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vol.6 好き嫌い

年末恒例の大プロジェクトも板についてきた頃…

その日は在社をしており、数週間後に行われるその展示会の準備をしていた。
招待客のリストを眺めていて、先日クロスのペンダントを購入いただいたお客様にもお越しいただけないかとふと思った。
〝新規顧客と親密度を高めるには展示会は絶好のチャンス!思い立ったら吉日‼︎〟
そう思った私は、想いを寄せる人に電話をするような気持ちになり、適度な緊張と高揚感に胸を躍らせ、デスクの脇に置いてある目の前の受話器を手に取った。

ルルルル、ルルルル…

呼び出し音が6回ほど鳴り、電話は繋がった。

「私、◯◯と申しますが◯◯様のお宅でしょうか?」

「……………   」

電話は繋がっているようだが、相手の声が聞こえて来ない。

あれ?繋がってるよね⁇

そのまま数秒が過ぎた。
〝回線の不具合なのだろうか…〟
そんなことを思いながら、

「もしもし?お忙しいところ恐れいります。私、◯◯と申しますが◯◯様のお宅でしょうか?」

と、もう一度、同じ言葉を投げかけてみた。

「……………  」

何も聞こえない。
掛け直して見ようかと受話器を耳元から離そうとした時だった。

〝ガサガサッ〟

そんな音が微かに聞こえた。
どうやら回線は繋がっているようだ。
再び受話器を耳元に戻し、

「もしもし…⁇」

私は様子を伺うように口を開き、相手の声が聞き漏れてはなるまいと力任せに受話器を耳に押し付けた。
暫く沈黙が続き、受話器を持つ手に痺れを感じてきた頃だった。

「…………何?」

と、電話口から口を開くのも面倒臭そうな女性の声が聞こえた。

うっ…

その声を聞いた途端、さっきまでの浮き足立った気分はあっという間にどこか遠くへ消え去った。
一瞬、このまま受話器を元の場所に戻そうかなどと不誠実な考えが頭を過ぎったくらいだ。
そのくらい電話口から聞こえて来た声は、恐ろしいほどに酷く不機嫌だった。
しかしながらお客様のお宅へ電話を掛けておいて、怖かったからと言って切る訳にもいくまい。
怯えつつも、こうはしていられないと鼻からスゥと空気を吸い込み、息を吐くのと同時に、

「私、◯◯百貨店でお世話になりました……」

と、勇気を出して言葉を放とうとしたその時だった。

「セールスなら結構よ!」

鋭い大きな声が耳元で鳴り響いた。

げっ⁉︎

あまりの剣幕に飛び上がった私。
想像していたシナリオとは全く違う状況に、身体は硬直し空いたままの口はアワアワしている。

電話口に出たのは女性で、しかも本人のようだ。不確かではあるが〝もしそうだとしたら…〟と思った途端、苦い物が喉元に込み上げ、居心地の悪さに逃げ出したい気持ちになった。
〝先ずは落ち着こう〟
そう思った私は、けたたましさが残る鼓膜を慰めようと片目を瞑った。
それから、自分の記憶に残るお客様の声と電話口から聞こえた声を照らし合わせてみた。

本人に間違いない…

それを確信すると、今度は後ろから覆い被さるように大きな悲しみの波が押し寄せて来た。
普段ならばどうと言うことのない場面で、今日は何故にこんなにも動揺するのか不思議でならなかった。恐らく、自分勝手に作り上げていたお客様の印象と電話口に出ているその方の印象があまりにも掛け離れていたからだろう。
いや違う…
接客時、お客様が自分に対して好印象を抱いてくれたと思う感覚的な自惚れが崩壊したことに傷つき、現状に対応出来ずにいるだけだった。
自信が過信に変わる時、毎度ろくな事にならないことを何度も体験して来たはずなのに、直ぐに調子に乗る性分に我ながら情け無くなる…

チクチクと痛む胸を摩りながら気の利いた言葉を探してみたが、動揺が上回りお客様の機嫌を取れるような言葉が出て来ない。
このような場合、うかうかしていると電話を切られてしまうことがある。
しかし、幸いなことに回線はまだ繋がっているようだ。
私はもう一度息を大きく吸い込むと、

「お忙しいところ申し訳ありません!先日は大変お世話になりました!!◯◯百貨店でクロスのペンダントを購入いただきました◯◯と申します。今、少しだけお時間宜しいですか?」

と、電話口で鳴り響いたお客様の声と同じくらいの音量でお決まりの言葉を一気に言い放った。
身体に染み付いた経験から、ありきたりの言葉だけは頭で考えずともスラスラ出てくる。
こんな時、それだけが唯一の救いだった。
突然電話口に向かって大きな声で自己紹介をする私に驚いたのか、会社内に居た周りのスタッフの視線が一斉にこちらに集まった。
が、そんなことは気にしてはいられない。
電話を切られてしまった後では、今回の展示会への来店を促すことはもう出来ないのだから…

