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恐山で宿坊に泊まったら生き方を考える時間になった

令和初日は、恐山の宿坊から始まった。日本三大霊場の1つにも関わらず、ガイドブックにもあまり情報がなく、行ったことのある人も聞かない。同じ霊場の高野山とこんなにも差がついているのはなぜだろうか。

数年前から、釈迦生誕の地ネパール・ルンビニまで行ったり、曹洞宗の総本山永平寺で3泊4日の参禅研修に参加したりと、仏教の雰囲気を肌で感じることに興味をもっている。今回もちょっとした「仏教ファン」心に火がつき、気になっていた恐山に行くことにした。

恐山に何があるの?

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恐山菩提寺というお寺と温泉と宿坊。それ以外は、あちらこちらに石積みや風車が置かれたゴツゴツの荒野が広がるばかり。

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天気の悪い日に訪れたからか、本当に地獄のような、死の世界と繋がっているような景色が広がっていた。それはそれで雰囲気がある。逆に晴れている時に来ると気持ちがいいらしい。

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近くの湖まで来た時は、少し陽がさして綺麗だった。ここは極楽浄土の浜。

恐山は八戸駅から車で2時間半ほどかかる。辺りには何もなく、本当にスッキリとした少しさびしい場所。荒野が広がっているのは、温泉から湧き出る硫化水素が辺りに蔓延しているから。その硫化水素により電子機器はすぐに壊れてしまうのだそう。カメラは2週間ほど、金属類は1日経てばさびてしまうから、電子機器はあまり空気に触れないよう、ビニール袋にまとめて縛っておいた方がいいと、部屋を案内してくれたおばちゃんから聞いた。

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確かにいつも付けているシルバーの指輪が、恐山に到着して4時間後に変色してしまった。少しショックだったけれどそこまで強く出ている分、温泉はすごく肌がすべすべになる。切り傷があっても、温泉に入れば直ってしまうのだそう。また、指輪の色は下山してしばらくしたら元通りになっていた。

宿坊「吉祥閣」でできること

・住職代理、南直哉和尚の法話(1時間程度)・精進料理の朝・夜ごはん・朝のお勤め・写経

遠路はるばる恐山に来ても、お参りと散策をして帰る場合は所要時間は約40分程度。それに温泉を入れても1時間あれば見終わってしまう。けれど1泊したら、住職代理の法話や精進料理、6時半から始まるお勤めの様子が見られ、その場所のことを深く知る機会になる。それで1泊2食付き12,000円だ。

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宿坊は旅館並みに綺麗。1部屋に、ふすまでつながる2つの部屋が用意されており、4人は余裕で泊まれそうだ。浴衣もタオルも歯ブラシもそろっていてアメニティは一般的な旅館やビジネスホテルと変わらなかった。部屋以外のところどころにカメムシが大量発生していたのがちょっと気になるところ。

精進料理もおかずが何品も出てくるので、夜はおなかいっぱいで食べるのもつらかったほど。60人以上の宿泊者と一緒に食べたので、ちょっと騒がしかったのが気になったけれど、修行ではないからこんな感じなのだろう。食事も修行の1つだった永平寺では、おかゆとごま塩だけでもすごくおいしく感じたし、緊張感の中で食べる精進料理が楽しみの一つでもあった。そんなわけで精進料理に特別な思い入れがあったからか、おなかはいっぱいになったけれど少し物足りなさを感じて終了。

19時頃からは、本尊が祀られている場所で住職代理の法話が開かれる。5月にも関わらずとても寒く、ヒートテックにセーター、ウルトラライトダウンを着て参加した。自由参加なので聞きに来ていたのは30人程度。テレビに出たり、本もいくつか出したりしている人だと聞いていたのと、電子機器も一切なく、寺の外と連絡を取る手段は手紙のみ、人によっては毎日3時間睡眠にもなる永平寺の修行を20年続けていたというので私の興味はここに集中していた。

「わからない」ことを「わからないまま」伝える南直哉和尚

最初は恐山や、セットで話されるイタコについての雑談から始まり、死んだあとのこと、生きる意味、死者とどう向き合うかについて、素人でもわかるような表現で仏教流の、いや恐らく南和尚流の考え方を示してくれた。

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死んだ後のことは誰にも分らないし、どうして生まれてきたかを知っている人もいない。したがって、生きている意味も結局みんなわからないものだと和尚はいう。そんな中でどうやって生きていくかと問われると、こんな示唆があった。

