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Naked Desire〜姫君たちの野望

第1回 メモワール その1

宮殿の自室の窓からみえる、月明かりに照らし出された景色を一人で眺めながら、私は過去を振り返っていた。
手の届かない場所に行ってしまった人たちの顔を。
そして、二度と戻ってこない景色を。

私の暮らす国では、これまでありとあらゆる不条理がまかり通っていた。
差別。
嘘。
本音と建て前の乖離。
弱者に対する侮辱行為。
富の偏在。
えこひいき。
拡大する格差問題と、固定化が進む階級問題。
何より許せなかったのは、この世界にはびこるありとあらゆる不条理を、さも当然といわんばかりに容認し、放置している人たちの存在だった。
貴族。
政治家。
官僚。
経済界。
彼らは自分たちより下の市民を、なにか不都合なことがあったら、いつでも交換可能な「部品」としか見ない。
こき使えるだけこき使い、修理不能とわかったら、いとも簡単に彼らを、社会の荒波というなの「ゴミ捨て場」に捨てる。
そして荒波にうち捨てられた労働者が、社会に反抗しようものなら、資本家たちはありとあらゆる手段を使い、彼らの身体を傷つけ、心を折った。
私が資本家たち以上に怒りを覚えたのは、労働組合と教育界の人間だ。
本来彼らは、弱者の側に立って活動すべき人たちだ。
しかし組合幹部は、経営者と一体となり、日常的に社員を監視している。
現在の「労働組合」は、会社組織の一部署に過ぎない。
人事異動で「労働組合」に配属され、そこで実績を残した社員は、ほぼ例外なく将来の栄達が約束されている。 そんな人間が、非正規社員を守るはずがない。
社会に人材を送り出す役目を担う教育界は、社会に出る教え子に対し、人間が本来もつ権利ではなく、組織に従順であれという認識を教え子にすり込む。
教育界の親玉的存在である学術界は、経済界の言いなりだ。特に理系の研究室は、例外なく「大企業の出先機関」と化している。もちろん、企業からの研究費が欲しいからだ。
メディアに至っては、時の政権の意向を忖度する報道姿勢をとり続けた。
自称「ジャーナリスト」たちは、本来伝えるべき問題点を指摘せず、巧妙に論点をずらすことで、真相を曖昧にすることを繰り返した。これらの問題を放置しておいたら、後で取り返しのつかない事態になるのは、みんな知っているはずなのに。
だがメディアは、率先して権力が仕掛けるネガティブキャンペーンのお先棒を担いだ。
結果、ほとんどのは社会から孤立した。必要に受けた懲罰のために心身を病み、悲惨な結末を辿った。
司法や警察も、資本家や権力者が弱者を迫害することを黙認し続けた。
資本家の罪は、彼らが雇い入れた司法・警察関係者の元高官によって「なかったこと」にされた。著名な弁護士も、時には企業の味方になった。
もちろんこの国が抱える問題について、厳しく指弾する人たちもいた。
正義感溢れるフリージャーナリスト。
NGO・NPO関係者。
非主流派の労働組合。
「社会民主主義」「共産主義」を標榜する議員たちと、心ある官僚たち。
そして少数ながらも、これらの問題を解決しようと汗をかいた王族と貴族たち。
だが彼らのほとんどは、権力に近くなれば近くなるほど従前の主義主張を捨て、ひたすら体制側に媚び諂う存在に堕ちていった。
その理由は、ね……。
口では「弱者救済」を叫ぶ彼らの大多数は、体制側と同じ階級出身者だったのだよ。
なので彼らのほとんどは、虐げられる者の気持を本当に理解できないし、しようともしない。ひょっとしたら、最初からその気もなかったんじゃないかな。
上位階層の市民たちは、「弱者目線」「格差解消」を口にはしても、本音では彼らのことを蔑み、見下す。
私は彼らの顔を見るたびに、あなた方は世間ではこんな風にとられているんだよと指摘すると、いわれた当人たちは
「そんなことはない!」
と、色をなして反論する。
その最たる例が政治家である。連中は選挙の時だけ弱者保護を訴えるが、当選後はしれっと態度を変える。もちろん差別されている側も、彼らの本音はよく知っているから、選挙で彼らに「清き1票」を入れなかった。
まあ、当然よね。庶民だって、世間が思っているほど愚かではない。だから彼らをコケにする政治家が落選するという報道がされるたびに、心の中で快哉を叫ぶ市民は多かったはずだ。
だが、彼らがいい気分でいられるのもほんの一瞬だ。彼らが狂喜乱舞するたび、政治家の意向を受けた官憲に弾圧され、多くの市民が不当に逮捕された。
バカにされ、騙され、傷つけられ、存在そのものを否定されたあげく命を奪われる。そんな社会にすむ住人、いや、そんな社会にすむしかない人たちのことを、心の底から慮る人たちが、この国にどのくらいいるのだろうかと、私はいつも考えていた。

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