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キマらない日も同じように

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「毎日書くこと」を目標に、友人とその日のテーマを決めて書いてます。
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樹海、さわやか、アイスケーキ。厄年あふれる誕生日のアレコレ

9月26日、またひとつ歳をとった。2022年は結婚式準備の真っただ中で忙しく、近くで買ったケーキとスーパーの高い牛タンでお祝い。一昨年はサウナの聖地「しきじ」に行っていたらしい。何をしたのか覚えていなくて、googleフォトの写真をさかのぼってようやく思い出せた。「しきじ」のあとに「さわやか」へ行って、パートナーがげんこつハンバーグを4皿頼んだんだっけ。異常な食欲に目をみはったことがよみがえった。 そして今年の誕生日。26日は平日なので、前の休日に富士山近郊へと日帰り旅行を

予実が異なる2020年と、2021年のnoteについて

毎年恒例にしている振り返りの時間が持てずに紅白が終わってしまい、残り15分であいさつだけでも…!と思っていたところで両親からの思わぬ話が飛び込んできて、いつの間にか2020年が終わってしまった。 計画はしょせん計画で、現実は大きく逸れることだってある。まさにそんなことを痛感した2020年。紅白で、嵐の松潤が言った「嵐が去ったあとには虹がかかる」は、今年のいろいろと嵐の活動休止をかけた素敵な言葉だなと思った。 クリスマスを過ぎたあたりから2020年の振り返りをちょっとづつし

2020年買ってよかったもの(ジャンル問わず)

先日、「2020年買った本」をまとめてみたら自分の振り返りにもなった。 買ったもので振り返るって、その時の関心ごとが見えて結構楽しいかもしれない。そう思って本以外でも振り返ってみることに。とはいえ一つのジャンルで大量に購入したのは本くらいだったので、生活の中で必要だったものオールジャンルで振り返ってみた。まとめられるものはカテゴリにして、他はその他へ。 キッチン、食べ物まわりが多かったのはやっぱりコロナの影響が大きかったな。ちなみにその他には、暖房器具、クレンジング、ろう

どこで書くかと、誰が書くか

noteはすごく明るいところだ。蛍光灯のような白くてまぶしい光があって、ここにいるとみんなに見つけてもらえる気がする。四方を囲む壁はなくて、あるとしたら半透明な書類ケース。一つ一つの書類をカテゴライズして束ねておくものくらいだろう。 みんなに見つかりやすくて、自分でも探しやすくて。読みたいときにすぐひっぱりだしてこれる。明るいプラットフォームは便利でありがたいなと思う。 ただ、明るいところが苦手な時もある。誰にも見られずに、こっそり置いておきたいものもある。自分の中に留め

後悔もできなくなったクリスマス

思えばイベントごとに、「去年何してたっけ」が思い出せない歳になった。去年だけじゃなくて、その前も、その前もどうやって過ごしていたのかさっぱり思い出せない。だから今後、毎日noteを書かなくなったとしても、イベントのときはしっかり書いておきたいなと思った。 今年は大好きなアイスケーキを食べたくらいで、やっぱり普通の1日だった。取材を2件、うち1件は16時ごろにラーメン屋で取材だったので、自動的に今日のご飯はひとりラーメン。寡黙な店主がたくさん話をしてくれたのは嬉しかったな。帰

「人間大合格でしょ」と君が言ったから12月はユーモア記念日

知性とセンスにあふれた返答を見ると、思わずにんまり顔がほころんでしまう。そして時には、ケラケラと声を出してしまうことも。今回取り上げた2つの返答は、まさに知性あるユーモアを感じたもの。私の中でおさめておくにはもったいない気がしたので、noteでひっそり公開してみることにした。 1.答えはまるで連詩のようにアドベンドカレンダーを書いたときのこと。 ちょっとした遊び心が芽生えて、冒頭の文章をある小説の冒頭をもとにアレンジして書いてみた。せっかくだから今まで書いたことのない形に

「合わない」の原因は君じゃない

2~3cmの小さなクモと、しばらくのあいだ一緒に暮らしていた。 寒さの残る春ごろからだろうか。部屋のデスクで仕事をしていると、ディスプレイの上の壁や、書類ケースのそばから、ひょっこりクモが顔を出した。捕まえて外に出せるほど虫に強くないし、かといって叫びだすほど大きな存在でもなかったので、いつも見て見ぬふりをして、いつもその場をやり過ごしていた。 味を占めたクモは、私の部屋を飛び出した。ある時はリビング、ある時はトイレの壁にまで散歩に行く。同居人もクモの存在に気づき、「3人

