雲の上の放送局「NHK檮原放送局」(1)檮原村の時間・その1

 1955年4月1日、高知県高岡郡檮原村に、NHKラジオ第1の放送局「NHK檮原放送局」が開設された。呼出符号JORS、周波数1360kC。(開設の経緯は、川崎隆章氏による「日本の放送百年百人 6 『雲の上の放送局』」https://note.com/davekawasaki/n/n6fae1eafd797 を参照されたし。)この放送局は当時、日本で唯一の村に存在する放送局であった。そして、当時の檮原村長・崎村義郎氏の著書『愛村回顧』(高知広報社,1978.3)によると、毎週日曜午後6時55分から午後7時00分に「檮原の時間」として村からの情報を放送する時間が設けられたという。東京・松山・高知からの放送の単なる中継局では無く、独自の情報発信が行われていたというのは、注目すべき点である。その「檮原の時間」について、現在調査研究を行っている。

 まず、当時の高知新聞ラジオ欄を調査した。『愛村回顧』よると、「檮原の時間」の第1回は1956年7月1日であり、崎村村長自ら村の産業振興に関連する問題について村民に呼び掛けた、とある。その日のラジオ欄にはその記載は見当たらない。これは朝日新聞高知版や読売新聞高知版も同様であった。
 高知新聞のラジオ欄に「檮原の時間」が初めて記載されたのは、1957年4月7日(日)。午後6時55分に『檮原局の時間』とある。同6月23日・30日、10月20日にも同様の記載あり。そして1958年3月23日には『山びこ通信 RK』と記載された。ここでようやく番組名が表記された事となる。「RK」はNHK高知第1放送の呼出符号「JORK」の事で、当時のラジオ欄の中で高知ローカル番組には「RK」の記載があった。本来なら「RS」と書くべきものであろうが、そこまでは考慮されなかったのであろう。
 その後、高知新聞ラジオ欄には毎週では無いものの、日曜午後6時55分に「山びこ通信」が記載されている。週によっては「山びこ通信(檮原向)」「山びこ通信(檮原)」「山彦通信 檮原」「檮原地方の皆さんへ」と記載されている事もある。この記載は1960年9月25日(日)までで、それ以降は記載が見当たらない。

 更に、朝日新聞高知版・読売新聞高知版のラジオ欄も調査した。当時、両高知版には小さいながら、地元の民間放送「ラジオ高知」と、「NHKローカル」の番組表が掲載されていた。朝日新聞高知版ラジオ欄における初記載は、高知新聞同様の1957年4月7日(日)、『6・55 檮原局の時間』とある。こちらも毎週は記載されていない。注目すべきは、1960年4月10日の記載で『6・55 山彦通信「檮原地方の皆さんへお知らせとレコード音楽」』とある。わずか5分(実質4分30秒)の間に、お知らせとレコード音楽まで放送してたという事になる。さらに1960年9月25日・10月2日には『6・55 天気予報、番組予告 6・55 山彦通信(檮原向け)』とあり、高知第1放送(JORK)や中村第1放送(JORQ)とは別に放送されていた事が明らかとなった。しかし、この10月2日の記載以降、「檮原の時間」の記載は無い。
 読売新聞高知版における初記載は1958年6月15日(日)。『6・55 山びこ通信(檮原局)』とある。1959年4月12日には『6・55 やまびこ通信(檮原局) 高知・中村局=お知らせ』とある。こちらでも高知・中村とは別に放送されていた事が分かる。読売新聞高知版にも毎週の記載は無く、最終記載となる1960年10月2日までに複数回の記載が見られる。

 これにより、少なくとも1956年7月1日から1960年10月2日までの間の毎週日曜に「山びこ通信」と題した檮原放送局独自の放送時間があった事が分かった。
(つづく)


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