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わたしと牧のうどん

 私の体は"うどん"でできている、といっても過言ではない。今の私があるのは、あのうどんのおかげである。そう福岡県民なら知らない者のいない『牧のうどん』だ。

人格形成と牧のうどん

 牧のうどんはとっても身近な存在だったので、牧のうどんの思い出を振り返ることで、私の人格がどのように形成されていったかを振り返ることができる気がする(笑)。

元気もりもり幼少期

 父の趣味が海釣りだったので、週末はよくいろんな海に連れて行ってもらった。その際によくお昼を食べたのが『牧のうどん』だった。

 牧のうどんは一人前の量が多い。というか、猛スピードで食べないとスープを吸ってどんどん増えていく。なので、小さい頃は母親の大盛を小さな器にとり分けて食べていた。

 その頃はネギが苦手だったので、母親が「(自分のうどんに)ネギ入れるよ」と言うと慌ててもう一杯おかわりするというのが、いつものことになっていた。

 かしわごはんもまた大好物で、家族で一つの大盛りのかしわごはんを争いながら食べていた。

一人前になりたい小学生

 小学生になると、大盛を母親から分けてもらうスタイルではなく、一人前を一人で食べたいという欲望が湧き始めた。そう自立の始まりである。 

 そんなある日、ついに、一人前を一人で食べると親に宣言した。親たちは無謀なことだと制止をはかる。だが、自分ならできると思っているので、一人前を食べると言い張る。諦めた親たちが私の分も一人前を注文した。そして、ついに目の前に一人前のうどんが姿を現す。

 いつもと同じ味のうどんなのに、いつもよりも美味しい気がする。でも、そんな至福の時間もあっという間に終わり、いつ終わるとも知れない地獄が始まる。

 食べれども、食べれども、いっこうにうどんが減らない。もうお腹いっぱいなんだが。いつになったらこの器からうどんはなくなるのだろうか?自分から一人前が食べれると言った手前、はち切れそうなお腹になんとかうどんを詰め込んでいく。

 もはや一人前を望んだ自分への恨み以外は何もない。無心でうどんをすする、すする、すする。意地でなんとか、そのときは一人前のうどんを食べきった気がする。それからしばらくの間は一人前を所望することはなかった。

父親と同じ器は拒否する中学生

 昔は家族で大盛のかしわごはんを争って食べていたけれど、いつからか父親が食べたあとのかしわごはんには手をつけなくなっていた。母親とはシェアできるけど、父親とはイヤだ。そう反抗期である。反抗期とはいっても、牧のうどんには一緒に行ってるんだけど。

 反抗期の真っただ中の自分としては、そんな反抗してないと思ってたけど、ちゃんと父親嫌がってたなと今振り返ってみると思う(笑)。

一人前を食べられる大学生

 それまでは、ほとんど家族とばかり行っていた牧のうどんにも、行動範囲の大幅な拡大とともに友人とも行く機会ができてきた。わいわいお喋りしながら食べたいところだが、牧のうどんでそれは死を意味する。

 注文したらすぐうどんはやってくる。そして、そのうどんは手元に届いた時からすでにスープを吸い始めている。しばしお喋りはお預けで、それぞれが自分の麺を黙々とすする。終わりが見えてきたころに、ようやくポツポツと会話ができるようになる。

 若干ふざけて牧のうどんの思い出を振り返ってみたのだけれど、本当に身近な存在だったので、思い出深いエピソードがけっこう出てきた。

最後に

 今は牧のうどんの勢力圏の外に住んでいるので、私的うどん界のトップである牧のうどんを食する機会はあまりないが、うどん自体はとても頻繁に摂取している。

 おお!と思う うどんに出会うこともあるけれど、やっぱり牧のうどんにはそうそうかなわない。だって、私と築き上げてきた思い出の数が違うから。

 たまに実家に帰ると、牧のうどんにしばしば訪れる。そして、麺のやわらかさとスープに舌鼓を打つ。いまではネギも大好き。適度にちらしたネギと麺をほおばりながら、スープの香りを満喫する。あぁ、ふるさとに帰って来たなと感じる瞬間だ。

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