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口論になったとき、前向きに解決を探る方法

正義 vs 正義。
…いにしえから、人が争うときの構図は変わりません。

どちらも正しいけど、どちらのスタンスも残念。なんでだろう?ほんの数日前に実際にあった身近な(しょーもない)イザコザをおさめながら、気づいたことを書きとめておこうと思います。(今回はやや外野からでしたが、今後のために自戒の念も込めてここに記します)

正しさの衝突状態においては、愛は隠れています

自分の存在を守ろうとするがゆえに、相手の存在が見えていないからです。相手を脅威とみなし、恐れをいだいているから、愛が隠れていることになります。

どうしたらよいでしょうか?

一つの方法は、いったん立ち止まり、無益な対立状態を外から眺めること。安心を得れば、合意・共通の着地点を見出す心の余裕を得ることができるからです。

「あ、いま正しさ論争しちゃってるな。これ、ハマりだわ」
と認識して、互いの正しさをいったん認めつつ、脇に置き、共通点に立ち返って話すという方法です。

たとえば、次のような2つの意見をそれぞれもった二人が対立したとします(冒頭で触れた実話ベース)。

A「子どもたちで旅行に行く前に合宿をすると一体感が高まっていい。荷物が多くてちょっと大変だけど大丈夫!」
B「いやいや、旅行前に余計な作業を増やすのはよくない。無理とリスクのあることをあえてやるほどの価値はない。大人でさえ大変なことを子どもたちにさせるのは反対だ!」

このままでは、どちらかが折れるか、並行線で最後は旅行を中止にするか。いずれにせよ、モヤッとした結論で後にしこりも残りやすいでしょう。

ここで、自論の正しさの主張に終止するのではなく、自分の事情を伝えつつ、相手の事情にも耳を傾け想いを馳せながら、協力して解決策または妥協点を探ります。

このケースで言えば、AもBも旅に出る子どもたちのことを考えていると捉えられます。リスクの考え方のギャップは埋めきれませんが、少なくとも、それぞれの方法でよいことをしようと考えている。その共通認識を持てれば協力関係が築けて、片方が譲るにせよ、別案を考えるにせよ、良い関係の中で物事を進めていきやすくなります。

※どうしても白黒つけて譲れないという相手もいます。その場合、関係を見直すのも一つの方法です。距離を調整し、接触の頻度と深さを調整します。逃げたほうがよい関係性です。相手が親であろうとも同じです。一人ひとりがよりよく生きるために、まず自分自身が真の意味で余裕を持ち、まっすぐ立つ。

究極的には、人生は人間関係に始まり、人間関係に終わる。その他のすべては付属物であり永続はしないもの。

どうぞ、ご自分を大切に。そして、相手も同様に大切に。いま、あなたが向き合っている衝突が解消しますように。そして、互いに大切にしあえる関係が深まり、真に幸いな日々を送られますように!

今日も明日も、よい1日を!

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