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自分軸の破壊と再生

先日友人に、いま自分の心が感じていることをただ映し出すように話す機会があった。これは相手に行動を促すとか、理解してもらうとか、大切なことを伝えるとか、そういう目的はないただの言語化で、自分の心を言語化することでそれを客観的にきいた人がその状態をどう見るかを知りたかった。

その答えがとても面白かった。

巻き付くものを探しているんだね、がその言葉。

それを聞いてしっくりきた。今まで巻き付いていたものが壊れて、次のものを探している。巻き付くものというのは軸であったり信念であったり世界観であったり信じるものであったり。

私の中でこの2月ほどは、いろいろな新しいことをかなりいろいろ起こしているし、起きているし、初めましての人との出会いもいつもの何倍にもなっている。

その根底には動く時が来たとしかいいようのない衝動があるからで、その前は、といってもついこの間だけれど、しーんとした深海で一人で自分と向き合うことを徹底し、水を通して周りを見ていた。

その結果、5年前ぐらいの自分とは起きる出来事に対してのとらえ方見方が全く変わった。自分と世界の関係も変わった。

そしてまたそれが、変わる時が来ている。

5年前から今にいたる変化はそこそこ大きいものだったけれど、今来ているものは人生すべての中で一番ぐらいの大変化になりそう。

内面の変化というのは、当たり前すぎて否定もしなければ存在に気づきすらしていなかったものが当たり前ではなかったということに気づくこと。

すると世界が変わる。

たとえば飛べないと思って一生を過ごしてきた人が、飛べると気づくようなもの。地上にしか世界はないと思っていたのが、空も自由に行き来できる空間となり、景色に俯瞰の視野が加わる。

ただ、加わるだけならまだそこまで大きな変化ではない。

人ではなかった、みたいな変化だと、人としての自分がすべて消えるわけで、人であるなら当たり前だったことが違ってしまうということ。

わたしは相変わらず人ではあるけれど。

人生というのは出来事に対する自分の反応の連続だ。

その出来事に自分が反応するのは、時間や物理的な制限があるから。目の前に大きな岩があっても、霊体のように通り抜けられるならその岩は制限にならない。

どんな制限が自分の世界の仕組みを作っているか、その仕組みを当たり前と思っているので、そこに対応し反応し感情を感じ人生がつむがれる。

だから、その制限があると思ったところになかったとか、制限だったものが制限でなくなったとかという変化があると、制限で構成されている世界の仕組みがかわる。

歯車はそれぞれが平面的に回転するからお互いがかみ合う仕組みができる。それぞれが平面的回転という制限がなくランダムに動くと仕組みは成立しない。

世界は仕組みでできていて、仕組みは制限からできている。

たぶん私のなかでなにか大きな制限が壊れたのだと思う。どういうわけかそれがどんな制限なのか実感できていない。

でも秩序正しくかみあって回転していた歯車が外れてごろごろ転がり落ちているような感覚はある。

制限があるから仕組みができる。仕組みに対して反応し生きる。巻き付くものとは制限だ。

人間関係とか、環境とか、物理的条件とか、お金とか、時間とか、これらが作り出していた今までの世界の制限が私の中で壊れ、新しいものが生まれようとしている。

自分としては今ものすごい高速で活動している感がある。少し前に決めたことを軸に猛烈に動いている。でもなんだかそれが落ち着いたとき、あると思っていた軸がなくなっていて、全然違う見慣れない軸ができて、世界の仕組みも変わっているのではないか、そんな気がしている。


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