。しかし、僕たちは彼の才能のほんの一部しか見ていないのだということに気づいた。B♭の受付で買い求めた彼のファーストアルバム『A Wonderful Time』は全曲彼のオリジナル楽曲なのだ。小曽根真・中村健吾・三木俊雄、この人々はオリジナル楽曲で新しいジャズの世界を切り開こうとする挑戦者たちだが、後藤さんもまた、僕たちが尊敬し敬愛してやまないこれらのミュージシャンの系譜に連なる人であるということなのだ。次回は、彼の楽曲を彼自身の演奏で是非聴いてみたいと思う。出会ったばかりだが、もう後藤浩二から目が離せない。もうひとつは、選曲と構成の妙によって、今までと違う中村健吾・伊藤君子に出会えたこと。今回のセッションは、健吾さんがペコさんに一通のe-mailを送ったことから実現したらしいのだが、気心の知れた同窓会のようなメンバーだとはいっても、二人のプロフェッショナルが新しい挑戦をし、それを僕たちオーディエンスにまっすぐに投げつけてくれたこと。ネグロ・スピリチュアル、ブルースを歌うペコさんや、武満徹をアレンジする健吾さんの姿に、僕たちオーディエンスはどれほど励まされたかしれないのだ。どうせ一緒にやるんだったら新しいことをやろう!というのは小曽根さんの口癖だが、中村健吾は、確かにそのスピリットを受け継いでいるのである。ミュージシャンが、先輩ミュージシャンを心からレスペクトするということは、たぶんそういうことなのだろう。健吾さんが、今後もプロデュースの才能を見せてくださることを、心から期待したい。最後にひとつ加えるとすれば、今回のライブでは、ベーシスト中村健吾の魅力が前面に出ていて、心から感動したということだ。プロデューサーとして、コンポーザーとして、カルテットやトリオのリーダーとしても才能を十分に開花させている健吾さんだが、やはり僕たちは、中村健吾のベースがもっともっと聴きたいのである。ファンキーで、センチメンタルで、最近ぐっとシリアスな健吾さんに、もっともっと自由に奔放にしゃしゃり出て来て演奏してほしい。これでどうやねん!とやんちゃに見せつけてほしい。そんな願いが、今回のライブではすべてかなえられていたと思った。ほんま、めちゃかっこよかったで!健吾さん。


帰りの道々、みんながライブ録音ほしいな…と語ってしまう、そんなハートフルな、しかし真実ラディカルなライブであったと思う。ほんとうに、健吾さん、後藤さん、ペコさんのお三方に心から感謝したい。また、このトリオでやりますよね。約束してくださいね。生意気にも多言を弄しました。お許し下さい。こころからの愛をこめて….。(了)

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