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たびしゃしん――旅のメモ

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31か国の旅で見たもの・感じたこと、国内旅行について写真とともに紹介していきます。
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#ネパール

自分の正義、それをふりかざす状況

ネパール最後の夜、私は病院のベッドで点滴につながれたまま胃痛と戦っていた。ゲストハウスでシャワーを浴びている途中、胃の辺りに違和感を覚え、着替えた頃には全く動けなくなってしまったのだ。 歩けなかった私の最後の手段はフェイスブックメッセンジャー。繋がっていたゲストハウスのオーナーへ連絡し、従業員が駆けつけて病院まで運んでくれた。 何の痛みだったのかは未だにわからない。とはいえ、もしかしたらと思い当たる節がひとつだけあった。 ゲストハウスへ帰る途中で起こった、タクシードライ

火葬場でのシャッター音が何気ない日常

ガンジス川の支流があるパシュパティナートは、川岸がヒンドゥー教徒の火葬場になっている。葬儀場?と思うけれど、ここは世界遺産に認定されたヒンドゥー教寺院。各国から来る観光客で賑わいを見せている。 午前9時前に到着した私は、ドブのような川で子どもが遊んでいるのを横目に裏道を1,2時間程度散歩し、川岸へ戻ってきた。 行きにはまばらだった人も戻ってくる頃には倍になり、特に密集している川岸の一部を橋から眺めると、人の間からふたつの足が見えた。 死体だ。 密集しているのは親族なのだ

もっともっと知りたいよ、サドゥー

ガイドブックを見た時から、気になっていた人がいた。 彼の名は、サドゥー。ヒンドゥー教における修行僧で、ウィキペディアではこう語られている。 サドゥーはあらゆる物質的・世俗的所有を放棄し、肉体に様々な苦行を課すことや、瞑想によりヒンドゥー教における第四かつ最終的な解脱を得ることを人生の目標としている。 私は、彼らを見ることができるのか。期待に胸を膨らませ、修行中のサドゥーに会えるかもしれないというネパール最大のヒンドゥー教寺院、パシュパティナートへ向かった。 朝9

小さな村にある、大きな「家族」

ヒンドゥー教では「ティージ」と呼ばれる、女性のためのお祭りが夏に開催される。私がその存在を知ったのは、ホームスティさせてもらった村で、ちょうどティージが開催されていたからだ。 「ミホもサリー着て、お祭りに参加してみる?」 ホームスティ先の娘、17歳のアスタに提案してもらい、アスタと、アスタの母であるサンティと、ヒンドゥー教の民族衣装であるサリーを着てすぐ近くの村の一角へと足を運んだ。 会場になっている赤いテントの中には50席ほどの椅子が用意されていて、女性たちが座っていた

もしもあの時、彼からのメッセージが無かったら

If you go there can I ask a favor!? I mean if you go to bhaktapur Facebookでネパールの投稿をすると、ブラジル人の友人からメッセージが届いた。どうしたの?と聞くと、去年の冬に彼がボランティアをしていた筋ジストロフィーの子どもセンターへ、寄付をしてきてくれないかという。 「センター長の方はHimalさん。バクタプルの入口で、Himalさんに会いに来たと言えば彼が迎えに来てくれるよ」とメッセージを受け、カ

コン、コン、コン、お邪魔します。

キコ、キコ、キコ、糸を紡ぐ。 近くに行くと、「やってみる?」なんて差し出してくれるおばあちゃん。 トン、トン、トン、木で刃を叩き、彫刻を作る。 近くに行ってもお構いなし。もくもくと作業を続けるおじいちゃん。 トポ、トポ、トポ、泥の地面にレンガをはめ、震災で壊れた家を建て直す。 遠くで見てても近づいて、ネパール語で話しかけてくるおじさん。 ひとつでも、今と違った判断をしたら、絶対交わらなかったはずの誰かの日常。 お邪魔して、そっと時間を共にする。 それが不思議と、

