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相手が大事にしていることを、大事にできるという事

今朝は冷え込んだものの、清々しい日和で有り難いですね♪

あるのが当然と思い込んでいると、ふと無くなった時にその有り難さに気づくものですが、人付き合い、特に仕事上の関係性で「自分にとっての当たり前」がズレているとやっぱりツラくなっちゃうなぁと考えさせられた、昨夜のお話。

昨年9月末に義父が逝去したのち、彼が生前に遣り残した事って何だろう?と、亡き義父に話しかけながら夜明け前に10.5K走ってから出社する、がニューノーマルに。

次第に、「義父が遣り残した事」ではなく、「このままだと、自分が遣り残して後悔しちゃいそうな事」を考えるようになり、「そもそも、何がイヤなことだっけ?」と棚卸しするように。

若い頃から「プランドハップンスタンス(Planned Happenstance)」という考え方が好きで、要は明確なNGだけを切り捨てて、其の外はグレーでも何でも「食わず嫌い」せずに取り組んでみる派、でした。

しかし、勤め先では主体性や自発性が許容されず、控えめに言っても励行はされない組織風土で、「席に居ない = サボってる」という性悪説的決めつけが下されることが、窮屈だなぁと思いながらやり過ごしてきた5年間。

それに加えて、「給料高いウエの人間こそ、意欲的に働くべし!」という「やや不器用な」価値観を持つ私とは真逆で、取締役の直上司はクレジットカード会社やライフライン会社、宿泊施設などに、漏れ聞こえてくる内容は明らかにプライベート案件!について、就業時間開始直後から自席で架電したり、報告がてら何か意見を言うと自ら考えることもなく「俺、どしたら、ええの?」とフリーライド専念にポジショニングしたり、ふと気づくと暇そうに脚を組んでは虚空を見つめていたり…と、凄まじい破壊力で周囲の勤労意欲を削り落としてゆくこと、まさに一騎当千の働き(涙)

それでも、「自分で機嫌を取れる人のことを、大人って呼ぶんだよっ!」と自らに言い聞かせてきた5年強も、あるご縁に恵まれて急転直下・年末をもって退社、によって幕閉じに。

前置き、長くなりましたが、そんな心機一転の元旦、「遣り残しで後悔しない、新たな一年を送ろうっ!」とフレッシュな気持ちに染まっている矢先に、この某取締役の方から年賀状が届き、本年最初の怒髪天(ご自分のご機嫌、取れてないやんけ、自分ツッコミ。)

あのね、9月末に義父亡くし、忌引も5日間頂いたのにその後もなかなか元気を取り戻し切れずに出社してたよね? 見てなかったのかな?

退社は突然決まったこととは申せ、義父亡くした喪中の相手にフツーは年賀状は送らんだろう?、すなわち常識。すぅ〜っと、頬を冷たい風が撫でたようでした。

少し冷静になって、あ、もしかして!義父の逝去を重く受け止めてたこと、気づいてなかったの?、と疑問に思ったのも束の間、「相手が大事にしてることを大事にできるのって、マネジメントの基本だろっ!」とマグマ隆起、プチ怒髪天。

更には、「いつも支えて下さり ありがとう」という文面が、怒りの大導火線に着火(怒)。

敏感肌すぎるかもしれませんが、ホントに支えて「下さる」と思ってるのなら、ありがとうには「ございます」がもれなく付くんじゃないのかな?、某Mナルドでナゲット買い求めた時に味を聞いてもらえるソースのように

元旦早々、「一見すると感謝してるようだけど実は、下僕よ、ようけ支えてくれとるのぅ、今後も頼むで、ワシのために」と、相手軸でなく自分軸で考えてるのが本音では⁈、とまで、あらいやだ、穿った見方をしてしまった闇堕ち気味の自分が、昨夜は居たのでした。

次第に、脆くも闇堕ちした自分が残念😢に思え、元旦早々から修行の機会を頂いちまったぜ、と、我が事に引き付けて昇華・終話。

我が家のニャンコ達のように「相手に寄り添える」大切さ、もう少し言えば「相手が大事にしてることを、大事にできる事」の大切さは、どんな人間関係においてでも、大事にしたい!と改めて思った令和6年・昭和99年の2日目なのでした。

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