そのまま相手の応答を待った。
数秒が経過したが、電話口からは何も聞こえてこない。
空白の時間が不安を呼び戻し、もう一度同じように怒鳴られるのではないかと想像し始めた私。
警戒感からか顳顬が締め付けられるように痛み出し、心臓は小刻みに震え出した。
けれども返事がない以上、ここで諦める訳にもいかない。

頑張れ…

自分に気合いを入れ、再度、話しかけようとしたその時だった。


「◯◯さん?あのお店に居た方⁇」

えっ⁉︎

拍子抜けするくらいの優しい声が電話口から聞こえて来た。

「は…は、はい!そ、そうです!!
せ、先日はあ、ありがとうございました。」

突然聞こえて来た穏やかな声に困惑した私は、上手く言葉が出ず、どもりながらそう答えた。
相手が入れ替わったかのような瞬間の出来事に脳がフリーズしたようだ。
やっと会話が出来ると言うのに、頭の中が真っ白になり次の言葉も浮かんで来ない。
すると、間をおかず電話口の相手の方が勢いよく話し出した。

「ネックレスとっても気に入ってるわよ。毎日着けちゃってるわ。あ、さっきはごめんなさいね。セールスの電話がうるさいから、不機嫌な出方しちゃって…◯◯さんって分かってたら、そんな出方しないんだけど…もう声を覚えたから次からは大丈夫!安心して掛けて来てちょうだい」

と、お客様。
売り場で話されていた時の口調そのものだ。

うそ……

有難い言葉を耳にしているのにも関わらず、固まった身体は元に戻らない。
それほどに受けた衝撃が大きかったのだろうか…グルグルと頭の中をお客様の声が三週ほど旋回した後、その言葉をやっと脳が認識し数秒遅れで口が開いた。

「あ、ありがとうございます!そ、そんな風に言って頂け嬉しい限りです」

再びどもりながら、慌ててそう答えた私。
だんだんと現状を認識出来てきたのか、お客様との会話が出来たこと、自分を受け付けてくれたと言う安心感が芽生え、カチカチに固まっていた身体がゆっくりと溶き解されているのを感じた。
その感触に支配された私は、次の会話を進めるのを忘れ、無言のまま受話器をただひたすら握りしめていた。


「で、今日は何の用事?」

次の会話が出て来ないことに痺れを切らしたのか、お客様が不思議そうに尋ねた。
その言葉でやっと現実に戻れた私。
不甲斐ながらお客様に導いてもらい、とうとう展示会の案内をすることが出来たのだった。

一通り案内を終え、お越し頂きたい旨をお伝えしたところ、

「○○さんから誘われたんじゃ断れないじゃない。いつ来て欲しいの?貴方の都合の良い日で良いわよ。私はどうせ暇を持て余しているんだから…」

お客様はそんな嬉しい言葉を返してくれた。
初めて出会えた時もそうだったが、こちらが心地良くなるような潔い返事だった。

電話を切った後、私は宙に浮いたような状態でふわふわとしていた。
耳元に残るお客様の優しい声と身に余るような有難い言葉に心と身体が満たされているのだ。
数十分前まで、相手の態度に恐れ慄き、極度の緊張で身体を硬直させ、受話器を何度も置こうかと考えていた奴と同一人物とは思えないほどの気分の変わり様だ。勿論、思うだけで切るつもりは毛頭ないが…

「これを私にお薦めしようとしたんだったら貴方のセンスを疑うところだったわ」

出会った当初にお客様が仰った、鋭い突っ込みが蘇る。

好きな物は好き。嫌いな物は嫌い。

そうだった…
お客様は、はっきりとそう意思表示される方だった。
自分勝手な妄想で優しい言葉だけを期待して電話をかけ、鉄槌を喰らい、右往左往と目紛しく動揺した自分を振り返り一人恥ずかしくなった。
宝石店で働き出して間もなくの頃、感情に身を任せ〝間違えました〟などと言って電話を切ったことが何度かある。
その時の私は仕事自体を理解しておらず、傷つくのを恐れ、全く無関係な自分のプライドを守ることで頭がいっぱいだったのだろう…
当時の未熟で青かった自分を思い出した。
恥ずかしさが急激に増し、私はデスクの上に肘を乗せ顔を覆った。
すると、目の辺りに感じる暖かい感触と作り出された程良い暗がりの中で、

それにしてもいつもよりも早いペースで
〝気付き〟のシチュエーションに辿り着く
このお客様との出会いにはどんな意味が
あるのだろうか…

そんな考えが頭の中に浮かんで来た。

電話を掛けてから20分ほど、いや30分は経過していただろうか…
社内では、デスクに座って仕事をしている私の姿だけが見て取れるだろう。
しかし、その空間の中でこんなにもドラマティックな出来事が起こり、浮いたり沈んだりと忙しく一人リアル劇場を楽しんでいるとは周りの誰一人思うまい。

私は苦笑いを浮かべながら次の仕事に取り掛かったのだった…



〜続く〜


百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!