苦行の後に見えたもの-ルンビニのお寺修行で感じたこと②-

ルンビニお寺修行の二日目は朝3:30から始まった。 起きてすぐに本堂の掃除を行い、4:30~5:30までは夕方のお勤めと同様に「南無妙法蓮華経」を唱えながら大太鼓をたたく。その後30分間お経を詠んだ後、一番不安に感じていた、4時間の行脚が始まった。 6:00頃日本寺を出発。最初の目的地は大きな菩提樹のある聖園だ。うちわ太鼓を叩きながら僧侶のビシュヌさんと「南無妙法蓮華経」を交互に唱え続ける。 出発して1時間ほどたった頃、「みほさんはラッキーですね」とビシュヌさんが話

「これが私の天職です」-ルンビニでのお寺修行で感じたこと①-

毎朝うちわ太鼓をたたきながら周辺の村を4時間あまりかけて15kmほど巡り、夕方は本堂などでの1時間半ほどのお勤めが義務付けられている。 ネパールに到着してもなお、私は迷っていた。お寺修行に興味はあるけれど、「地球の歩き方」で紹介されている日本寺の修行内容を見ると、はたして私なんかが行ってきちんとお勤めができるのだろうかと、ずっとモヤモヤうじうじしていた。 ルンビニには10以上の国のお寺がある。中でも韓国寺はバックパッカーに人気の宿となっており、瞑想もお好みで出来るらしい。

付加価値付きの機内サービス

ネパールの首都、カトマンズにあるトリブヴァン空港に降り立った。最初の目的地はルンビニ、だがカトマンズ⇔ルンビニはバスで12時間の長旅になる。 結構バスの長旅も嫌いじゃないし、何より安い(片道約1,000円)のが魅力的。学生の時は迷わずバスを利用していただろう。しかし今は社会人。限られた有給休暇を使って行くため、移動時間を短縮するか、安さをとるかは結構な迷いどころになる。 スケジュールと時間を考えて、今回は片道およそ15,000円する飛行機を使うことにした。 私が利用

風の声が聞こえる場所

じっとしていても、歩いていても、止まることなく流れる汗を、何度も何度も拭きなおす。 8月末のルンビニは、まるで天然サウナのような湿度だった。 一番楽しみにしていたブッタ生誕の地へ行くことも億劫になってしまうほどだ。せっかくここまで来たのだからと、自転車を200ルピー(約200円)で借り15分程走った後、徒歩区域に入ってからは10分程歩いて目的地へ到着した。 "チケット売り場がわかりずらい”といくつかのブログで読んでいた通り、チケット売り場に迷い、ようやく入ろうとすると

あの人へ思いをよせて

ネパールに行きたい!と思ったのは2014年の秋も終わるとき。 修行をして、悟りを開けば心穏やかになるんじゃないかと、いわば「神頼み」のような気持ちで仏教が気になり始めた。 生まれてすぐに7歩歩いて、右手で天を、左手で地を指し、『天上天下唯我独尊(自分という存在はこの世にひとつしかない、尊い存在だ)』と唱えた という、常識を超えるような誕生秘話になぜかひどく心を打たれ、こんな秘話が伝承される彼は一体何者なんだろうかと、釈迦への興味が止まらなくなった。 2016年。

直視できなかった現実

日の暮れはじめた頃、ルンビニではマーケットが開かれていた。 夕飯の支度のためか、野菜売り場は大賑わいで、外国人の私にはみんな見向きもしない。まるで透明人間になったような気分でその場をふらふら歩いていると、少し離れたところにいる少年が目に付いた。 首のない、毛が綺麗に取られた一匹の鶏を豪快に洗う少年。 近づいてみると、足の長いシンプルなテーブルにゴロゴロ並べられた首のないチキンたち。テーブルの下には、鶏が3羽、妙におとなしく座っていた。次はきっと、あの子たちの番だ。 思

ありがとうなんて言わないで

8月30日、ネパールのルンビニからカトマンズに向かうバスの中で、私はお坊さんのSamir(サミア)と隣同士になった。 9月1日はネパールでは父の日だそうで、お祝いをするために実家のあるカトマンズへ向かっているのだという。父の日は必ず親族で集まってご両親にお祝いをするんだ、というサミアの話を興味深々に聞いていると、「良かったら家に遊びに来てみる?」と提案をしてくれた。 仏教に強く興味を持ってネパールに来ていたこともあり、お坊さんに絶大な信頼をおいていた私は二つ返事で提案にの