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自分探しの旅は本当に自分を探せられるか

大学3年の夏、「自分探しの旅をしよう」と思って1週間ほどギリシャをひとり旅したことがあった。秋が来れば就活も始まるし、「自分ってどんな人なのか」みたいなところがわかると良いかなと思って、申し込んでいたギリシャでの国際ボランティアへ参加する前に、アテネとエーゲ海を1人で回ってみたのだった。

それまで1人で飛行機に乗ったこともあったし、1日くらいなら観光することはあったけれど、1週間は初めての経験。何が起こるかな、と期待していった先は散々だった。

夜も遅いからと空港から宿までタクシーを使ったが、到着した場所が真っ暗で誰もいない港だったり、早朝に船で島へ渡ろうとしたら、どこも満席で各会社をたらいまわしにされたり、ゲイビーチと呼ばれる場所へ行ったら、見事にみんなゲイカップルで一人寂しい思いをしたり……。どんなに綺麗な夕日を見ても、透き通る海を見ても、1人が寂しくてしょうがなかった旅だった。そして悲しいかな「寂しがり屋の自分」ぐらいしか見つけることができなかった。

けっきょく自分って、他人と比べてこそどんな人かがわかるんじゃないかな。ひとり旅しても、「寂しい」くらいしかないなんて、全然自分探せないじゃん……。国籍の違う15人で共同生活をした国際ボランティアの方が、チームの中での「自分」が見つけられたような気がするぞ。

と、アンチ「自分探しの旅」になって帰ってきたのだった。多分、現地の人ともっとコミュニケーションが取れたらよかったかもしれないけれど、以前お坊さんと仲良くなって、家まで呼んでもらったときに、自分のなにかが分かったかと言われても、なんだかピンとこない。

ただギリシャで、「自分探し」ができた例をあげるなら、1つだけある。

旅中、英語の話せないおじいちゃんと孫が、ギリシャ語で私に一生懸命話してくれたときがあった。「もし私がギリシャ語を話せていたら、もっと二人と楽しく会話できたのに」と思ったことを帰国後に友達へ話した。すると「私だったら『二人が英語が話せれば』と思ってしまうけれど、みほは『自分がギリシャ語を話せれば』って思うんだね。」と返ってきたのだ。

昨日のnoteみたいに、私はなんでも自分の課題にしがちのようだ。

そしてそれがわかったのもやっぱり、聞いてくれる人がいるからだったなぁ。

テーマ#旅


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