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やさしいせかいでいきていきたい

これまで20年間生きてきて、いろんな人にいろんな言葉をもらってきた。
その言葉に救われ、奮起させられ、時に喜び、驚き、そして悲しんだり、傷つけられたりもした。

言葉は私を救いもするし、時に傷つけもする。
それは誰にとってもおなじだと思う。

どんな言葉がその人を救うかわからないように、どんな言葉がその人を傷つけてしまうかわからない。


だから言葉はすごい。そして怖い。


私が発した言葉で誰かに深く傷跡をつけるのかもしれないと思うと話すのが怖くなる。

相手がいまどんな状況なのか、どんな気持ちなのか、どんな風に感じているのか。
それは本人しかわからない。

だから

「たいしたことない」言葉、とか「しょうもない」言葉は存在しないと思う


言葉が、いつ、どんな時にその人にとって非常に大きな意味を持つかなんてだれにもわからない。
何気なく放ったその一言がその人を救いもし、同時に殺しもする。

西條先生がEMSの中で

”言葉は「言刃」になる”

という話をしてくださったときに、そのフレーズがすごく心に残って、すぐにノートにメモをとった。
その時は無意識だったけど、たぶん心当たりがあって、瞬時に納得したからだと思う。

言葉が刃になるなんていやだ。
私はやさしいせかいでいきていきたい。
言葉が人の心を軽くするような、温かい世界がいい。

人間は平均して一日約1000語の単語を使っているらしい。

何気なく使っている言葉。だからこそ、そのひとつひとつを見直したい。

それはほとんどが自分も含めたにかける言葉だと思うからだ。


ふと見つけた一年前に私が書いていた言葉。

”だれかの居場所のような人でありたい”

だれかに寄り添える人でいたいという思いで書いたんだと思う。

今もその気持ちは変わらない。
そのために私は言葉を使う。

「自分」も含めただれかの居場所で在り続けるために。

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