Day 327 お金と内面の関係を体感した話
ああ、自分は消耗していたんだな、と気づいた。
仕事や家庭や、そうしたことでしか消耗はしないと思っていた。自分が好きで好きで仕方ないこと、時間があればあっただけお金があればあっただけ、つぎ込んでしまうこと、それをすればするほどエネルギーが高まるように感じること、まさか消耗の原因がそれだとは思ってもいなかったけれど。
私の場合、その好きで仕方ないことは社交ダンス。日々のあらゆることが社交ダンスが優先順位1位で決めてきた。スケジュールもお金の使い道も。
レッスンや大会、パーティーなどの他衣装も、社交ダンスはお金のかかる趣味だ。しかも、ただの趣味で終わらない競技会や発表会などといった、成長しつづけたいと思うアスリートのような一面もある。
この秋で始めて7年目にはいる。やればやるほど、そして上達すればするほど、うまくなりたい、という欲が高まり、それによって時間もお金ももっとかかるようになる。
ラグジュアリーな生活スタイルには興味はないが、ダンスを思い切り楽しみたい、と思うとそのために稼がなくてはと思う。このマガジンも同じスタートだ。
レッスンチケットと収入のバランスがおかしくなっていく。もっと稼がなくては、となる。しかも、できればどかんと。このマインドに、ずっと追い立てられ悩まされていた。かせげなければ、レッスンできない。ダンスできない。生きている意味がない。こう思うととてつもない恐怖、不安を感じる。
さらに深堀する。なぜもっと上達したいのか。上達すれば自分の存在意味が実感できる。居場所ができる。スタジオの中で特別になれる。孤独ではなくなる。上達し続けなければ。ポジションを守らなければ。
必死になっていた。好きで楽しいのは確か。でも、余裕もなくなっていた。上達する以外のことには神経を使いたくないし、使わない。
でもこの1年ぐらい、少しずつ、一つの目標が終わると燃え尽き感を覚えるようになった。それでも終わったとたんに次が来るので、考えている暇なく目線を次に移す。そしてそれに向かってまたレッスンに打ち込んでいく。
たぶん、ただ楽しむということを忘れ、常に新しい目標を追い続けることに疲弊し、そしてそれだけやって上達しても、孤独であることに変わりがなく欠乏感を満たそうとし続けることに疲弊していることに、やっと気づいた。
ああ、消耗するんだな、こんなに好きなことでも。
そして再びお金のことに思いがいたる。レッスンのためにお金をやりくりするけれど、先が見えてきていた状況、これこそ、内面の消耗の表れだったんだなと気づく。
お金が消耗観の一因だったのではなく、内面の消耗がこのお金の状況だった。ダンスをやめたら私は私でなくなる、お金がつきて辞めざるを得なくなったらどうしようという恐怖、これはお金のせいではなかった。私の内面の投影だった。
消耗しているのか、とわかったら、みょうにホッとしている自分がいる。止まろうと思った。視野がゆるんで、上達し続けなくても、狂ったようにレッスンしなくても、海外の大会に行かなくても、私は私だ。居場所も存在意味も変わらない。
週末にあるダンスの大きなイベントにむけて、今週はダンス漬けの幸せな日々、なはずなのに、昨日はレッスンに向かうのがつらかった。気持ちが重かった。その道々でこの消耗に気づけた。
今週めいっぱい、すべてを使い切って消耗しきろうと思う。そして、消耗しきった自分を抱きしめ、立ち止まってしばらく癒そうと思う。
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