2022年振り返り②8月〜

8月 

ついに留学!
といいたいところだけど、実は直前にコロナにかかり、意外と重症で留学行けないところだった。酸素濃度90きって苦しすぎる怖い経験をしたこともあって、留学辞めるか真剣に考えてた。でも、やっぱり行きたいって強く思えた!正直留学行く目的とかよくわかんなくなってたんだけど、目的っていう論理的なものだけじゃ説明できない動機もあるし、「行きたい」ってただの気持ちに従った論理人間の私を褒めます笑
論理的思考は私の強みできっと変わらないけど、それ以外の考え方も併用できるようになった、完全論理人間卒業の月!
心拍数45のまま強行突破したんだけど、スウェーデンついた途端、息苦しさゼロになってびっくり。歩いてもしんどくないし、息普通に吸える。本当に空気綺麗なところに来た!その後、旅行にも、自分の空気の綺麗さパラメーターは細かい発見の役に立ってる。

行きの飛行機では、隣の席の、アムステルダム駐在に向かう人(乗り換え前)やノルウェー人(乗り換え後)と仲良くなった。アムステルダム駐在に向かう人は日本人で、私と同じ頃に留学してたり、今は海外と取引のあるお仕事していて、海外に対する見方やまたまた人の繋がりは素敵だよというお話を聞いた!ノルウェー人には、自分の街は100人の街(もはや村)でオーロラなんて毎日見える、何が特別なのかわからないと言われた笑この人、若めなんだけど、100人の村に住む若い人から見た田舎と都会の意見聞けてとても良いご縁でした笑

8月はまだ授業始まってなくて、オリエンテーションウィーク。
家が見つからなかったので(ちなみに出発5日前まで家無しだった)、初めの3週間はFacebookでたまたま見つけたご家族の家に泊まらせてもらってた。複雑なんだけど、とりあえずポルトガル人のご家庭だったの。19歳、17歳、15歳のお子さんいて、ほぼ家族構成一緒で娘みたいって言ってくれたほどお世話になった。
しかも家賃取らずに3食食事まで出していただいてた😭

ルンドの街を案内してくれて、郵便の使い方やスーパーの種類、お店のおすすめとか教えてくれた。夜は散歩に連れて行ってくれて、夜のルンドの景色や、窓にランプを飾る文化を教えてくれたの。
夕飯のあとは、スウェーデンとポルトガルと日本の男女平等や働き方、経済や失業について議論をしたり。
ホストファミリーとの生活、そしてその後の関係が、スウェーデン社会を中側から知る良い環境!留学してても、留学生の友達との会話や授業だけだと、その国のこと深く知れないと思う。
他にも、フィンランドに住むオンラインイベントでたまたま知りあった友達の紹介で、隣町に住むご家庭とも知り合いになれた。高校生の2人の子供がいて、仲良くなれて、現地の高校生の意見も聞けたの。
あと、フィンランドの友達の異母兄弟の方が近くに住んでてお会いしたの。その方は26歳なので、スウェーデンでの働き方、キャリアに関する考え方や人生観、家族の考え方など、私の先輩的感覚で話を聞けた!(その方のフィアンセは中国留学したことがあって、お兄さんは日本史勉強してるみたいで、今度会おうってなった!ご縁😊)
ご家族、親的存在、高校生、先輩的存在…色んな立場の人と話して、スウェーデン社会の理解がぐんと広く深くなった。こんな恵まれたご縁に巡り会えてとても幸せ!正直ここまでスウェーデンに限らず留学中その国にコミットする機会に恵まれてる人は数少ないと思ってる。これらの方々と話して思ったことや発見は、また今度書こうと思う!

ご縁を大切に、留学生活で学問だけでなく、スウェーデン社会の内側からの理解を深める、と決意した8月!

、、、に加えて、8月は3ヶ月に及ぶ大波乱の始まりの月でもあります、、、
北欧は家探しが大変な国。
端的にいうと、借りないのに24万払わされた、、、
それでスウェーデンの裁判所に訴えました。
私含めた関係者3人と、代理人としてきてくれたスウェーデン人の学生と、留学先の大学にいた日本人の先生と、スウェーデンで働く日本人の裁判官と、たくさん助けてもらいながら。
裁判のことも、後日書きます!

