メイド喫茶と私

コンカフェと関わりを持ち早3年目になる。
そんななかで、自分が大切にしていることと思いを綴りたい
① 自分が原因でキャストとお客さんの関係性を悪くさせない
② 自分が原因でキャスト同士の関係性を悪くさせない
③ 自分と他のお客さんとの関係性を大切にする
④ キャストさんとの関係性を大切にする
⑤ ハコ推しに努める。自分への努力義務
特に②④⑤は難しく、自分への課題でもあるようなきもするし、自分が勝手に難しくさせてしまっているのかも分からない…正直、⑤に関しては自分が通っているお店全てに該当するわけではなく、特定のキャストさんを推しているお店もある。では何故に自分はハコ推しになり、それを貫いてこれたのか…先ずは、推しをつくって感じたことは、自分と他のお客さんとの熱量を無意識に比べだしたり、推しのキャストさんにとっての自分の立ち位置というかランクが気になってしまったり…或いは距離が離れたり、近づき過ぎたりで距離感が気になったり…
正直1人の大人の男として、みっともなく感じてしまい自己嫌悪に陥ってしまった。これでは本末転倒、楽しむものも楽しめなくなってしまう。そんななか、推しの前世からの繋がりがあり、推しの育ての親でもあるメイドさんに興味を持ちお会いしてみたくなり、会いに行った
その時、私はある決断をした。
そう、ハコ推しを貫くと
推しをつくることはけして悪ではない、キャストさんとの関係性が深まり好きになる。それもけして悪ではない
し、自然な流れだと思う。
しかし私は私自身が周りと比べたり周りと比べられたりが嫌になり疲れていた。もうこれ以上は誰かを推せない、増やせないと思っていた。ハコ推しになって分かったことというか感じたことはお互いフラットで居られるし、平等に接してもらえる。しかし正直それが少々物足りなく感じることも暫しあるが、実はそれが程よくて居心地がたまらなく良かったりする。誰かを推すのもハコ推しになるのもどちらもありだと思う。要は自分で自分を潰したり、キャストさんや、他のお客さんの害悪にならず楽しめるのが何よりであると思う。
さてそんな私がハコ推しになり、戸惑いが起きたことが1度だけあった。頭と気持ちが追い付かなかった。
それはなんだったのか
そう、キャストさんの卒業だ…
寂しいという気持ちと一緒に卒業を見届ける他のキャストさんはどんな思いでいるのか…
あまりにも寂しいという気持ちが露骨に出ると一緒に卒業を見届ける他のキャストさんにしてみれば
じゃあ自分は何なんだよ…
そんな風に思いたくなくても、そういう気持ちにさせてしまう、そんな思いをしてほしくなかったし、させたくなかった。
わけ分かんなくなってどうかなりそうになった
半泣きしながら、あるひとりのキャストさんにその話をした時「寂しい、寂しくなるけどこれからも頑張って欲しい、応援しているよっていう気持ちを伝えてあげて。寂しいと思っちゃダメじゃないよ、大丈夫だよ」と言われた時は崩れそうになった…
マジで…
そして、その時ハコ推しでいる最大のメリットに気付かされた。
それは残酷で寂しいけど、遅かれ早かれいつか必ず訪れるキャストさんの卒業
どうしても特定の誰かを推すとそのキャストさんが卒業を迎える時独りよがりになってしまい、ひとりで崩れてひとりで潰れてしまう。
けれどハコ推しだと、自分の思いであったり考えを他のキャストさんに聞いてもらえたし、共有できたし一緒に卒業を見届けたことにより、遅かれ早かれいつか必ず一緒に卒業を見届けたキャストさんが卒業してしまう日がくる…その日が来てしまう前にもっと思い出作りたい思ったし、残ったキャストさんたちの存在の有り難さを痛いほど気付かされたのだ…


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