言い訳をたっぷり込めた料理の話

自分で自分のご飯を作るようになったのは、新卒1年目からだった。 それまでは実家で母が用意してくれたものを食べ、空になったお皿をキッチンまで運んで終わりだった。「ご飯だよ」と呼ばれて居間に行ったときに、テーブルに何も運ばれていないとなんだか嘘をつかれたような気分で嫌だったから、呼ばれてから10分後くらいによく行っていた。「ご飯を運ぶくらい手伝って当たり前でしょ」と思えるようになったのは、社会人になって自炊を始めてから。ずいぶんと遅いスタートだ。 働き始めて2~3年目までは、

ボツになったプロフィール写真

写真を撮られてもしっくりこなくなった。 思えば、全然変わらなかった体重から数年かけて、7キロ近く増えている。過去の写真と比べると顔に肉が付き放題、目のしわが圧倒的な存在感を放っている。そればかりか最近はゴルゴ線まで気になって、加工無しでは人様にお見せできないと思うようになった。写真は若いうちにたくさん撮っておくべきだなと、受け入れがたいリアルな自分と向き合うようになって、ひしひしと痛感している。 そんなことを予知していたのか、30歳になる前に、友達と2人で私は小さな冊子を

歌に問われる「やりたい事」か「やれる事」か

些細な一言に振り回される私は、ふとした一言に深くうなずいたり、強く励まされたりもする。長所と短所は紙一重とはまさにこのこと。ちょっとした言葉にも元気をもらえるのは、私の立派な長所だ。 浴室歌手デビューを果たしてから、お風呂でゆっくり、歌の歌詞と向き合う時間ができた。鼻歌でなんとなく歌うことも楽しいけれど、湯船に浸かって、歌詞を目で追いながら歌う時間が1日の癒しタイムにぴったりだ。ここ2,3回の風呂歌でそんなことを実感した。 今日の課題曲はSURFACEの「なにしてんの」。

“連帯責任”のやさしさ

もぐもぐとひき肉の炒め物をほおばりながら、東海大学の野球部が大麻を使ったニュースを見ていた。 野球名門大学の無期限活動停止。それを受け、司会や評論家、コメンテーターが議論を交わす。議論の内容は、「部活動で連帯責任を取る必要があるのか」ということだった。 プロ野球で誰かが不祥事を起こしても、球団が無くなることはない。当事者の野球選手だけが罰を受けるのだから、大学生の彼らも連帯責任を取る必要はないのでは、というのがテレビの中のマジョリティ意見だった。確かに、と思った。 けれ

子のはなし

少し前から夜ご飯の時間にドラマ『コウノドリ』を見ている。 ドラマの中では、妊娠中や出産時の病気、アクシデント、出産後のトラブルなど、想像したことのない展開が繰り広げられ、出産は本当に奇跡なのだと思い知らされるばかりだ。 以前、友人にインタビューした時も、みんなが何事もなく出産できるって当たり前じゃないんだと痛感した。母になろうと決めた人は、自分の命が危険になる可能性があるうえで、それでも子どもをもちたいと頑張る。出産を経験し、「母」となった人の偉大さを、今更になって感じて

絞り出した言葉はワサビのようだった

お昼に使ったワサビは、今日の1回分さえ残っているかわからなかった。あと数ミリ欲しいのだけど、無理やり絞り出そうとしてもなかなか出てこない。チューブの出口が変形するほど力づくで押し出して、なんとか醤油と混ぜ合わせた。 * いま、私から出てくる言葉も、まさにお昼のワサビのようだ。からっぽの自分をぎゅうぎゅうに絞って、無理やり言葉を出している。けれど出てきた言葉はどれもうそっぱちに思えて、何かを残したいとか、誰かにメッセージを送りたいとか、そういう心がどこかに飛んでいってしまっ

残しておきたい9月26日のこと

2020年の9月26日は、上高地にいた。この日は私の誕生日。学生の時みたいに夜行バスに乗り、しっとりとした冷たい空気の中、早朝の上高地を散歩。 「透き通る」という言葉では表しきれないほど透明度の高い川の水に何度も感動し、木々に囲まれたトレッキングルートをひたすら歩く。朝も、昼も、夕方も、疲れているのに止まりたくないくらい、歩くことが楽しかった旅行だった。 * 先日、木に抱きつくことの癒しの効果について記事を書いた。 自分がいま、必要としているのは、自然が生み出すマイナ