見出し画像

天気の子の原作はエロゲという話

が話題だが、あれは幻覚だ。(僕もその幻覚は視た)

というわけで天気の子について感情のおもむくまま方向性もなにもかも滅茶苦茶な文章を書く。
そこそこネタバレまみれなのでまだ見ていないひとはこんなタイトルの時点で与太話だとわかるような記事なんか読まずに映画館へ行け。

天気の子はなんかすごいヒットしてしまった君の名は。の監督である新海誠氏の新作映画である。
公開前からタイアップ企業のあれこれがあったりめっちゃ金が注ぎ込まれているかんじがして「新海誠もすっかり一般ピーポー向け映画の監督になっちゃったな」などと元カノ面したオタクが散見される2019年の梅雨の季節に公開された。

そんな元カノ軍団のお気持ちを吹っ飛ばすかのように序盤に露骨なタイアップ企業ロゴラッシュの東京を映してノルマ達成したあとはもうひたすら好き放題やらかすという、本当に令和時代の国民的アニメという役目を課せられている映画かよ!?と言いたくなるものがお出しされてきて我々[誰?]は集団幻覚を見るハメになったのである。

きたない東京

新海誠の映像と聞いてまず何を思い浮かべるだろうか。わりと多くのひとは「美しい背景」が思い浮かぶんじゃないかとおもう。ファルコム時代からほんと綺麗だったし。
天気の子も例外ではなく雲の隙間から漏れる光が照らす美しい光景を多くのシーンで見ることができる。
が、今作はそれとは真逆の東京のきたない姿も雨と一緒にこれでもかと映し出す。
無秩序な看板広告、風俗求人のトラック、薄汚い路地裏、ラブホ……
東京、きたないんだよね。新宿とか朝行くとそこら中にゲロ跡あるしゴミまみれだし。

しかも看板やらなんやらは"それっぽいやつ"ではなくタイアップ企業の"本物"なのが生々しさを増すポイントになっている。
このへん完全にお金をだまくらかしてきてる感がでていて最高だと思う。
後半になると東宝に勝ったアパホテルとかが出てきて全編にわたって徹底されているわけではないのはちょっと残念ポイントなのでもっと儲けてもっと金をだまくらかして完璧な東京を再現してほしい。

東京といえば、帆高自身が東京の神津島に住んでいるのに本土に着いて「これが東京か……」となるあたりで東京ってのは23区(更に言うと山手線の周辺か)のことであって東京都のことではないという認識を感じられるところめっちゃすき。

原作はエロゲ

そんなものはない。
ただ、この映画は"選択"が象徴的に扱われているので、
やたら「選択肢が視えてしまうシーン」があったり「ここ周回して条件満たさないと選択できないやつ」とか、選択とそれにともなう責任というものを描いてきたジャンルのゲームを遊んできたひとびとの心にぶっ刺さっているということだ。
他にも「序盤の共通ルートは既読スキップして、ルート分岐するシーンで止まる」とかいう演出(これは劇場版Fate/stay night Heaven's Feelなどでも使われている手法だ)など、ノベルゲーム的な演出が随所にあるのも悪い。
もっというと新海誠がファルコムを辞めたあとエロゲのオープニングムービーを作っていたのが悪い。我々[誰?]を狂わせるためにやっているとしか思えない。許せん。

つまるところ、トゥイッターでも何度も言っているがあくまであの時代にああいうのを食ってきたインターネット・オタクたちが勝手に色々幻視しているだけだ。
信じられないかもしれないが、00年代前半、インターネット・オタクのなかの一部でエロゲが中心となっていた時代があり、その時代を生きてきたやつにはそう視えるんだ。それ以上でも以下でもない。

もちろん別のなにかしらが頭に浮かぶひとだっているだろう。コンシューマのサウンドノベルの系譜あたりの経験から選択肢が視えてしまう人とかも普通にいると思う。
というか選択肢が視える必要はそもそもない。なんか勝手に視えるとか言っているやつらをみて気持ち悪っと思うくらいでいい。

だからエロゲやっていないやつには分からないなんてことはないし、結局みんな好き勝手に妄言を吐いているだけなので「エロゲわからんし……」とかいう不安も不要だ。
他人の世迷い言に流されてはいけない。いつだって自分の目で見て感じたものがこそがしんじつなのだから。

あと、天気の子00年代エロゲ原作説だけ見て「だいたいわかった」とか言っているやつ。おまえはなにも分かっていない。分かったふりしてないで見ろ。映画を見なければ幻覚を見ることすらできないからだ。

"選択"の話

天気の子は"選択"の話だ。
「ここで違う選択をしていたら別の結果になっただろう」というのはさまざまなエンターテイメント作品にみられる要素ではある。
天気の子はそういうシーンを全編にわたって印象的にお出ししてきているせいでいままで散々選択肢を選んで物語を分岐させてきた我々[誰?]には画面には出ていないはずの選択肢が視えてしまった、それが天気の子00年代エロゲ説の要因のひとつというわけだ。

