Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁−9

屋敷から車に乗ること5分足らず。私─エルヴィラ・ジャンヌ・マリナ・カーリン─は、最初の目的地に着いた。
「カフェ・ルーエ グラーツ総本店」─ドイツ語で「憩い」という意味を持つこの店は、国内でも5本の指に入る大規模なカフェ・チェーンの旗艦店として、首都の住民に認知されている。
営業時間は朝7時半から夜は8時までと長いにもかかわらず、店舗の立地条件の良さもあり、店内は朝から晩まで利用客で混雑している。座席数は400あり、国内すべてのファストフードチェーンで最大だ。この店は王宮にも近く、徒歩で3分とかからない。
そのため客層は、同じグラーツ市内にある店舗よりも、ハイレベルの顧客が多い。利用客の半数近くが宮殿に勤務する職員か宮内省の役人、上位中流階層に所属する人たちだが、皇族や貴族も頻繁に来店する。だからこの店は、テーブルや椅子などの調度品は高級品を使うなど、他店舗よりも内装にもお金をかけている。場所が場所だけに、安っぽい内装ではお客さんが入らないのだ。
下流、貧困階層の人間は、客としても従業員希望者としても、めったにやってこない。彼らにはこの店は、自分たちとは異なる世界の住民の店に見えるのだろう。店内から醸し出される雰囲気も、彼らにはこの店が「異世界」にしか見えないようだ。
この店は、私が高校・大学時代のアルバイト先だ。
高校1年生の冬期休暇の時、面接で私の応募書類を見た店員は、開口一番「この店は、あなたみたいな人が働く場所ではない」と、その場で即座に「不採用」を宣告した。
しかし私は、確かに自分は皇族だが、将来国をしょって立つ皇族は、庶民の価値観を知らなくてはならないことを盛んにアピールした。
それでも、面接官は不快な表情を浮かべたが、その様子を見ていた店長らしき人物が、私に助け船を出した。あの時彼がいなければ、私は採用されなかっただろう。
皇族としての勤めがあるため、私がこの店でフルタイムで働いたのは、おそらく在籍9年間で10日もない。だが私はこの店で、いろんな体験ができたと、密かに自負している。
この店のアルバイトの応募倍率は、毎回正社員採用試験並みの高さになる。私が在籍していた時は、店員の8割以上が、上位中流階層出身者だったと記憶している。残り2割弱が中位中流階層の出身で、それ以下の出身者はほとんどいないはずだ。
私は車から降りると、すぐに入り口に向かった。自動ドアが、静かに左右に開く。
食器を片付けていた女性スタッフが、私を見て「いらっしゃいませ」と、愛想よく挨拶をした。私も彼女に、軽く会釈をする。この店員は、初めて見る顔だ。おそらく、私と入れ替わりに採用されたのだろう。
店内を歩きまわり、雰囲気を確かめる。今は通勤時間帯だから、コーヒーを飲み軽食をつまみながら、新聞や雑誌を読むお客さんが目につく。店内はWi-Fi電波が飛び、すべてのテーブルと座席は電源が設置されている。携帯用立体表示機の電源コードを繋いで、表示画面を見ているお客さんが多いのはそのためだ。
1階の座席は、8割がた埋まっている。レジカウンターのある方向に視線を向けると、会計待ちのお客様で長蛇の列だ。
ありとあらゆる分野で全自動化が進んでいる現代、ファストフード店でもお会計は、無人機カウンターで行うことがほとんどだ。業種を問わず、各店舗には有人カウンターも設置されているが、よほどのことがない限り利用されない。レジカウンターの有人:無人比率は、だいたい1:9と言ったところか。
この店にはレジカウンターは20機設置されているが、全機が有人・無人の切り替え可能なタイプだ。その理由は、この店が実施するサービスにある。
この店には高収入の顧客が、ひっきりなしに来店する。店側は彼らに対する特典サービスとして、専用の食器を用意している。
もちろんその特典を受けるためには、店側が指定する条件をクリアする必要がある。デザインはあらかじめ用意されているが、顧客がデザインをすることも可能だ。諸費用は全額顧客の負担だが、この店で専用食器を利用できることは、一種のステータスになっているので、それを目当てにやってくる人も多い。
もっともこのサービスは、店員にとってはかなりの負担だ。だが彼らもこの店で働くことは、一種の名誉だと思っているので、文句を言う人間はいない。中位中流階層の学生は、この店で働いていると話すと、クラスメートから尊敬の念で見られるそうだ。この店は店舗共々、そこに「ある」だけで、周囲から特別視される存在だ。
店内の様子を懐かしく思いながら眺めていると、スーツのセンターベンツ付近を、誰かが引っ張った。
ゆっくり振り向くと、そこにはなじみの顔があった。
「マリナ、おはよう。今日もヨロシクね」
にっこり笑って、その人物は私に挨拶をした。

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