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『ペルソナ4』10周年、おめでとう!ありがとう

 『P4』発売当初は、まだ私は交通事故のリハビリに毎日通う障害者で、だからと言って家にも帰らず、男の家に居候するフラフラした生活をしていました。それはあまり今と変わらないけれど。

 初めて『P4』のリリースを見たときは、正直「がっかり」。田舎? メガネ? ポップ? 主人公がペルソナっぽくない! 非難ごうごう(笑)。ですが、プレイしないという選択肢はありませんでした。

 よく人は、「『ペルソナ』のよさは、人間の見たくない裏側まで描くところ」だといいます。もちろん、それはそうでしょう。でも『P4』の魅力って、そんな今までのシリーズありきたりなもの? 『ペルソナ』の魅力ってそういうもの?

 もちろん、自分でも認めたくないもうひとりの自分と向きあい、受け入れ、克服するために立ち上がるという本作のシナリオと演出は素晴らしいものがあります。でも、本当の魅力ってそこだけじゃない、そこじゃない。

 『P4』のエンディングには、夢がありました。今までのシリーズにはない、もはや暴力的な、若さが。「他の大多数なんて関係ない、俺たちがイヤだから、お前を倒すんだ!」と言い切る姿は、あまりにも野蛮で、本来であれば感情移入できない。でも、『P4』ではできてしまう。信じてみたくなる。少年たちに賭けてみたくなる。

 私自身、アダッチーの言葉を借りてみれば、「世の中クソだな」と思っているタイプの人間です。頭はビョーキだし、何をしてもうまくいかない。泣きながら勉強させられて、中学校から進学校に進んでもいい大学に行けたわけでもなければ、どうしようもない専門を出て、たいして役に立たない授業を受けて、無駄に若い時期を「死にたい」と毎日思いながら過ごしていました。

 世の中クソだよ。

 でも、主人公たちが戦ってくれた未来なら、少しは賭けてみてもいいかもね。

 あまり公にはしたくなかったのですが、せっかくなので言ってしまうと、『P4』をキッカケに私は編集の仕事を始めました。うだうだとクソみたいなシナリオライターをしていて、「編集やらない?」と声を掛けられた時はそこまでゲーマーでもなくて、私は後からさまざまなタイトルの知識を入れた手前味噌ゲーマーです。ただ面接で、「好きなゲームは『ペルソナ4』です!」と言った記憶があります。

 それから、不思議な縁で「オタクの部屋の写真を撮りたい」と友人のつてで依頼が来て『P4』のオタク部屋が晒されて、ワールドワイドでニュースになったり、オーケストラのコンサートの照明演出や監修もさせていただきました。

 本当に不思議な縁が『P4』ではたくさんつながって、たくさん関わるお仕事をしました。まさか一読者だったのに、自分が『ペルソナマガジン』を書くことになるなんて思わなかったし(笑)。いまだに、おしょうさんが突然私のデスクにやってきて、「次のペルマガの表紙、どっちがいいと思う? 意見を聞きたくて」と色校を持ってきたのはびっくりしたし、うれしかったです。

 ただ、いろいろあって精神的におかしくなってしまって、一時期『P4』に囲まれていることでパニック障害のようになってしまった時が本当につらかった。でも、すっかりではないけど、こうやっていろいろ書けるくらいには元気です。『P4』も大好き。やっぱり、大好き。

 今までの人生で、隣にいてくれたのは『ペルソナ2』、手を引いてくれたのは『ペルソナ4』です。ありがとう。そばにいてくれて、本当に、私は救われました。