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今にいながら過去を生きること

「私が小さいころ、おばあちゃんと手を繋いでこの道を歩いたよ」

運転する母が思い出話を始めた。私は助手席で相槌を打つ。後ろには父が乗っている。私たちは今、母の実家近くにある深沢小さな美術館へ向かっている。

美術館への通り道は、母にとって思い出が散らばった場所らしい。幼い時に通っていた祖母の職場、習字教室、そして新婚時代に住んだ小さなアパート。

思い出話を聞いているうちに、車はどんどん細い道を進んでいった。着いた場所は草木が生い茂った森の中。シンデレラの小人の家のような、映画『モリのいる場所』に出てくる庭のような、別の世界に迷い込んだ感覚が生まれる。美術館までの小道の脇には小さな池がたくさんあり、中には鯉に混ざって、見たことのない魚も泳いでいる。沢から流れる水の音と、ガラガラと鳴くカエルの声がする。

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美術館の中に入ると木彫りの人形がバランスよく配置されていて、どれもとてもなめらかな曲線で形作られている。窓のそばにある人形は、背景の自然と調和されて森の妖精のようにも見えた。

ここにある人形の一部はNHKの人形劇で使われていたそう。さまざまな種類の人形が何体も、1か所にまとめて展示されていた。うつむいたり、目をつぶっていたり、遠く空を眺めていたり。こちらを見ているようで目線が合わない人形も多い。みんな今ではない、遠い昔を見ているようだ。

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美術館の喫茶スペースでコーヒーをもらう。窓から眺める景色はまるで、どこか別の世界に迷い込んできたみたい。スマホに目を落とした人を避けながら歩く駅の構内、夜遅くまで響く車の音、雑多で排気ガスがあふれた街。日常を作り上げている要素がここには存在せず、社会から切り離されたような、それが無性にほっとするような気持ちになった。

帰り道、車を走らせていると見覚えのある場所に出た。小さい頃から何度も通った祖父母の家の近くだ。

「雪の日にこの道を歩いて、新婚の頃住んでいたアパートにおじいちゃんが来てくれたことがあってね」

もう空っぽになった祖父母の家に向かう途中、母は思い出話を再開した。

"私はまだ生きてはいるが、私の過去は、すでに死者たちと同じ場所にある。動かしがたいこと、取り返しがつかないことは、変わるところがない。"

最近読んだ本の中にあった一文が頭をよぎる。母は今の街を見ているようで、実は見ていない。今はいない祖父母を見るように、この街を見ているのだろうな、と思う。それはまるで、過去の世界で生きているかのようだった。

実家へ帰る時も、それと似たような気分になる時がある。実家には大学以降の情報がほとんどなく、それまでの思い出がそのまま真空パックにされているようだ。友達とおそろいで買ったキーホルダー、高校受験で合格した時の写真、部活の時に着ていたTシャツ、大学時代に使っていたバッグ。ここに来るともう戻れない、過去の世界を生きている気分になる。


母が「夜ご飯に」と作ってくれたお弁当を持って、自宅へ帰ってきた。新宿駅で乗り換えると、いつもと変わらない日常があった。スマホに夢中の人は正面からぶつかりに来るし、構内のアナウンスは各路線ごと、ひっきりなしに続く。私が今生きている世界はこれなんだ、と思う。


去年の毎日note


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