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とても大事な"やらない"時間

新しく買ってきた豆乳が冷蔵庫に入らなくて困っていた。シェアハウスの冷蔵庫には、誰かの私物であふれかえっている。しかしよく見ると、3月まで住んでいた同居人の名前が書いてあったり、賞味期限が過ぎているものがちらほら。意を決して掃除をしてみたら、なんと半分ものスペースがいらないもので埋められていたのだ。

スッキリした冷蔵庫を見ると、気持ちまでスッキリしてくる。この際一気に整理してやりたい!なんてやる気もわいてきた。そして、駆け足で階段を上がり「今日がチャンスだ」といわんばかりに、散らかっていた冬服をまとめ、GW中に出そうと思っていた夏服を引っ張り出してきた。

狭い収納スペースの中で、衣替えは結構な重労働だ。それでも午前中のうちに片付けてしまうと、これから始まる大好きな夏が訪れたみたいで、ワクワクしてくる。不思議と無敵になったような気持ちにまでなってしまうくらい、メンタルにも影響があることを実感した。

仕事に追われていた3月は部屋を片付ける余裕もなく、カーペットの上に仕事の資料、本、ノート、そして使ったカバンが2,3個転がっているような状態だった。4月に入って新規案件をストップしてからも、細々と続く残タスクや発熱で、必須以外は何もやりたくない日が続いた。予定の無い休日は作れたけれど、そこで活動的に動くことが出来なくなっていたのだ。

友人との約束で外に出たり、1日3本以上映画を見たり、近くの公園へおにぎり持って一人ピクニックをしにいったり。やるべきこと、やりたいことは仕事以外でもたくさんあったけれど、気が乗るまで気長に待つことにした。

GWが明けて、初めての休日。良く晴れた夏日のような日差しがカーテンの隙間から差し込む。もぞもぞと起きてはまた目をつむり、幸せな2度寝の後に身体が勝手に動き出した。きっと、今がタイミングだったのだろう。

予定を空けたからと言って、すぐに活動的になれるとは限らない。今までフル稼働していた分、仕事もほかのこともちゃんと休み、まさに「何もしない」時間が必要なのだ。「休んでる間に何か違うことをして、すぐに復帰しやすいように……」なんて考えていたけれど、そんな中途半端に動くよりも廃人のようにダラダラすごしたほうが、自分から「何かやりたい」という気持ちが動くのだろうなと思った。そして私はそれに、大体1か月ほどかけたようだ。

休みの日ももちろん大好きだけれど、「またあのサイトで書きたい」と思う気持ちも出てきている。きっとあと数週間もすれば、自発的にまた仕事をもらいに行くだろう。「休むこと」とは、そういうことなのだろうなと、少しわかったような気がした。


去年の毎日note


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