世の中には自分と他人に共通する問題がある。その問題に取り組んで生きていくといい。そこで大事なことは3つ。得しようと思わない、褒められようと思わない、そして友達を作ろうと思わないことだ。この3つが出てくると、自分のためだけに行動を起こし、自分に迫る死についても不安視するようになってしまう。
自分と他人に共通する問題の中で、自分がやるべきだと感じたことを、淡々と行っていく。「べき」には必ず価値があるし、価値があるということは、ほかの人とも縁があるということ。誰かのために生きていると思えば、自己に固執しなくなる。満腹の人が食べることを自然と終えていくように、やるべきことをやり遂げた人間が最後に訪れるもの、それは「死」ではなく「休息」になる。

南和尚の話は一貫して、"事実を伝える"ものだった。イタコの不思議な経験、参拝者の奇妙な行動。それらはすべて事実だけれど、それをどう「解釈」するかは私たち次第だという。

さらに、自分のためだけの行動をするのではない、「自分を大事にしないことが大事」と言い切るところなど、少し突き放したような表現が多い。けれどそれは、安易に妄信させないためのようでもある。自分の人生、自分で考え、決めるべき。そんなメッセージが隠されているようで、そこにある種の愛も感じる素敵な法話だった。

ちなみに、宿では和尚の著書も置いてある。部屋はスマホが圏外になってしまうので、読んでみると楽しいと思う。

11月~4月末は閉山。その間の予約は円通寺へ手紙

宿坊には基本的に1週間前までの予約が必要。しかし5月1日が開山のため、それ以前に電話をしても全くつながらない状態だった。観光協会に問いあわせると、閉山の間はむつ市の円通寺にお坊さんがいるのでそちらに問い合わせてほしいとのこと。電話をすると、「予約内容をハガキで送ってほしい」と言われ、宿泊日時、泊数、人数、部屋数、連絡先を書いて送付。後日予約完了のハガキをもらって完了だった。

恐山に宿坊がある情報の入手が難しかったので、もしかしたら宿泊は私たち1組だけかも…?なんて思っていた。しかしそんな心配は杞憂で終わり、まさかの満室。家族や友人、3~4人のグループで訪れていて、はしゃぐ気持ちを抑えているような印象だ。当日に直接行っても何とかなるでしょ……なんて思っていたけれど、満室だったことを見ても予約はしておいて本当によかった。

5月1,2日は本当に寒く、特に2日は雨と暴風に見舞われ、コートとニット帽があっても良かったくらい。風が冷たすぎて少しでもの防寒対策に、頭に手ぬぐいを巻いていた。どうか誰の写真にも写り込んでないことを願っている。

イタコに口寄せしてもらうには

恐山には霊媒師のイタコがいて、亡くなった人の魂を下ろしてくれると言われている。しかし実際にイタコがいるのは年に2回の大きな大祭の時のみ。そしてお寺とは一切関係がないそうだ。

「恐山にはイタコはいない」と言われても、やっぱり気になるイタコ。探してみると、恐山近くのむつ市に在住している40代のイタコなら問い合わせをして口寄せしてもらうことも可能のようだった(40代はイタコの中で一番若いらしい)。

……ただ、私が問合せしたのがGW1週間前。すでに予約は5月末までいっぱいだと言われ断られてしまった。口寄せ希望なら1か月以上前からコンタクト取っておいたほうがよさそう。

恐山は、第二の人生を始める場所にもなる

宿坊に到着した時、案内してくれたおばちゃんが最後まで心に残った。

「私もまだ恐山初心者なの。おかしいでしょ? ここで第二の人生を始めたくなったなんて」

むつ市の保険会社で3月まで働いていたおばちゃんは、定年退職を機に、4月からは恐山の宿坊で働き始めたという。家族にも驚かれたけれど、「何かに呼び寄せられるように」ここで新しい人生を始めようと思ったそうだ。

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"死を見つめる場"として名高い恐山。お寺周辺を回っている時、目が潤み、下だけを向き、何かにすがるような気持ちがあふれた女の人とすれ違った。まわりの様子などまるで目に入っていないかのように、ただ淡々と周辺を歩き続けている。

大切な人が急になくなってしまうなど、お葬式をするだけでは消化しきれない思いがある人が、ふらりとここへ流れつくことが多い。和尚の法話でそう聞いた。彼女は恐らく、どうしても納得できない別れがあったのかもしれない。

しかし恐山にあるのは、私たちが一般的に想像している「悲しい死」だけではないような気もする。ここへ来た人間が、大切な人が亡くなったことを受け入れ、今後を考える場所でもあように、または新しく働きはじめたおばちゃんのように、未来に向かう道も作り出す。

これからを生きる人間が、残りの人生をどう生きるか。死者と向き合い、じっくりと考えられる場所なのかもしれない。

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