とやまの見え方・70年代フォークソング「赤色エレジー」の思い出にふけっていて…

2023年6月10日投稿

 東京で学生寮の生活を始めたころ、寮は同じくらいの年齢の集まりで、1970年前後の風がもろに吹き荒れていました。

 ある夜など、外出から帰ってきた一人が、「新宿のフォーク・ゲリラを見てきた」と、興奮していました。二日ほど外泊していた者は、外泊先を明かそうとしないこともありました。

  そうかと思うと、後々になって知ったのだけれど、盾の会のメンバーがいたりと、混沌としていました。

 そんな中で当時流行ったフォークソングは、反戦的な曲や世相のパロディー曲でした。それで、あがた森魚さんの曲「赤色エレジー」がラジオから流れ始めたとき、 ……当時の学生にとって、新曲を知るのはラジオの深夜番組でした ……「愛は愛とて何になる……」とスローテンポで歌い出す歌詞は、誠に奇妙な印象でした。

 ただし、歌の内容は、当時のマンガ雑誌「ガロ」に掲載された「赤色エレジー」(林静一 作)をモチーフにしていたと、誰もが推測していました。というのは、学生寮には、そうしたマンガ本が沢山散らばっていたので、目にすることが多く、曲の内容自体に意外感はなかったのです。

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あがた森魚「赤色エレジー」の楽譜。コピーではなく、弾き語りの伴奏用に簡略化したもの。

 しかし、この曲は当時のフォークソングの潮流とは異なる内容だったし、歌詞も古臭い言葉遣いなので、“奇妙な印象”そのものでした。また、あがたさんのいでたちは、下駄ばきだったので、時代錯誤の印象も強烈でした。奇をてらう印象もあり、わざとらしいという思いもありました。そして、ヒットしていました。

 と、まあ、そういうわけで、当時からこの曲の出自や反響について興味を持っていたので、最近、自伝的な著書「愛は愛とて何になる」を見つけたので読んでみました。

 1949年生まれで今も現役で演奏活動をしているとのこと……、私は、当時彼のライブを見たことは無かったけれど……いや、一度だけ、どこかの学園祭で見たかもしれない……、当時の学園祭のライブと言えば、長谷川きよしさんの「別れのサンバ」を見たことはある……、と走馬灯のように、当時の世相がぶり返して来るのです。

 ところで、この本では、矢野顕子さん松岡正剛さんら7人が、文章を寄せています。その中の一人に、久保田真琴(くぼた・まこと1949-)さんがいます。久保田さんは、当時「久保田真琴と夕焼け楽団」というバンドで音楽活動をしたり、今は、プロデューサー、レコーディング・エンジニア、ミュージシャンとして活動していて、あがたさんと繋がりを持つ人のようです。

 その久保田さんが、次のように語っています。(この箇所は、あがたさんと直接の関係はないけれど)

 私のプロデュース本能は映画的なんです。実家は大正時代から富山の東洋館、小松に移ってからは日本館という映画館を営んでいて、小さいころからたくさんの作品にふれてきたんですね。だから全体を見るのが身についているし、そういうものがもう脳のフォーマットに入っている。 

 私の一人合点というか、身びいきが過ぎるかもしれませんが、無趣味で純朴と思われがちな富山の中には、そうではない底流があるんじゃないかと、久保田さんを通じて思ってしまいます。

(引用参考文献)
『愛は愛とて何になる』あがた森魚、今村守之著 小学館 2022年9月刊





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