おっぱいを見る/見ない
陽菜を助ける/助けない
須賀さんに連絡する/連絡しない
センパイって呼んでいいですか/なんだこのマセガキ

こんなのが延々とお出しされてくる。
バッドエンド直行なものからルート突入のための必須要素、好感度調整など、ありとあらゆる選択肢が視える。ルートが視えてしまう。

映画では一瞬出てきただけの宮水四葉は原作ではヒロインのひとりで、陽菜ルートでは晴れ女バイトで知り合う程度の関係でしかない。だが個別ルートでは陽菜が消えて東京に晴れが戻ったあたりから関係が進展し、たまたま訪れた気象神社で巫女しんじつを知ることとなる。ひょっとしてこの伝承は陽菜がいなくなったたことと関係があるのでは……?という流れから前作の舞台である糸守町へ行き"最後の口噛み酒"でタイムリープする……

とかそういうのが視えるんだよちくしょう。
凪センパイはファンディスクで個別エピ実装です。

なお、選択肢とかを幻視してしまうのは実は本質でもなんでもない。あの時代にエロゲとか食っていたやつらの世迷い言であり、ただの集団幻覚に過ぎない。

話を戻そう。存在しないエロゲについて語っている場合じゃない。
選択。どちらかを選ぶこと。この行為をするのは主人公の帆高だけではない。

世界のために自分が犠牲になることを選んだ陽菜。

しかし、ここまで関係を築いてきたひとびともまた選択する。

就活中の身であり、下手なことはできないはずなのに警察に追われる帆高をカブに乗せてバイクチェイスを繰り広げる夏美さん。

元カノと今カノを呼びつけて女装して入れ替わる(イベントCGあるやつだよね)なんてことをしてまで廃ビルにワープする凪センパイ。

「大人になると大事なものの順番を入れ替えられなくなる」と言っていた須賀さんも「窓を開ける」選択をして最後には帆高の背中を押す。

帆高の選択を見てきた彼らが言う。
全ての選択を見てきた僕らが言う。
「行け」
と言う。
彼女を救う選択をしろと。

世界か、彼女か

いわゆるセカイ系と呼ばれる物語において典型的と思われる問いだ。

世界を選べば彼女は消える。
彼女を選べば世界は変わる。

天気の子は後者を選んだ物語だ。
前者を選んだ場合は彼女は黒真珠を抱いて石化して魔法は消え、エステリアを囲む嵐の結界も晴れる。フィーナ……

帆高は世界ではなく陽菜を救う選択をした。
その結果、東京は晴れることなくずっと雨が降り続けて水没してしまう。

しかし、話はそこで終わらない。
晴れ女騒動が終わって3年後、再び東京に訪れる帆高。
そこにあったのは変わり果てた風景のなかでも日々を生きるひとびとの姿だった。

居抜き物件からまともなオフィスに移ったK&Aプランニング、
下町の一軒家からマンションに引っ越すことになってしまったお婆さん、
主な交通手段が船となり、雨が降る中でも咲き誇る桜で花見をしようとするひとびと、
自分の選択でその形を決定的に変えてしまった世界は、滅ぶことなくしっかり続いていた。

決して彼女も世界も両方救う完璧なハッピーエンドではない。
でも、大丈夫なんだ。
世界は元々狂っているし、更に狂ったところでなんだかんだとひとびとは生き続ける。
少年は世界より少女を求めていいんだよ。
だって、なにもしなくたって狂っているんだから。

ボーイ・ミーツ・ガール

少年が少女と出逢って惹かれあう。
古の時代から使い続けられてきた物語の形。
だいすきなんだよな、これ。
赤い野球帽をかぶった少年が自分だけに聞こえる「助けて」の声に呼ばれて、たったひとりで知らない村まで行って、バッジを託してくれたあの少女を救ったあの日からすきなんだよ。

最近は恋愛とかは同性どうしでするものみたいな風潮が一般的[要出展]だけれど、
そんな中で天気の子は超ド直球のボーイミーツガールを投げてきてくれたんだ。
こんなに嬉しいことはない。

警察に追われようが、彼女を救えば世界が狂うのが分かっていようが、そんなこと知ったことかと駆け出す。
あのとき自分が「うん」と答えてしまったせいで犠牲になろうとしている彼女の自由を取り戻すために。
少年が走る。山手線の線路を。いつも見ているようで誰も見たことのない光景を駆ける姿を。
僕が見たかったものがそこにあったんだ。

ひとつ告白しておく。手錠の話だ。
エンドロールが終わった直後「なんで陽菜の手に手錠をかけて離れ離れにならないようにしなかったんだ」と僕は思った。
しかしあれから数日経った今の僕の心にあるのは「あれでよかった」という気持ちだ。
だって帆高が望んでいるのは陽菜を独り占めすることではなく、巫女という役割から解放することなのだから。
あそこで手錠をかけなくてよかったんだ。

天気の子は世界ではなく彼女を選んだ物語だ。
でも、世界を敵に回す物語ではない。
だからあの魚たちや龍を倒して代償に帆高が消えるなんてこともない。
帆高は陽菜の「大丈夫」になりたいだけだから、戦う必要はないんだ。

彼女を取り戻し、キスしてグッバイして終わっても十分いい話だとは思うが、天気の子は終わらない。

自分の選択のせいで世界は形を変え、彼女とも離れ離れになってしまった。
あれから3年経ってようやく東京に戻ってきたものの、変わってしまった世界を目の当たりにする。
でも、あの場所で誰かのために祈る彼女と再会して確信する。
「僕たちは、大丈夫だ」
と。

これが2019年のボーイミーツガールだよ。
最高だよ。
ありがとう新海誠。


つづき?を書いたのでこっちも読んで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?