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なんで私はSNS投稿が苦手なのか、考えてみた

私はSNS投稿が苦手である。

Twitterは10年ほど前の高校生の時からしているし、インスタグラムもFacebookもnoteもアカウントは持っている。いわゆるSNSネイティブのはずなのだが、なぜかSNS投稿が続かない。苦手なのだ。

みんななんでそんなに発信し続けられるの・・・?
いつもみんなの投稿を見ながら疑問に思っていたこと、なぜか今考えてみようと思ったので考えてみる。

思いついた理由はいくつかあるのでぽつぽつと書いてみる。

一つ目。”言葉”にアウトプットすることへの苦手意識。


元来私は、人と感情や思いを共有しあうことは大好きである。ただ、テキストのやりとりとなるといつも少しうっと心の中でストッパーがかかってしまう。それは、自分から出てくる言葉にいつも納得できていないからだ。感じていることの20%くらいしかいつも言葉にできていない感覚なのだ。

私とリアルでお話したことある方ならわかってもらえると思うが、完全にいわゆるノンバーバルコミュニケーションの使い手なのである。身振り手振りと顔とテンションで伝え、コミュニケーションをとってきた。(おかげでジェスチャーゲームはかなり得意。)

だからこそ、話す声色や表情、テンションに頼ってしまい、丁寧に言葉を紡ぎ出すことをおろそかにしてきたように思う。自分にないものを欲するのか、素敵な言葉を紡ぎ出す人にはいつも尊敬の意とともにコンプレックスを感じてきた。

言葉の重みがわかる人でありたい。
丁寧なコミュニケーションをとれる人でありたい。

そう願う気持ちとは裏腹に、

物事をテキパキ進めたい性分や、せっかちな自分が、「了解です!」「ありがとう」「とても素敵だった」「嬉しい」などの簡単な言葉で終わらせてしまうのだ。どう素敵なのか、何を嬉しいと感じたのか、感じるものはあるのに言葉にできない、できないじゃないな。おろそかにしているのだ

昔から感じてはいたが、最近さらに感じるようになったのは、副業でテキストでのコミュニケーションが増えたからだと思う。今までだと毎日会社にいて顔を合わせて会話ができたが、非同期のコミュニケーションがほとんどなので、テキストでやりとりせざるを得ない。

業務的なやりとりは慣れてきたのだが、自分の思っていることや感じていることをなかなか言葉にできない。だから発信できなくて、分かち合えなくて勝手に一人で寂しくなっている。そう今そんな状態なのである。

ありがたいことに、すごくみなさんがシェアしているものには触れられるので、私も拙いけど。感じている20%しか表現できないけど。発さないと何も始まらないよな。と書きながら思いましたとさ。


二つ目。継続力の弱さ


私はひとつのことに集中できない性分である。例えば今もこれを書いていたかと思えば、書き上げることなく仕事をし始めてしまったり、掃除始めてしまったり。ねこと遊び始めたり。集中力がまるでない。SNSでどんどん発信しよう!と思っても3日も続かない。(毎日5分の運動も、毎日のむサプリですら続かない。)

そして、それとは別に自身の志向性としてもいろんなものに手を出したがる。

小学校から部活は3つ掛け持ちしていたし、会社でのキャリアも6年目になるが法人営業・個人営業・人事と新しい経験を求め異動してきたし、本業以外に副業や、コーチングスクール、パーマカルチャーの実践コースなどとりあえずやってみよう!と良くも悪くもフットワーク軽く始めてきた。

良くも悪くも、一つのこと継続していくことより色んなものに飛びつき、感じることが好きなのである。

でも3月は、完全にそれが裏目にでてキャパオーバーになり自己嫌悪に陥ってしまった。
仕事も佳境に差し掛かり忙しい中、自分でやりたいと言ったからにはやりたいけど、始めての企画書の作成に泣きながら夜通しかかったり、任せてもらえない悔しさで泣いてたくせに、結局自分に時間的にも精神的にも余裕がなくて口だけになっていたり。せっかく連絡くれた友達にちゃんと言葉を紡ぎ出せずに簡単な返信だけで終わらせてしまったり。ちゃんと最後に挨拶できないままコースの最終回を迎えてしまたり。

最近のツイート。


自己嫌悪に落ちるのはいつも自分に余裕がなくて、大事にしたいものを大事にできていない時である。私はやっぱり自分が大事にしたいものを大事にしたいのである!と気づかせてくれる必要悪でもあるのだな。
そう思えると少しだけ心が軽くなった気がする。(めちゃくちゃ脱線したな・・・)

三つ目。求められていないものを場に出す怖さ


だれがこんなこと読みたいと思うんだろう、とか。
ああ。だれかがまた「実冬、なんかまた言ってるよ」と冷ややかな目で見られるんだろうな。
とかすぐ考えてしまう。

話す場だとあんまり思わないし、躊躇なく話せるのだが、SNSではなぜたか考えてしまう。

おそらく相手の顔が見えないからなんだと思う。
リアルな場なら、相手の顔をみて伝わってないなと分かれば他にいろんな方法で伝わるように話せるのだが、SNSだと反応が見えない。そこに怖さを感じているんだなあ。と今ふと思った。

お互い人は人で、全てをわかりあうことは難しいかもしれないけど、でも最大限、できるかぎり私は目の前の人と分かち合いたいと思う。
だからこその恐怖だったのだと気づいたら、ふとなんだか自分のこの悩みが愛おしく感じてきたぞ・・・。


そんなこんなで何も構成も終わりも見えていない中綴ってみたら、見えてきたものがいくつかあった。面白い。完全に自己満である。でもいいや〜。(カバー写真のお腹ぽりぽりしているライオンな感じのゆるさで締めます。)


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