9月

裁判は11月半ばで、それまで準備だけでなく精神的にも辛かった。
大学の授業も始まっちゃったしね。
裁判についてのブログで詳しく書くけど、教授の理解もあって、自分のペースで授業を受けれました。グループワークを個人ワークにしてくれたり。
休む時は休む、それはとっても合理的なことだって気づいた9月!

10月
ちゃんと6月まで住める家に引っ越して1ヶ月。自分のなりたい自分になるような行動ができるようになった月!スキンケアとか髪の毛のケアとか笑
同時に、自分の変わらない性格も見えた月。何事も真面目に捉えるかつ、(だからこそ)細かいところまで敏感な性格。この真面目さと敏感さ、は大切にしていこうと思った。
自分の性格が見えてきて、自分を持てるようになった月

1番大きな例はパーティーかな。パーティー最初っきり行ってない。コリドーのパーティーは一回も行ってない笑行かなきゃ、とか行かないといけないものって思ってたけど、自分で決められるようになった。パーティー行かなくても仲良くなれる。自分に合った方法で生活するようになりました!

あとは、ドイツ、オランダ、フランス、ベルギーの一人旅のおかげで、トラブルには何事にも動じなくなって、なんとかなるだろう精神を手に入れた!過度に持ちすぎてしまった部分はあるから、誰かと一緒に旅行する時は要注意なんだけど、、

11月

裁判
イタリア旅行
トルコ旅行
↑個別にnote書きます
この月は、トルコでも経験が大きい
自分の価値観が見えてきて、自分が揺らがなくなった月!

12月
親子旅行
ロンドン旅行
↑個別にnote書きます
今まで自分がいて、また戻る場所、日本に存在する価値観をみて、とても怖くなった月。
その中にいると気付けない側面が顕になった。日本の中に住む人と、その外で1週間以上過ごした時に、余計にその側面がよく見えたの。

そして半年後は日本に戻る。その価値観は、今いるスウェーデンと大きく違う。でも、同時に日本はスウェーデンとたくさん似ている点もある。それも合ってますます怖く感じてた。
でも、自分の「一人でも多くの声や情熱に出逢いに行く」って軸はブレなかった。「次どうしようかな」って思ってる。
11月はまだ未熟だったけど、もう自分の軸がぶれなくなって強くなれたって自分で思えた月!

あと、今まで自分を形作ってるものも顕になった。相手の期待してる私の像(理想の娘とか昔の私とか)に左右されてたなって思った。
だからこそ、今自分に必要な人を取捨選択できるようになったと思う。
私が相談したい人、私が話を聞きたい人、話さなくても落ち着く人、私自身の話はしたくないけどその人の話は聞こうと思える人。
色んな人を
今まで、全員の話を聞いて、全部の話のプラスの面見つけてきた。これは大学一年の時のファシリテーターのトレーニング受けたことがきっかけでできるようになったことで、高校生まではできてなかったんだけど、コントロールできてなかった。
だからきっと、「私自身の話はしたくないけどその人の話は聞こうと思える人」を「私が相談したい人」だ、とか「落ち着く人だ」って勘違いして、or判断できなくて、自分がゆらゆらしてたんだとおもう。
全員から嫌われないようにしてた。とっても強い友達に、「みはるはいい人になってる」って言われたことが心にささってる。
自分の軸を持ったからこそ、自分が今必要だって人を大切にしようって思ったし、自分がもっと話したいって人を判別できるようになったからこそ、自分を守れて自分がもっと強くなった気がする!

なんでそんなに自分を持つことを大切にするようになったんだろう、なんで世間では自分自分って言われてるんだろう。、とも同時に思った時期。
私なりの答えは、自分を持つことが生きることだから。ある意味生かされてるロンドンと今(しか生きれないから今)を生きてるトルコを見て、そう思った。(ロンドンについて書くときに詳しく書きます)

2022年は、いろいろ「行動」してたけど、それは自分の軸を持つための、ある意味「考える期間」だったと思う。
2023年、来月、明日からは、軸を持って、「行動」していきます!


最後まで読んでくれてありがとうございました。
良いお年を!


この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?